2014年01月05日

【刮目】刃先加工を制する国家は生活を制する

1-5)0
 士/サムライが腰にぶら下げていたアレは、余計な長物だと思っていた。
 勝海舟のように、抜くまいとして意地を見せればその通りだと思っていた。

 ところが、

 今や、刀文化の持続と追求があったことが、日本の技術の魂に至っている事実を、
 中国製の切れない刃先を知るにつけ、思い及ぶに至った。


> 刃先は国外に発注してはならない。すべて国産調達を貫くべきである。



1-)1
 清国がアヘン戦争に負けた理由。

 それは、白兵戦に持ち込めなかったこと。
 夜襲において頼みの綱となる刃物がなまくらだったこと。

 どんなに英国艦隊の砲撃が激しくとも、弾の数をしのげばどうにかなったはず‥
 あえて上陸させるというのも手の内になる。
 夜襲を毎晩毎晩仕掛ければ、人口が多い側に有利。
 その切り札になるはずの刃物がなまくらだったと思われる。


> これを旧日本軍の戦法から鑑みるとこうなる。


 日本刀の切れ味の鋭いことは、海外では知れ渡っていた。
 江戸時代の輸出にも刀は重宝されたのだから当然で、
 維新の混乱期にしても、英国は砲撃はすれど上陸はせずの戦法を取っていたことになる。

 そこに余り関心を向けなかったのも、

 日本人同士の白兵戦術がお互いの間に常識だった結果の錯覚のようなものである。
 同じ刃物を手にしていれば、砲撃有意は当然で、敵の弾切れを待たずして形勢は不利になる。
 その当然の中身を考慮せず、中華大陸に進出してしまったのが旧日本軍。


 敵の刃物が、自分たちより劣る由を良く理解していれば、
 維新の段階から、対外国に対して、それなりの心理戦を展開できたはずである。


 中国人は、日本人の刃物が恐くて奥に逃げ込む戦法で、
 結果として、日本軍は点と線になり、弾薬と食料の調達が滞るに陥った。
 日本軍はそれゆえか、弾が切れれば白兵突撃が当たり前になり、戦の本質を見失った。
 (‥そもそも、戦術上、拡大進行する意味などなかった。)


 一方、欧米列強は、


 日本刀には敵わないことを自覚していたのだろう‥
 徹底的に銃撃にこだわった戦闘を敷いていた。
 それは、弾切れが起こらないように、規格を揃えるとするところにもその意図は見いだせよう。
 一方の旧日本軍は、弾は切れる物という発想から抜け出せず、規格はばらばら。
 切り札は白兵戦術との考えを改めることなく戦争を終えるに至った。

 ‥明治以来、三八銃の改良をせずままだったというのでは聞いて呆れる。



1-5)2
 ところがである。
 時代が進むと刃物という奴は、
 合理化とコストダウンと切れ味が比例せず、外注の対象になるばかりになった。

 戦争の最中に熟練工が目減りしたことから、
 刃物といえど日本国内においても、欧米に及ばない状況もやや見られたが、
 日本の生産力が回復すると、いつの間にやら、日本製が市場に牙城を築いた。

 それでなくとも、

 戦時中において、基礎技術の大事を思い知らされた日本産業のそれはますます強固になった。



1-5)3
 ‥それが当たり前だった日本の市場にも、合理化の大号令と共に、
 中国製のなまくらが登場するようになり、
 如何に日本製が優れていたかの驚きを味わう羽目になった。

 今や、刃先と言えば、生活の中のどこにでも影響力を持つ。

 その切れ味を如何に保てるかであり、如何に用途に適った切れ味を見せるかである。
 その基本的な技術力があるかないかが、海外に対して、
 基礎的な競争力の地盤の揺るぎなさを見せつけるに至っている。


> 刃先加工を制する国家は、生活を制するのである。


 だから、日本はこのままどんどん刃先産業を軸とした技術力を維持すべく、
 発注を請け負い、市場を独占し、外国のそれを骨抜きにしてしまうことで、
 未来永劫において、決定的な基礎力の差を保つとする国策を採るべきである。



1-5)4
> それにしても、どうしてそんなにも国家間において差が起きたのだろうか?


 たぶんそれは、皮肉にも試し切りを地道に繰り返していたからである。
 罪人の死体を用いてのそれは、どうしても死体の確保が求められた。
 ‥なぜなら、刀とは、戦闘において敵人に向けて使うべき代物であって、
 鉄砲のように、鳥獣を試し打ちして済ますなどとする意味合いに満足がなかった。

 当然、冤罪がその手助けになっていたと見るべきことになる。

 一種のキチガイ性分が、
 危ないおもちゃ愛とも言うべきオタク性分が、 


 ‥結果として、日本の技術力の礎を保っていたことになる。


 それにしても、そもそもは、
 士のふざけた身分自慢が、民衆に畏怖をもたらし、
 職人の心技体を絞り出していたからであり、
 ‥また、だからこその郷土自慢も士の本懐にあった。

 その点、欧米化が進んだことで、なぜか‥

 郷土自慢は脇に追いやられ、外国製所有自慢が幅を利かせるようになった。
 文明開化などと大げさに看板を掲げても、所詮は、裏切り宣言のようなものだったことになる。
 そのように、外からの品々を自慢してみたところで、郷土愛は育まれず、

 それはそのままに、

 交易の自由化を推し進めれば進めるほどに、
 道徳が腐敗して行くとする因果に、気づくべき事柄にある。


> そこに見られた民族性の奥行きの違いにこそ、
> 刃先の鋭さの中に、文化力の差をもたらしたのだと断言できる。



1-5)5
 グローバル化と共に、刃先の切れ味の意味の何たるかに魂を失えば、
 日本の意味もまた失われることになる。

 日本人だけが、大国たる戦無き260年あまりもの時代をすごし、
 自らの土地の中で生きていくとする必要を、我が身とした民族である。
 そこに培われた文化色は競争ではない。


> 礼であった。


 上に、立場上の過ぎたる一面は見られたにせよ、
 地場をもり立てるというその意味において、誰も異論を唱える者など居なかった。
 ヤクザ者らでさえ、何ら揺らがなかった。

 ‥ただそれ故に、新しき何かに可能性を見いだそうとするのも日本人の隠れた性だった。


 揺らいだ元凶は申し上げるまでもない、資本主義である。


 拝金主義を絶対として、上から目線を押しつける仕組みが重しとしてある限り、
 競争こそを本懐とする考えに汚染されている限り、道徳の腐敗は当然である。

 なぜなら、

 地場、民と一体となるよりも、競争に勝ることがまず先になるからである。
 明治以降の政治を省みれば、すべてその通りである。
 其を民衆から見て、いやらしく見えるのは当然、誰が上を敬いたいと思うだろうか‥


 日本の民主主義は、

 土地を根城とした構造の中に築かれた要塞のようなものである。
 始めから日本の主義主張は合議制だったし、戦の歴史にしても、
 振り返ってみれば、世界に先駆けて、刃先加工を制するための営みだったことになる。


> ‥それ以上の価値を、日本刀の伝承から見いだしようがない。


 命の重みと引き替えにした、刃の誓いがそこにあるのだ。
 陰謀商人の口にするカネの掟など、刃の誓いの前にひれ伏すしかない。
 ‥無論、飛び道具の前には為す術は無きも、選りすぐれた道具を造り出す因果は同根である。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:06 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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