2014年04月25日

【刮目】鶏口牛後の現代解釈とリーダー則

1-4)0
 【鶏口牛後】けいこう-ぎゅうご
 大きな集団や組織の末端にいるより、
 小さくてもいいから長となって重んじられるほうが良いということ。


 進学する上において、
 ワンランク上の進学校に通うか、それとも下げて普通校に通うか‥
 まぁそんなときにも鶏口牛後を口にする場合もある。


> 鶏口牛後の故事の由来がそもそも‥


 中国戦国時代、遊説家の蘇秦さんが韓王様に、
 小国とはいえ一国の王として権威を保つのがよく、
 強大国の秦に屈して臣下に成り下がってはならないと説いて、
 韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国が合従するのを勧めたとある‥

 「だから何?」
 結局は滅ぼされちゃったんでしょ。

 ‥蘇秦さんは戦争商人の回し者で御座いますかね?

 例えが飛躍すぎてちっともピンとこない。
 俺は高校の時、授業でこの言葉を習ってそう思っただけだった。
 なんにせよ、霧中状態のおつむだったからな。


> 残念にも、当時はそのまんま「だから何?」止まりだったさ‥
> そして今、ようやくにしてピンと来た。



1-4)1
 都会はどうかは知らないが、地方じゃ小学中学とごちゃ混ぜだ。
 ごちゃ混ぜだからいろんな奴を観察する目を養える。

 ところがである!、

 なまじ進学校しか囓ったことがないエスカレーターを真っ直ぐのぼると、
 そこの所がまるで分からない。そういう奴が社会を動かすことになる。
 ‥実際、半分半分ってとこだろう。


> で、高校に進学する段階になると地方でも強制分離が行われる。


 何かと周りを引っ張っていた優秀な奴らが、一気に居なくなる。
 青春の時代だというのに、リーダー格が居ないという事態に陥るのが格下の事情だ。

 リーダー格がいないといいわいいわの空気しか生まれない。

 そういう事態に陥るのが進学の事情だ。
 長い目で見ると村社会構造の方が、誰に何を頼めば好いかが分かるのに、
 振るいに掛けられるから繋がりが見えなくなる。

 下の集まりなんか、それこそ日常のありきたりな消耗で、
 青春期とはいえ‥新鮮な何かを目立つようにやる奴はまぁそんなに居ないよな。
 ‥自分たちは格下だからどこか自信がないというか牽引役が居ないとダメというか。


> ところが上は上で上の事情を抱える‥


 周りは勝手に自分のしたいことをしているような連中ばかりだ。
 積極性があるのは良いにしても、その積極性を分け合う所にまでは及ばない。
 なにしろお互いがライバルでもある。そういう熾烈な間柄でもある。

 だから、自慢しようにも格下の奴が居ないから、孤独を極めることになる。
 ちょっとした好奇心の繋がりが発生しないということだな。

 ‥逆にそうでもなく、

 優秀同士なまじ馬が合って上手く行く経験を得た場合、
 社会に出てから下を引っ張るという知恵を回すよりも、
 人を入れ替えた方が早いと考えるように成る。まぁそんな感じだろう。


> その点、村社会では、嫌でも筒抜けだ。向こうの方から野次馬がやって来る。


 暇をもてあました奴らが、目新しいことを求めてやって来るんだ。
 嫌でもツーカーな連中を使いこなした方が、理に適っていることを見いださざるを得ない。
 この違いの構造をよく頭に叩き込んでもらいたい。



1-4)2
 大企業の社長と中小企業の社長の違いが先の説明に当たる。
 まさに鶏口牛後そのものだ。

 経営陣や社長自身が、下を引っ張る経験を積んでいるか、
 優秀どころを選んで使うことだけを身につけているか、
 まぁそこの違いがあるということだ。


> ここでキーになるのが、格下の普通科層ということになる。


 人を引っ張るには目的が必要だ。
 工業や商業だとそれなりに将来の希望がはっきりしているから、
 学業以外のところでの頭角を現すことがそれなりに可能の環境にある。

 しかし、

 普通科に進んでしまうと、そういう目標性の一致を見いだしにくい。
 それこそ部活動ということになるだろうが、
 それ以外になると、馴れ合い状況のお約束にしか成らない。

 とくに男女間のコンプレックスなんかその状況にこそ課題があるように思われる。

 はっきり言って、非生産的青春を過ごす流れになりやすい。
 ‥まぁそういう軽めの青春を過ごしたいから普通科というものがあるのだろうけどね。



1-4)3
 だから普通科そのものの概念がよろしくない。

 上のランクに進めば進んだで下克上、そこでの落ちぶれは、
 自分の自信を取り戻す人間関係を再構築するきっかけがなかなか掴めない。
 下のランクに進めば進んだで、リーダー環境に乏しいために、
 だらだら過ごす感覚が無駄に身につく。

 人生の先がまるで見えなくなる競争進学というシステムは、
 単に競争を煽るだけのシステムでしかなく、
 長い目で見て、人生に生きがいと繋がりを形成する上で相応しい形にあるとは言えない。

 ‥誰が見たって糞なのだ。


> そもそもにおいて、肝心要の下を引っ張る人間性の形成を有さない。
> 下の環境を知らないから経験が不足しているから頭でっかちになる。ブラックになる。


 そこが競争システムの失敗だ。
 その裏にあるのは、富裕層の吾が子の教育環境の安定策という奴になるのだろう。
 ‥こんな視点で教育論を語る人を、まだお目に掛かったことはないな。



1-4)4
 まぁそんなこんなで、アイデアとしては、高校版の産学連携を論ずることになる。
 普通科のいいところはアバウトさだ。
 企業戦士に不足しているのは、下を引っ張るという経験値だ。
 ‥男女のコンプレックスにあるものは、社会に出るとどんな奴になるかが認識しにくい点だ。

 この三つのニーズを考えれば、

 企業が地元高校に出張所を設けて、部活動を立ち上げるといったところだろうか。
 授業でもいいと思うが、くらしそのまんま的なものでないとお話にならない。
 お互いに何かを企画して成し遂げるという経験値が必要だ。

 専門校を作るとか、特別科を設けるような形式では無く、

 あくまで経験値だけを積ませるための地域活動なり生産活動を、
 くらしのニーズにマッチさせて取り組むような事柄が良いと思う。
 ‥今や教師にしたって経験値不足なんだからな。

 企業の方から人が来る機会が得られれば、教師だって、
 生徒の進路・就活を考える上での視野が広がるってものだろう。
 ‥卒業生には地元の学校に戻ってきて頂いて‥なんてことにもなるだろうか。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:21 | Comment(0) | 日記/2014 | 更新情報をチェックする
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