2014年06月21日

[説才]危機感&季節感が無いと和する気持ちは持続形成しない!?

1-5)記稿.2014/06/21
 危機感‥それは、いつ起こるかわからないと言うこと。
 わからないからこそ、常在戦場として警戒せざるを得ない。

 しかし、わからないからこそ、
 お手上げで、協力する気にも努力する気にもならない。
 ‥そういった心理的側面も募ろうか。


> では、季節感はどうだろうか?


 同じ備えるにしても、ある程度予想ができると
 なんだかんだと、進んで協力する気にもなるものだ。
 ‥それでも、苦労は付きまとうわけだから、根気が求められることに変わりはない。
 ‥それゆえ、同じ苦労をする上での選択肢で言い合う側面を持つ。



1-5)1
> AとBがいがみ合っている所にCという敵が現れたとしよう。


 この場合、AとBが組んでCに立ち向かうかどうかは、Cの条件次第である。

 Cの力が圧倒的ならば、危機感を抱いてAとBは組むかも知れない
 Cの持つ何かに興味を示せば、どちらかはCと組むかも知れない
 Cが自ら両方とそれぞれに組む振りをして持ちかければ、AもBもCを信用せず侮るかも知れない
 ‥その侮りが一次休戦ぐらいをお互いにもたらすかも知れない

 どちらにせよ、危機感という意味での話なら、
 Cの存在が好戦的で、圧倒的な脅威を感じる筋書きになる。

 そのCの脅威にしたって、お互いが一致協力すれば、
 何とかなるとの算段が成り立たないと、まとまる話もまとまるものではない。

 人間の心理にしたところで、実際はこんなにももろい。

 問答無用で一致協力せざるを得ない状況というものを具体的に提示するとするならば、
 ‥何とかしたい気持ちの一致以外に有り得ないということである。



1-5)2
 このなんとかしたい気持ちの一致を民族的に身に付けるには、
 四季折々の変化に富んでいることが何よりである。

 春が来ても嵐の日もあるわけだから、ぽかぽかと暢気などしていられない。
 夏になると台風がやって来て洪水に見舞われる心配が絶えない。
 秋が来て日が短くなる間隔が日増しに大きくなることで、うかうかしては居られない。
 冬になると雪に埋もれて身動きがとれなくなる。雪下ろしするための頭数の確保も欠かせない。

 これが常夏だったり、常氷だったりすると、
 それが当たり前で、毎日同じように対応していれば良いだけの発想にしか成らない。
 ‥結果的に、一調子の協力だけをしていれば十分の発想しか身につかない。
 ‥そんなのは危機対応を必要としない状態とさほど変わらないのだ。


 常在戦場の如く、日々常に協力体制が欠かせない民族性とは、
 四季折々の変化があってこそ身につくところであり、
 それこそが、お決まりの繰り返しパターンの危機対応様々の賜ということになる。


> ところが、この四季折々を科学とやらで克服し出すと、そんな民族性も途端にぐらつくのだ。


 振り返ってもみた前、
 協力する必要がなくなることで、誰しもは好き勝手を始める時間を得た。誰も否定できまい。
 ‥それこそが科学の勝利と考えていたのに、協力する必要がなくなると、誰も感心を示さない。
 ‥関心のある日常とは、もはや自分の好奇心の気ままに向く方向だけと化する。

 協力しようにも、

 体制が崩壊しているから登場するまで待ちぼうけのままで、
 誰もは自ら率先してそうあるべきと行動するよりも、自分のしたいことを進めるばかりだ。


> だから治安は乱れる一方で、なんら解決に結びつかない。
> 誰もはやっつけ仕事しかできていない気持ちで一杯で、やりきった感を得ることができない。



1-5)3
 さて、まとめてみよう。


> 民衆が一致協力して行く民族性を得る、もしくは、培った形質を継続していくには、


 算段が成り立つ危機感が継続して続くこと。
 何とかしたい気持ちが一致していること。
 やりきった感をお互いが味わう上でも、達成との繰り返しが求められる。


> 早い話が、人工的に四季のような状態をもたらすのが知恵と言うことになる。



1-5)4
 ‥なら、科学で四季を造り出せば良い。
 バリバリの科学かぶれの発想ならそう考えるかも知れない。
 しかし、その結果、地球上の生命の進化に限定をもたらしてしまっては意味が無い。

 何かと失敗しないと学べないレベルで、そんなことをしても良いのは、

 どこか生命の存在しない不毛の惑星で実験を繰り返し、
 確かな技術を身に付けてからという条件が付いて回ろうか。
 そういう意味でも、このアイデアは没である。


> そこで、経済的に夏と冬を演出するのが適当という考え方になる。


 自分たちが儲けるためだとばかりに、
 裏でこそこそと不景気を演出していると、その他大勢からしてみれば、危機感しか生じない。
 一方の計画側は、季節感の中に居て対応の仕方が分かっている。

 まぁこれが今時分の旧式の経済コントロールのルールと言った次第だ。

 知っている側だけが、季節感対応でき、
 知らない側は、常に危機感に苛まれて過ごすことになる。
 ‥だからこそ、格差は生じ、多くの者が抜け出せず終いにハマるのである。


> そんなルールでは、諦めているだけの者が協力をしないのは当然だ。


 いろいろな意味でも、お互いが協力しているフラクタル形状にする必要がある。
 そのいろいろな意味を成り立たせる上でも、
 ‥自分発行を毎年毎に決めて使い切るルールは画期的だと思っている。



1-5)5
> この方向で説明されると、とりあえず誰も反論できまい。ふふふ♪
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:36 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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