2014年06月18日

[説才]大和の和VS.蝦夷の和

1-4)記稿.2014/06/18
 日本人の和と言えども、その性質にはそれぞれの違いというものがある。
 大きく分けると西と東ということになるだろうか‥

 否否、
 雪の降る地域と降らない地域との生活習慣の違いから生まれて来たことになるだろうか‥

 もう少し科学的にDNAの差を上げようなら、
 住む場所の好みがそのままにDNAの適正‥即ち、好き嫌いの差として別れ、
 風土の差によって、さらに感性の差を生み出して来たことになるだろうか‥

 ‥それにしても、民族として大きく異なる訳では無い。
 そう思ってみようとも、違うものは違うのである。



1-4)1
 とくにその昔なら、雪が降ると出かけられないどころか、蓄えが無いと村が全滅だった。
 機械など無いから、村一致での自給自足が欠かせず、保存食の創意工夫はその流れだった。
 余れば物々交換、地域交流の対象となり、食加工を通じてそれぞれの知恵を学びあって来た。


> 平和な環境だけを考えれば、そこで思考が停止しよう。


 ならば、戦をする上での定義ならどうか、

 ‥なぜ、争うのかはさておき、
 田畑の仕事が手持ち無沙汰になるから、冬の時節に怒りを爆発させる、戦を仕掛ける‥
 お互いに生活習慣の延長で考えればそうなろうか。
 しかし、そんなことが可能だったのは、雪の降らない地域だけの話になる。

 豪雪地帯なら、戦も短く済ませなければならず長期戦など有り得ない。
 そこで和睦文化というのが必要として生まれてきたことになる。
 それが列島の事情だった。
 日本の西の端から東の端まで、そんな都合が存在して来た。
 とくに、蝦夷の地においてそれは‥大和からすれば地味に映って見えていたに違いない。

 雪の降らない地域はそれだけ一年を通して動けるのが当然になる。
 雪だから家に籠もる雪国ならではのスタイルとは違い、外に出かけるのが主義主張になる。

 ‥いつもの同じ顔がそこにある暮らしと、多くの他人と関わることでそこにある暮らしとでは、
 当然として、同じ仲良くでも意味が違うと言うことだ。


> そこにあった違いこそ、兵農分離を生み出す違いに重なろうか。


 大和においては、租税を用いて競争をし続ける傾向の特化がそこに見られるのだ。
 だからそういう文化での税とは、拡大のための意欲を受け継いだ傾向を合わせ持つ。
 ‥拡大をすることが富の象徴、繁栄の在り方だとする捉え方である。

 一方の蝦夷では、

 冬に動くことは誰もできない。
 そう考えた上での行動を取らざるを得ない。
 だから、年貢を用いて、動ける時節に、新田開発を行うしかなかった。
 それはそのままに富の再分配を意味した。

 ‥そこに蝦夷人(えみしびと)の和の形が培われてきたことになる。

 大和人(やまとびと)のやり方にやる気を出しても、
 時すでに遅しと、豊臣秀吉に首根っこを掴まれた伊達政宗の切り替えの巧みさは、
 お手本と言えばお手本だし、宿命と言えば蝦夷人として恥じることの無い形だったことになる。


 戦国の世ともなれば、
 拡大が可能だった温暖な地域から大きくなり易かった要素は見逃せないのである。
 だから‥動ける側が駆逐してしまわないように、日本の地はさらに海や山で隔てられていた。
 ‥秀吉もさしずめ、寒い地域への出征など、したくなかったのであろう。
 ‥その点、家康のように我慢強いと、どこへなりとも出かけていきそうである。



1-4)2
 全体で見ると、如何にも蝦夷人の方が再分配の感性に優れているかのように見えてくる‥
 しかし、毎日同じ顔を付き合わせていると、
 「口で言わずともわかるでしょ」の空気になり兼ねない。

 すると、言葉に対して鈍感にならざるを得ない。

 一方の京の都のような環境になると、そんなのは通用しないのだ。
 言葉を得るにも、共通の話題から新しい言葉(流行り)が登場することになる。
 それが、国ごとにおける感性の違いをどう共有していくのかという課題でもあった。


> その昔に起きた共通の話題の変化が、
> 日本語の中に時代ごとの区分を生み出していると言える。


 平安時代なら、漢文化を取り入れた教養であり、
 鎌倉時代なら、仏教を取り入れた教養であり、
 その中心から外れようなら、地域ごとに伝統行事が共通の関心事だったことになる。

 ‥それにしたって、それらはなぜか神事が中心で、庶民の娯楽が話題だったとは言い難い。
 神事=稲作=村社会=祭=庶民の娯楽だったとも言えるだろうか。
 まるで歴史に残るように仕組まれたのか‥言葉に記憶が植え付いている。

 ところが、

 江戸時代になって、なぜか庶民の娯楽としての娯楽から言語に反映するようになった。
 その特性として、たぶん‥訓読みと音読みのごちゃ混ぜ感性が育成されたはずである。
 そうなるともはや、伝統なんかどうでも良くなる。おかしみの感性が優先されるのだ。

 訓と音がごちゃ混ぜになったのも、識字率が上がったからだ。
 全体としても、そこに新しさや発想の自由が生ずることになるだろうか。
 もし、識字率が低いままだったなら共有のしようがない‥


> そんなDNAが現代の日本では、横文字が加わって、さらにごちゃ混ぜになっている。


 そこにある奇妙とは、伝統をすっぱりとリセットして、
 今ある生活観の中から、例え形容詞的用語を導き出し、
 良かろうと悪かろうと、その意味合いを共有してしまう連帯感の発生である。
 (メディア文化的派生造語とも言えるだろうか‥)

 言葉という側面から見ると、

 豪雪地帯のような環境ではそれは成り立たない。必要がないからだ。
 なぜなら、日常の途切れを感じざるを得ない時節のたびに言葉で盛り上がるよりも、
 どちらかと言えば、定番の方が生活観として安定的だからだ。

 生き方を伝承する意味でもそこは外せない。
 ‥現代の若者の流行り廃りを見れば、そう思うばかりである。

 新しい言葉を生み出すうんぬんより、どう蓄えた資材で冬の時を過ごすのかが課題であった。
 流れとしても、手に職を掛ける時間は無口にならざるを得なかった。
 ‥どちらかというと、仕事言葉の方にひねりが向いたことになる。


> 交流が活発で、教養がある程度共有されていて、尚且つ、
> そこで起きた出来事そのまんまを略して言葉にして用いる文化力‥


 それは、同じような顔をした異国の者同士が、
 日々変わらぬ日常を望んで和む上での知恵だったことになろうか。
 それこそが大和人の和の形なのだ。(‥今時代のそれに風流があるとは思えぬが)



1-4)3
> それが何になるのかというと‥こういうことになる。


 あれはどうとか、これはどうとかを、
 何かに例えるのに、身近で今な響きに置き換える‥
 そうしないと、感性の異なる国の者同士で理解し合えない。

 今ここから始まる共有なり一体感を得るのに、自分たちの言葉が必要になるのだ。

 それはそのままに、
 今その時その時に起きた出来事をどう評価していくのかでもある。
 新しき響きの中に、お互いの感性を露わにして取捨していくのだ。
 それが、自分たちが生きた臭い付けのようになる。

 しかし、それらはある意味で、上を目指す空気しか生み出さない。
 同時に、価値観を一つにする傾向を仕向けてもいよう。

 お互いの事情から、恥ずかしくなさが成り立つように仕向けられたというより、
 それがお互い様の言い分として、成り立ったのだ。


> そこに培われたのが大和人の文化であり、和や雅に発展して来た形でもある。


 そこに敬いの気持ちがあればこそ、言葉にも艶がでよう。
 しかしどうか、敬わずに愚痴ばかりをまき散らしていると、
 ちっとも奥ゆかしくなんか成らない。

 意見を持って主張することを勧められたとしても、
 何も批判するばかりが、意見ではないのだ。
 ‥どうもその辺の解釈に今時代には、方向性の違和感が見られる。


> そもそもにして、このような大和人の気質には、
> 意図不明な成長欲、拡大欲に突き動かされた要素を合わせ抱え持つ。


 時が経つと同時に、言葉としての臭い付けの効果(新鮮さ)が失われていく。
 裏返せば、時代には時代に合った響きを求める遺伝子として派生して来たということだ。

 その結果、そのような派生語は、
 内輪にしかわからない隠語になりがちであり、
 さらに、無駄に意図不明な誇りを抱いているかのような空気さえ生じさせるのだ。
 ‥職人言葉にしても然りである。

 ‥自分たちの側に打ち解けられるかどうかという、
 上から目線の言葉遣い(文化)に、すり替わりもして来た。

 京文化はとくにそれだ。

 今で言えば、首都圏の女子の流行り目線の何様と言った勢いがそれだ。
 それでいて、死語と言い放っては廃れも多いのも事実‥

 その辺の断捨離感には、呆れるところもあり、世代ごとの差を知るところでもあり、
 それでどうして和が成り立つだろうかとの疑問にもなるところである‥
 ‥実際そこにあるのは女子のグループ化を促しているとも言えようか。


 ‥同じ言葉を使うから仲間、そうで無い場合には、
 言葉を生み出すだけの対象に成り得る何かを持っていることが欠かせない。
 仲間として受け入れてもらうには、何かと条件が求められている形にもあろうか‥

 ただし、そこには、言葉の対象にされた方の気持ちや都合なんか、
 まったくお構いなしで進行していく厚かましさがある‥


 何かとお高く止まった女子力も、元を遡れば、なんと村社会の負の形
 形から入るのが女子の性、ソーシャル時代に蘇る負の形の復活に鬱発生す
 好きでもなし嫌いでもなし‥ソーシャルとは「繋がることの未熟を責めることですか?」
 顔を覗いながらのだんべりも、ネット画面の文字からは成り立たず炎上自爆が日々日常


> まったく一昔前の親父たちの文化色と同類だな。
> ‥若者に告ぐ、君らが自慢げに話すヤバイ語とは、所詮、オヤジの始まりである。


 跳ね返り、父ちゃん母ちゃん批判して、歳を重ねてから受け入れる
 受け入れて、感謝が湧き出る後味に、ニガみこそウマしと好みの変化
 変化あればこそ‥残そうと文字に刻んで気持ちの落とし前
 前を向く、前を向いてきたつもりに立ち尽くして‥伝統うんぬん様々胸一杯


 いつの間にかオヤジになりながら、生活習慣ごと丸丸と受け入れて行く‥
 「それが、大和の和の原点???」


> ‥やれやれ。orz



1-4)4
 ちなみに俺の遺伝子は、主に長野と福島と静岡で構成されている。
 新潟なんかも入っているらしい‥詳しくは知らん。
 さらに、生まれは神奈川、育ちは静岡である。微妙に東よりの位置である。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:59 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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