これは100分 de 名著の旧約聖書を囓っただけの知識から得た理解であり、
とくにユダヤの論理に精通しているわけではないことをお断りしておく。
> ‥ずばり、
「神が自分たちを救わないのは自分たちに罪があるからだ。」
‥???‥
なぜかそれ(罪)を努力不足とか、自立が大切とか、
そういう論理展開を素直にしないのが宗教で、
宗教ゆえに、信仰ゆえに、神が自分たちを救うものだとの思い込みで成り立っている。
その一方で、
神は手を差し伸べて積極的に自分たちを救うものではないという理解が、
ユダヤ民族の受難の歴史観から構築されて来たそうだ。
日本の風土の中で自然体にある祈りや和とは異質な信仰観であり、
日本人とは相容れない解釈をするのがユダヤの論理である。
> ‥生き方の原点がまるで逆さだ。
そんなのと日本人の発祥の先祖を同じにすんな。
‥どこかにすり替えがあるとしか思えない。
1-4)1
罪がない状態を救われている状態にあると言い、
信仰によってのみ、救いの状態がもたらされる。
‥その状態を得ることを教義信仰の目的としている。
それゆえ、人生が上り調子で上手く行っているようにあると、
速効で自惚れるのが正しさという性質を抱え持つ。(心理的な構図)
‥西洋人の習慣とを比較するとそう言わんばかりに思える。
‥西洋人の異常なほどの白人優位主義を思うにそう思わざるを得ない。
つまり、
実社会において、{罪が無い}={やりたい放題をしても良い}
罰せられない限り、落ちぶれない限りにおいて、救われている。
自分は正しい。自分たちは正しい。
> ‥道徳や倫理観の修得などどこ吹く風なのだ。
それがユダヤの罪の論理であるようだ。
はっきり言って、気狂い勘違い御門違いである。
‥まさに欧米資本主義の原点の原点と言えそうだ。
ユダヤ人の文化が、資本主義の核を育んできた。
否否、大衆から金品をふんだくるために言いくるめて来た錬金術の如しか‥
1-4)2
キリスト教においても、原罪の論理は同じにある。
信仰においてのみ救われるという解釈を継承し、
イエスは救われた存在、その教えに従うことが救いである。
旧約聖書を経典とするユダヤ教と大きく異なるのは、
そのイエスを殺してしまった、だからユダヤは罪の存在‥罪の民‥
> ユダヤの信仰は、ユダヤ民族の受難の歴史の流れでなぜか解釈が変わるものらしい。
もともと民族の神のような解釈だったヤーヴェだったが、
ソロモン王が多神教を始めてその死後‥バビロンの繁栄が地に落ちると、
いつの間にか、ヤーヴェは宇宙の創造主に変わったのだという。
そこにある解釈がこれまたぶっ飛んでいる。
‥自分たちが救われない状態に至ったのは、ヤーヴェこそが最高神であり、創造神だから。
‥間違った信仰に真の救いはない。
それから後、
トルコ勢の王から口伝だった教えを、文章化することを勧められ、
それを納めることになった。
一旦、納めたそれを、誤字脱字を訂正する場合にすら、
その都度、よその王に断りを入れなければならない有り様を、
信仰の侮辱と解釈し、そのままに据え置かれることになった。
その有り様を抱えたままに、聖書が形成され受け継がれていく次第になった。
‥それゆえか、不足が生じれば、新たに章を設けて増やして行く方式の誕生となった。
キリスト教もなぜかそこを引きずっており、
ユダヤの罪があり続ける限り、人類が許され救われている状態にあるとは言わない。
救われた物証として再来するのがイエスその人である。
だから、聖痕などの証の具現を合わせ持つことは、とても重要である見方が生まれた。
‥救われるには、イエスの言葉に習うことが第一である。
> という感じの堂々巡りの物語を信仰するのが西洋の一神教である。
‥おおよそこんな感じだった。(100分程度のフィルムで正しく理解したつもりはない)
馴染まないんで、忘れてしまった部分もある。なんで終末思想に繋がるのかを忘れた。
1-4)3
神は何もしてくれないことを理解しながら、
それは自分たち人間に罪があるから‥を意の一番に定義している。
道徳や倫理を社会的な規範として身に付けることを求めるわけでもなく、
ただ単に、神の絶対と権威を信仰したいだけで、
それに都合良く、尾ひれを付けていった‥
> ‥そんな感じのユダヤの文化
> おつむのベースにあるのが、とことん他力だと思う。orz
子供が単純にいい子いい子されて喜んでいる様‥
イヌが飼い主の望むことをして餌をもらって尻尾を振っている様‥
神の期待する思惟から外れた行いをすれば悪であると諭すわけでもなく、
喜んでもらえる様をひっくり返して、
ご褒美をもらえない状態を、神が祝福しない様に置き換えて断定し、
ご褒美欲しさに、十戒を守れば信仰であるという程度の鵜呑みに懸命である。
> なんて幼稚なままに見事な信仰モチベーションなんだ。
根底にあるものは、どうしたって、
罪が無いなら神に祝福されてリッチなはずだ‥という一方的な解釈のみで、
神の意図などわかりゃしないのだから、すべては勝手な見方になるにせよ
‥それを神を裁いていると諫めて表現するわけだが、
逆に、神が居ないとなると、
我々の存在に、説明が付かないと言わんばかりの信仰心を見せつける。
えせ宗教にとって大事なのは、どうやら‥
神の存在を見せかけることであり、神の思惟する倫理を教え諭すという事では無い。
自分たちの神の存在を肯定するからこそ宗教、そこには、それだけの定義しかなさそうだ。
> そして、祝福を得るにはとにかく愚直な教義信仰しか無いと説く。
その信仰心は時には試されるものであり、
神は信仰する者に対して、試しの御使いをよこして試すものである。
その受難の中に置いても、神を疑っては成らない。
‥とまぁ堂々巡りの論を展開している。
それが西洋の一神教の実体であり、西洋人が支持してきた解釈の落ちと言うことになる‥
1-4)4
もちろん、これは学識上の大ざっぱな見方である。
信仰における個人差を取り除いている点は否めない。
されど、
その信仰心とは、教義で決められるだけが信仰心ではないとし、
信仰する側の勝手な思い込みを以てよしとしてしまってもいる。
‥其もまた人類の身勝手なマイペースである。
> 誤った形に対して疑問を投げかけず‥
何でもかんでも、そこにある神を土台にしたままに、祈りを唱えても、
心ある信仰心とは言わない。
多神教から入ると、そこがあやふやになる。
そういう意味では、インチキな一神教があってようやくにしてバランスが取れる‥
‥人類の信仰心の平均値なんぞそんな程度か。残念。
> そういう意味で言うなら、日本人にしたって、多くが有り難信仰だからな。
> とんでも一神教だって、自分のセンスに叶えば、何でもありってところなんだろう‥
信仰心の究極とは、自分の内の信念を貫くことである。
そして、そこに至るまでの屁理屈に何の意味も無い。
‥勝手に信じ込んでよからぬ神を崇めるよりは、自己を尊重して徹底したって同じだ。
何しろ勝手に信じ込んでいる点においてどっちも同じなんだからな。
世界の三大宗教なんてな、ただ単にブランドにあやかりたいだけの心根なんだよ。
まぁ、先生は居ても良いわけだから、先生を選ぶ権利は誰にでもある。
そこは誰も否定するまい。
ただし、誰かを先生にしても、結局は、自分の先生は自分になる。
何事も、物事の最先端において先生なんておらんのだ。
まして自分の人生の最先端は自分でしかあれない。
‥先生から卒業できないという未熟こそ不敬の極みである。
自分が先生だとするなら、その手の心理が働いて当然であろうな。
先生を超えるのではない、自分を見つけるだけである。
‥そこを誤っていると、単にうぬぼれにしか成らない。親交を得て自然体なんだからな。
> もう一度言っておくぞ、
> 信仰×親交を得て自然体である。
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