2014年05月25日

【詩】継続権のすすめ

下意_001

下意_002


継続権のすすめ /木田舎滝ゆる里


ゲームでの醍醐味、
それは難易度を上げてクリアーすること。
ゲームゆえ‥後手を切り返して先手を得る過程は楽しい

されど、

人生に置き換えて実際に歩むとなると途端にうんざりだ
何故に‥わざわざ絶望的な後手を選択せねばならぬのか‥
少なくとも、継続の目処が立たねばやる気にはなるまい

それがゲームと人生との違いである

白黒付けて遊ぶのがゲーム
白黒など誰も望んでいないのが人生

ゲームにしたところで、
ゲームバランスが悪ければ総スカンである
誰しもが、そのゲームバランスが気になって仕方がない

そうだ、人生における生活水準が気になって仕方がない
どうしてこんなにも不公平がまかり通るのか

誰がいつ‥人生を競争という名のゲームと化し、
奪う者と奪われる者の決定に経済を用いて良しとしたのか?

それでは人権を保障すると宣言しながら、あべこべではないか


競争に勝って上に立つ雲の上からの独占、頑張ったから俺の物
俺の物、富の再分配に取られるなんてまっぴらで議員と顔なじみ
顔なじみの支配層、下層とは他人なり下層の人権より上層の特権
特権を得るためのゲーム、ゲームを支配するための経済管理


継続の保障‥
そうだ、吾に継続の権利を与えよ
そうだ、私たちに継続の権利を与えよ
人生はゲームにあらず、人生は継続の場なり

継続を推奨してこそ文化、継続を保障してこそ政治

「支配者が誰であろうと関係ない
 吾に、私たちに、人生におけるトライの継続を与えよ!!」

生存権などと生ぬるい、
人生におけるトライの継続の権利を法に刻むべし
幸福の追求権などと‥
贅を貪るために飾られた寝言のような権利ではない、
正ある探求を
誠ある探求を
歩み続けるためのすべての改善の要求だ!!

支配者が自らの支配の継続を望むように、
民衆には民衆の継続したき欲求があるのだ

ゲームバランスを欠いたゲームなど要らぬ
ゲームの論理を現実に持ち込んだだけのずさんなど不用なり
posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:03 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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