2014年07月26日

[刮目]勝利への盲点

1-3)記稿.2014/07/26
 競争の場合、攻撃は最大の防御に成り得るが、
 共生の場合、弱いところから着目していかないと生(な)らない。

 競争だから、自分の強みを生かして生き残ろうとするのは当然。
 その上で尚、相手の弱いところからつけ込むのは当然。
 ‥単純なゲームでさえ、そうしないと勝てない。


> ならば、共生社会の場合


 弱いところから着目していかないと、とてもとても全体において成り立つものではない。
 つまり、弱いところから攻める論理と同じと言うことだ。
 強いところを身勝手にも鍛えたり、温存しようとするのは、共生社会の視点ではない。



1-3)1
 日常の複雑で考えると、是の考えに抵抗を持つ意見もあるだろうが、
 一対一の勝負の場合、自分の利を活かして相手の隙から攻めていくのは当然。
 だから集団戦術でも同じこと。情けなんて戦法には関係ない。

 ‥しかし

 二人きりの人間が生き残りを賭けて手を取り合った時、
 お互いを思いやればこそ、弱いところから何とかしていかないと、
 とてもとても、その先などあるわけがない。
 社会基盤においてもそれは同じ。日本の村社会が良い例だ。
 ‥それが生活力のうんちくとなる。


> 夢とか希望とか、ある意味で競争原理の澱みたいなもんなんだろうな。
> 弱みが嫌なら、投げ出しても好いのが競争社会でもあるからな。


 ‥自分に、夢も希望もないと思ったら、
 社会には生活力が必要だと、堂々と思い切って、
 弱いところに飛び込んでみる生き方も有りと言うことかな。

 どうしてもやってみたいことがある場合には、お勧めできないが、
 無ければ無いで、それが決め手とも言えようか。



1-3)2
> しかしまぁ格差社会の場合、


 どこが強くて、どこが弱いのかなんて、さっぱりだ。
 それでいて、日本の技術力は世界のトップクラスだし、
 生活の総合力に至っては、世界と比べればダントツでトップだ。
 ‥その上で弱いところと行ったら、そりゃまぁ自然環境ということになるだろうか。

 その弱いところから攻めていくのが競争原理に競争社会なんだから、
 業が深いというのか、トンチンカンなやり方で繁栄した意味を理解していないというのか、
 ほんと、競争なんてどうでもいい価値観だと思う。

 それでも生きていく上で欲しいのが優位性(カネ)だって話なんだから、
 ほとほと人間って奴は、自分を正当化するのが好きな勝手気ままの無頓着なんだろうね。


 どこに行っても役に立てない自分が居ると嫌になるのは誰も同じ。
 ‥そこまでを差し引いて申し上げている意味では無いのであしからず。



1-3)3
 本来ならそれは、一番力を付けたところの社会的責務なんだけどね。(とくに官僚)
 なぜか多くが一杯一杯のすまない顔でやらないんだから誰も右に習うところがない。
 ‥資本原理なんて、行き詰まって当然だったのさ。(とくに欧米&中韓)


> 日本が黒船に飲み込まれた本当の原因は、


 戦の無い社会を求めて江戸時代を得たはずなのに、
 国内体制の維持を目論んだ参勤交代の結果、
 ‥武士より商人が圧倒的優位に位置するようになったことである。


 家光は、参勤交代を命ずるよりも、無線通信の発明を夢見るべきだったのだ。


 お互いの財を持ち寄って、外敵に対処する先見の明が
 その当初から有ったのなら、黒船なんか追い返せていたはずである。

 ‥だから、地球外生命体に対して、安易なお花畑思考は控えめにして、
 それなりの対策を心掛けた体制は求められて然るべきである。


> 宇宙の安全保障を、あの世の神界任せにしていると、


 問答無用の容赦なく、ポンと難題を背負わせられることになるのは、
 はっきり言って、神界の教育方針でもある。
 ‥とはいえ、宇宙の技術水準がどこにあるのかなんて知らんけどね。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:22 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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