季節が変わると考えるチャンネルも変わってしまうのが著生の性分‥
社会生活をする上でのどうしようものなさ。
‥克服する気なんてまったくない。
それを取り上げられると、俺はまったくのただの木偶の坊になりさがる。
ほんと、その辺のぺーぺーと変わらないただの人になりさがるのだ。
そもそもにして心の中身が集団生活不適応者だ。
著生の歌の数々は、反省文の意の方が大きい。
負があるから整理ができるのだ。だから、
正ばかりだと思えば、他人の負しか見えないことになる。
もしくは、てめえの自慢話ばかりということになる。
‥俺はそんな間抜けにだけは成りたくない。
間抜けと木偶の坊の二択なら、間違いなく木偶の坊を選ぶ。
それが木田舎滝ゆる里である。
> 自らの負を抱え続ける矛盾が他の正を正しく見る心を養う。
> ‥ただし、自らねじ曲がり兼ねない危険性を孕む。
> 著生の口癖は、「つまらない」と「めんどくさい」である。
そんな太々しさと付き合いながら、記事を書いてきた。
詩人の性分でしかないくせに、
糞めんどくさい民立発行論を展開させ、あとはほとんどまとめるだけに成ったと思う。
つまり、それを書き上げると、
「民立主義へのVision」はテーマとして死ぬ。
死ぬ前にしておくことと言えば「整理」だ。
ようするに、ブログの引っ越しのための整理である。
> 手短に申し上げれば、零式経済のまとめを放り投げて、詩人モードに浸らせて頂く。
> 現在、すでにそんな感じである。(更新の中断気配。)
‥ブログの方が微々たる数であっても読者が付きやすいし、
そう思えば、新ブログに向けた取捨選択と見直し整理が第一かなと。
没にした過去ブログも合わせ、提示中記事の見直しと整理が兎に角、
したくもないがせざるを得ない。
(一番に楽ちんなのは、ばっさりと削除することだが‥思考の流れが不明になる。)
俺は、下手な書きっぱなしのままで、
放置提示しているというのがどうも好かん。
‥句読点のあるなしにしたってな、気になるんだよ。
> そんな馬鹿の本音は、「どうして世の中未熟のくせに給料もらえる?」のである。
> ほんと理解できねんだけど。
2014年04月07日
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