2014年03月28日

【刮目】もてなしの影に地球あり

1-2)ver.2014/03/28
 さて↓こちらの四つ目ですが、

|「もてなし」が立つのは自信の現れ。
|現れを以て、もてなしは汝を磨かす。
|「磨かせて下さい。」其はもてなしの心得。
|得たさの未熟が控え目に合ってこそのもてなし。


 ‥取り逃がした客は大きいと、
 ついついそう意識しがちに偏るのが商売のおもてなしにございます。
 確かに、未熟があるからお客様に逃げられる、リピーターには繋がらない。
 「控えめといえども未熟なんて有り得ない‥」

 ‥そうですそうです。そうやって悶絶する方向こそ欲そのものであります。



1-2)1
 「もてなし」と言ったってね、
 もてなしが立っててもね、所詮は自己満足です。
 自己満足じゃないって言えるようになるにしても、条件が一つだけ隠れています。

 そもそものもてなしの背景にあるのが、
 地元の環境です。地元が清らかであるというところにもてなしの活力が生まれるわけです。
 まずは地球なり土地の神々に感謝することを忘れてはいけません。

 その環境に負荷を掛けても、客を逃がしては成らないなんて言っているうちは、
 「なんにもわかっちゃいませんよ。」


> 地球と共に、如何に素晴らしくしていくか。
> そこに心配りが無くなった瞬間から、意味が無くなります。


 ‥そう考えれば、
 何も考えずとも、リゾート開発からして、疑問符の山なんです。

 沖縄の基地移設の問題にしたってね、
 そもそもは、それの意識欠如が蓄積している結果の現れです。



1-2)2
 その上で、得たいという気持ちが何か?と問えば、
 「如何によろこんで貰えるか‥」
 そこに得たさがあるわけで、儲けが欲しいとか、伝統や名誉を繋がなければならないとか‥
 そういう自己満足とは関係ないのです。

 その上で、尚、百発百中でよろこんで貰おうなんて、
 単なる自信過剰の押しつけがましいだけでしょう。

 そういう意味でのウケを外す失敗はいくらでも起こり得ます。
 ‥まぁ、だからこそ一致団結が求められるという落ちに。


 お互いの心のまとまりこそ、おもてなしの最然であって、
 競争原理よろしくに個人のおもてなしが立ってるだけってのは、次点です。
 ‥でもいきなりそんなことをふっかけても、恐れ多さを煽るだけですな。


> ‥人が育ってこそのおもてなし、地元が清らかであってこそのおもてなし。
> 明るく生き生きと、プレッシャーを掛け合うのではない、熱意を掛け合うべし。


 「ああ、柄じゃねぇ‥」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:17 | Comment(0) | 日記/2014 | 更新情報をチェックする
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