2014年03月31日

【うた詠み】「を」差し替えてみました。

1-2).write.ver.2014/03/31
> うた詠み始めます。よろしくお願いします。



|「惜しみつつ」断捨離と向き合う私好みの価値。
|私好みの価値を選んだ私と惜しみつつ夢の跡。
|夢の跡、惜しみつつ思い願わくば今ここに。
|今ここに立つ。惜しみつつを振り返れば松の道。



> うた詠み終わります。ありがとうございました。



1-2)1
> これからの道に希望が咲くと花の道。(いわゆるアメリカンドリーム。半分妄想。)
> これまでの道に希望が続いていて今なお在るから松の道。(これこそがジャパンロード。)


 スゲえぜ日本語、日本の文化!!
 そんな使い分けまでできたんだ。(始めて知った‥OTL)


 ということは、正月に門松を飾るのは、
 先祖の築いた道を、松で飾って祝うってことになるんだな。
 ‥たしかにそれならば、正月にこそ相応しい習わしである。
 (うちは飾った事ねぇけどな。)



1-2)2
 ついでなので、没になった前の奴の解説を少々‥


|「惜しみ」つつ、断捨離するのは物までな。
|長生きの苦楽に惜しみぞ数えきれぬ。
|「数えきれぬ惜しみの誉に吾も成るか‥」
|「成るか‥」など惜しみ捨つるぞ諸行無常。



 個人的な趣向として、
 諸行無常のはめ込みが気に入ったのですが、
 人によっては様々に解釈ができてしまうのです。

 例えば、「数えきれぬ惜しみの誉」を英霊に掛けていると思えば、
 次の首は反戦の意と思われなくもない‥
 しかし、日常的に一角の人物になる意と解釈すれば、
 次の首はすべてを放り出して諦めたとも受け取られかねないのです。


 それでも、単独で詠む限りにおいては、
 人生いろいろと何が起きるか分からないのだから、
 一つに囚われるのもどうかという前向きな解釈も可能です。
 ‥ある意味、潔さの響きが心地よくも受け取れるのですが、
 それならそれで、「人生塞翁が馬」でも同じだろうと言うことになります。
 それはそれで、諸行無常の意とは随分と趣が異なってきます。


> なんだかんだで、わかりにくさを内包してしまっております。


 そこでよく見ると、
 始めの首に、「断捨離するのは物までな」と断っているわけですから、
 命を粗末にするという解釈に対してあらかじめ回避の意を入れてはいるのです。
 ‥その次の首がさらに、すべてを放り出して諦める意をなんとなく打ち消しています。
 「一旗揚げるか、いやいや、地道に行くのが塩梅が良い‥欲を掻く必要は無い。」

 それであっても、

 無常の響きはどうしたって欲を断つどころか、
 生活感までを放り投げる意を思わせてしまうところがあります。

 なんだかんだと、惜しみのテーマとして、視界不良だったかと‥


> なんとなく宜しくとも疑問符が点れば、それにツッコミを入れて学ぶのが面白い。
> 誉めてばかりは糞である。「まぁ良いんじゃない」は、「もっと考えろ」の心の声。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:56 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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