2014年05月30日

【推理】睡眠とは何か?

1-5)記稿.2014/05/30
 ‥生物の体自体に睡眠が必要とされるのか‥
 それとも、宿っている方の意識に必要とされるのか‥


> 両方共に必要なことです。
> では、それはなぜ起こるのか?


 ずばり、アップデートです。
 もしくは修復サーチです。



1-5)1
 まぁこんな意見にこんなツッコミがあるかと思います。


> 心臓は動いたままだぞ。


 まぁそうですね、体が全停止すると一般に死の扱いになります。
 でも、アップデートにしても、修復サーチにしても
 起動していないと機能しません。

 いわば、再起動させるのに、睡眠という所作が必要‥
 そんな推理です。



1-5)2
 眠たくなる理由を化学的なうんちくで今は捉えません。

 ‥何かが、精神なり肉体に、変化が起きる度に、蓄積がある度に、
 整理する必要がある。それが睡眠という形で表現されているのでは無いのかと‥

 起き続けたままでいると、
 都合の悪い負荷が発生する‥まぁそういうことなんじゃないのかと。


> 化学的に寝ないでいると肉体にどんな影響があるかの情報を得たことはありませんが、


 寝ないで暮らせたとしたら、何が違うかを考えることはできます。

 自然界なら、24時間獲物に狙われ続けるストレスを感じ続ける‥
 人間の暮らしなら、気分の切り替えが上手くできず、同じ思考の中を堂々巡りする‥
 まぁそんなところでしょうか。

 自然界にしても、人間の暮らしにしても、
 寝ることで昼型夜型の暮らしに差が生まれます。
 それによって、個性が生まれ、リズムが生まれています。
 睡眠がなかったとしたら、これら生態の差、生活スタイルの差は発生しません。

 つまり、発生させる必要、つまり自然界の都合から、睡眠という間仕切りがされ、
 そのついでに、各々の睡眠の間に、全体における調整が成される。



1-5)3
 はて、全体における調整が成される‥とても不思議な表現ですね。


> さて、振り返ってみましょう。


 何のためにアップデートが必要なのでしょうか?
 修復サーチは、まぁ日常的に理解できるかと思いますが、「アップデートって何?」
 もしあるとしたら、何のために生きながらにして、新しい追加が施されるのか?
 ‥実に不思議な問答です。

 成長は個人的な現象です。
 アップデートは、全体的な現象です。
 猿のイモ洗いとも違います。

 例えば、言語を理解する。
 文化を理解する。
 ‥なぜ、新しきを共有できるのか?

 一般に、新しいことを共有しようとすると、肯定と否定に別れますが、
 ここでは、なぜ共有できるのかだけに絞ります。
 肯定派にしろ、否定派にしろそこにあるのは共有です。

 睡眠が生ずることで、生態に差が生まれ、個性に差が発生しています。
 睡眠中にそのふるい分けのような情報伝達がされているとしたらどうでしょう‥
 ‥でもどうしてそんな必要があるでしょうか?

 自分の意志の働きのはずなのに、
 睡眠中における書き換えが自分の意志決定を左右している‥
 「そんな馬鹿な」‥これはそういう問答です。



1-5)4
 例えば、男女の好み‥有名人に対する好み‥職の選択などなど、
 そこにある共有、そこに発生するだろう共有‥

 日々誰かが、そこに発生する何かを選択する度に、
 誰かの選択肢に物理的可否が生まれるわけですから、
 ‥全体において、
 希望に対する好奇心の再度ふるい分け、再調整が常に求められることになるはずです‥


> 人類生態を全プログラムするとすれば、そんなところに目を付けてみても良いかと‥


 いつまでも一調子で固定化された感情や思考しかしない‥ロボットでは、
 変化に対応できません。
 忘れないで覚え続けているのもロボット染みています。
 当然思い出したなんてぐらいが生命的と言えるでしょう。

 私たちが日々、適当にもいい加減にも気まぐれにも、生命的に柔軟にあれるのも、
 全体の変化に対して、無意識に再調整できるネットワーク機能と能力があればこそ‥
 ‥そういうことになるのではないかと思われます。


> ならば、


 ただでさえ、変化の激しい社会において、寝る時間を得られない得ないということが、
 変化に乏しかった時代に比べて、異常なほどのコミュニティ不良を発生させている‥
 ‥という考え方が登場するわけですね。


> ほんとかどうかは知りません。


 ‥いつもの思いつきなんで、調査裏付け等は各自で検討して下さいね。



1-5)5
 DNAの違いがどれほどに人格に影響を与えるかは知りませんが、
 違うからこそ、再調整を繰り返せるネットワーク機能がなかったら、
 好みの変化もDNAで説明が付く‥なんて論理に成りかねません。


> でも、適当なんです。
> 大抵は何の理由もなく、自らに選択肢の変化を請け負うのです。


 人類ほどそこんところが著しく厚かましい連中もいないわけですから、
 そこんところの集合習性までをDNAだと言い切るのも変な感じがするわけですね。

 ‥ほんといい加減な癖に、
 全体としてそれほどにばらけることがないのは不思議としか言いようがありません。

 テクニカルな誘導をしようとしまいと、
 上手く行く場合も行かない場合も合わせて、適当に社会現象という奴はトントンです。

 ‥そういうアバウトでありながら、極度に偏らずに均一性を保つというのは、
 実に不思議なことだとは思いませんか?
posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:50 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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