2014年03月26日

【うた詠み】「の」に納得できない人のお口直し‥

1-4)ver.2014/03/26

> うた詠み始めます。よろしくお願いします。


のびのびと自然を満喫、清涼を吸う。
吸い込んだ侘び寂びとのびのびと歩く。
「歩こうか‥」吹く風咲く花のびのびとし春。
春盛り、恵みの芽のびのびと綻ぶ色の景。


> うた詠み終わります。ありがとうございました。



1-4)1
 まぁなんといいますか‥

 物事にはテーマが付いてくるものでありまして、
 参考にも、お口直しのように全部を通して詠みたくとも、
 いろは歌留多にしようとするとどだい無理がでます。

 理由として、

 それは、言葉の響きに縛りがあるからです。
 響きに縛りがあるというか、個性があって、宇宙と同調している‥
 もっと言ってしまえば、宇宙の持つデザイン性が各々の言語にも波及するのです。
 ある意味、その言語を用いる民族の歴史はほぼ決まっていたと運命論付けることも可能かと‥
 (言葉を生み落とすためにも、民族と歴史があるようなものですから。)

 ‥そんなわけでしょうか、本編の「の」は、へんくつな響きが採用されております。



1-4)2
 日本人として、世界の共通言語がどうして日本語にならないのか‥
 それへの疑問も、著生の場合また違った角度で募るわけですが、


> それは、地球の人類構成が英語圏に合うように調整されているからです。


 日本の文化色テーマと英語圏の文化色テーマはまったく違います。
 白と黒ほどに違います。

 どちらが上とか下というわけでもなく、
 役割がまったく違うという意味です。
 そして、住まう上でのテーマも違っております。

 日本に生まれて息苦しさを感じるのは、
 英語圏のテーマを持ち込んだままだからです。
 日本のテーマを理解すれば、息苦しさも少しは和らぐかと。


> ‥しかし不思議なことに、


 理解できていない人数が肥大化していると、
 自らが理解し得ようと、息苦しさに変化は訪れません。

 それは英語圏においても同じことになります。

 英語圏でも自らのテーマの許容で表現できない壁にあたると、途端に苦痛を感じ始めます。
 日本語の場合、苦もなく外から取り込んで平然と用いられるばかりですが、
 ‥横文字文化でそれが上手く行くようにあるとは思えません。

 それだけ多くの言語は、取り込みに柔軟性を欠くのです。

 その割には、
 その人生観は日本人のそれより柔軟性が高いと言いますか、好奇心に満ちています。
 ‥敬語の要素のあるなしが大きいせいかもしれませんね。



1-4)3
 日本人の誰しもが、正しく敬語を用いている自信なんがないのに、
 敬語の重要さだけが理解されているという日本の不思議。

 ここが日本と世界の大きな違いと言えるかと。

 そこんところを理解しておかないと、
 ビシッとした日本語を並べるのはおぼつかないかと‥


> 敬語を学ぶ上で一番に宜しいのは、作法を丸ごと呑み込ませることですが、


 人間面白きことに、特定の時期を逸すると受け付けなくなります。
 個性の差もあるでしょうが、経済面からの差もあるかと‥

 上流階級と礼儀作法‥

 憎たらしいほどにも、
 質の豊富さを身近にすることで、礼を身につけさせる効果は大きいのです。
 ‥著生なんぞその点、山猿の中の山猿。

 何が一番に山猿をもたらすかと申し上げますと、
 それは無知と無関心です。


> ところが、この無知と無関心も小さい頃から身につけないと身につきません。


 ようするに、二択です。
 上流階級の偏見にしても、下々への無知と無関心の現れがありますが、
 ここでいう山猿の無知と無関心は、型に対しての無知と無関心を指します。
 ‥そりゃそうでしょう。

 そして、

 敬語を使いこなす民族が、
 敬語を重要視しない民族に付き合うというしんどさは、
 貴族の偏見のようなものであり、

 日本人の感性が閉塞的に見えがちなのも、
 別の型に自らを押し込んでも、どうにか形になってしまう言語感からの特徴になります。
 どちらかというと、型がないと居心地が悪い‥
 型を丸ごと呑み込んで受け入れている‥まぁそんな風になっているからなのでしょう。

 ゆえに、

 型を取り上げられることに非常に敏感で、
 型を移すことに平然としていられるような文化色に対する防衛意識が高いというわけです。
 多民族にとって言語は家ではなく、行き来するためだけの道具です。

 ‥その点日本人は、言語は家であり、その性格と都合から横並び意識も高く、
 始めから家の在り方に的を絞った生き方を選びがちになるのです。
 (そりゃ、しんどいですわな。)
 で、行きすぎた後の祭りがビジネス用語の国内英語化です。



1-4)4
> 日本を学ぶと言うことは、敬語に理解を示し、用いることである。


 其を置き去りにすれば、日本文化はがらんどうになるのみ。
 でもはっきり言って、敬語なんざしんどいだけ‥まずは環境から整えたし。

 ‥しかし、今度は気持ちが付いて行かないと。orz
 この‥気持ちが付いて来ないという事象に気がつくかどうかがとても重要。


> ‥俺は山猿同然だったから、とてもよく理解できたと思っている。
> ‥頭でもなく、心でもない。どうしようもなさとのご対面だった。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:47 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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