2014年06月24日

[説才]競争社会におけるあれやこれやな心理を簡潔に斬る

1-4)記稿.2014/06/24
 発情期も含めて、SEXにエクスタシーが発生しなかったら、
 誰もSEXに興味なんか持たないだろう。

 赤ん坊がカワイイと思う認識がまるで成り立たなかったら、
 誰も子作りになんか励まないだろう。


> ‥それこそ、労働力の確保だけが目的みたいじゃないか。


 競争社会なんだから、ライバルは少ない方が良い。
 そういう意味では、人口は少ないに限る。
 ‥ただ、売り上げ的には人口は多いに越したことはない。

 そこで、

 始めこそ誰もが必要な物を積極的に消費するにせよ、
 そのうち飽きがきて、溜め込むことに精を出すようになる。
 なぜなら、経済は金融中心主義だし、競争に終わりは無いし、
 拒否権(あなたの世話にならなくてもやってけます)を手にできた方がいくらかマシである。
 ‥だから、二つを掛け合わせた理屈から、自然と溜め込む流れが生ずるのである。

 人口が多い→需要はある。
 デフレ経済下での勝ち負け二極化→ライバル減少の傾向。

 結局、薄利多売が流れになり、デフレ傾向をみんなで抱え込むのが落ちとなる。



1-4)2
 さて、SEXのネタは振りだが、
 仕事をする上で、給与の金額が目的になる意味が、どこにあるかは述べるまでもない。
 ‥世の中が競争だから、生き延びるためにも目先の対象に成りがちなのがカネとなる。


> では、その必要を外したらどうなる?(自分発行)


 仕事は楽しくなくては誰も興味を示さない。
 仕事は儲かるとか儲からないとかでなく、世の中に必要に無ければ興味を示さない。
 ‥あと最大の障壁になるのが人間関係である。

 気の合わない人とは一緒に居たくない。
 確かに、そこになんらかのメリットが無いと誰も一緒に居ようとは思うまい。

 ‥でも家族だとそんなこと言ってられないのだ。

 だから、そういう意味では家内制手工業の方が確かだし、分かりやすい。
 あすこの家族(経営)と馬が合うかどうかを考えれば良いわけだから、
 個人を対象にするより分かりやすいし、信用うんぬんにしたってそういう話になる。
 (ただし、投資家の理屈になると反対である。まぁ当然。それが投資家心理なのだから。)
 (投資家心理…自分たちの手先を送り込めないルールは認めない。)


> 気の合わない経験しかしたことがない人と、
> 気の合う経験量の多い人との人生観の差は果てしなく大きい。


 競争社会だから、そこに渦巻く格差も大きくなる。
 ‥格差社会に陥ると、そのダメージは空爆の如しだ。

 ならば、仕事と雇用の間で、及び腰になるのは当然だ。
 ‥結果的に、競争社会は、生産性や持続性に疑問を発生させるばかりである。

 そうは思えないように日常が動いて見えてしまうのは、
 やはり、機械化、ロボット化の功績ということになる。
 (産業革命とはよくもまぁ命名したものである。トリックの始まりがそこにある。)

 一部の際だった技術能力者らが、その才を発揮する度に、
 全体的にも、最低限の労働力で最低限の生産が成り立ってしまうのだ。
 ならば、それと同じ土壌で生きようとすること自体に、何のメリットもない。
 (‥無意識のうちに、誰しもはそこを自覚してしまうのだ。)



1-4)3
 そのような競争社会において、
 根っこで必要とされるのは、実際の所、財産の管理能力の方である。

 企業が稼いだ財を運用管理する上で欠かせないのは、難しい知識ではない。
 コミュニケーション能力と言語能力と人間力である。

 ただし、カネに対する欲求も高くないと続かないので、人材は不足することになる。
 ‥なぜなら、貧を舐めるとカネなんか嫌いになるばかりだからだ。
 ‥本質的なことを言うと、人付き合いへの関心が遠ざかるということだ。


> カネ=行動力=経験量=コミュニケーション力
> 貧=適当=妄想(思い込み)=溜息=ぼっち


 で、格差社会になればなるほど、上の人材の求める行動力に満ちた人材は少なくなる。
 なぜなら、富裕は富裕同士でしかツルまないのだから、
 その求めるべき規模もまた縮小傾向となる。

 ‥早い話が、経験量が多いかどうかは、社会的な関心に比例するわけだから、

 日常の怠惰的な自慢にしか興味関心が及んでいないようなら、
 そんな富裕の連中に、社会的なバイタリティなど期待できまい。
 ‥そこで、言語的について行ける層との違いに期待が及ぶわけだが、似た状況に変わりはない。


 文化的にそれが当たり前に成り始めると、


 エンターテインメントなヒット作が登場しにくくなる。
 日本と世界、単一民族と多民族、
 マンガアニメとハリウッドの差がそこにあったと言うことだ。

 作り手と大衆との間に生活観の差が生ずると、それ自体が垣根になり始める。
 そこの違いや規模が、タイトル数に比例していたと言えるだろうか。
 ‥まぁ当然だ。庶民は庶民同士ゆえのネタ感が平にあればこそ人気に繋がるのだ。
 ‥最近の傾向としてなら、社会現象の根っこを描くには当事者こそ適任という次第だ。


> ところが、採用する側は、そんなのは受けないだろうとのグローバル視点しかない。
> ‥実は、作り手の側もそうなんだけどな。


 作品が溢れている上に、今と昔のヒット性の違いに困惑しているとも言えようか。
 ‥ある意味で何でもあり感に甘んじて、自分の描きたい何かを問うていないのだ。


> 面白さの本質が何かと言ったら、それは、バランスとタイミングである。



1-4)4
 グローバルにおけるバランスとタイミング、
 ローカルにおけるバランスとタイミング、
 この二つはまったく別物である。

 大企業病とは、グローバルな視点からローカルをコントロールしようとするから失敗する。
 その反対に、成功した中小企業の流れは、
 ‥そんな大企業病の枠から離れて、ローカルに見いだしたところから始まった。


> つまり、


 ローカルゆえに発生するバランスとタイミングは、
 そのままグローカルへと繋がるよすがを得ていた‥

 ‥まぁすべてがすべてどうかということになると、何とも言えないが、
 上から当てはめようとしても、誤差が生まれるのは問うまでもない。
 だからこそ、ローカル目線で見えていることがとても重要だ。


> ところが、


 国家政府のやらかす経済政策という奴は、
 国同士の取り分配分を気にしてばかりで、ローカルで何が起きているかは二の次になっている。
 ‥ある意味で知らせないことが戦略だし、見せた上で強調しないのも戦略だ。

 相手国を警戒させても意味はないし、
 ‥などという戦略を以て外交をしていると、結果として信用されない。

 なぜなら、

 下に競争を強いている割には、自分たちは競争に本気ではないからだ。
 相手国を警戒させてでも、本音を強調すべきである。(日本は戦争なんかしません。)
 ‥本気でぶつかられて、それで完敗なら相手だって納得だ。それが信用になる。
 ‥スポーツマンシップならぬビジネスマンシップである。


> 孫子の兵法に書き漏らしがあるとすれば、そういうことになるだろうか。


 もっとも、孫子の兵法はビジネス書でも外交書でも無い。単純に謀略書である。

 ‥謀略とは、それを駆使した者を、疑いの眼差しに仕向けるゆえに常時乱用すべきではない。
 ‥駆使すべき相手を見定めた上で、始末するだけに用いるべきである。それが謀略だ。
 ‥裏返せば、危機回避にこそ用いるべきであって、天下転覆などと長期戦略に用いるべからず。


 危険を常に引きつけてしまうような謀略を、正しい謀略の用い方をしているとは言わない。
 儲けるための孫子の兵法活用なんざ論外である。この罰当たり目らが。


> 美に酔って、策に酔ったお間抜けの、最期の最後の潔さこそ品格なり
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:53 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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