人間性としては、本能より理性が優っていた方が良さそうだが、
それでも、本能と理性に、大きな違いなんか無いのだ。
> 違いに差があるとすれば、それをもたらしている因にこそ焦点を当てるべきである。
そこで、本能にしろ、理性にしろ、
何らかのスイッチが入ることで機能するという定義をしてみよう。
1-5)1
何らかのスイッチが入ることで、
それが如何なることで、如何なる状況でもそれをすべきとの衝動に支配される。
‥これを「スイッチが入る」と言っておく。
如何なるスイッチが入ろうとも、状況に応じた判断で、スイッチを入れ直すことができる‥
これを一般に、「理性」として理解することができる。
‥ただし、理性にしても、スイッチ作用の過程の一つでしかない。
> では、スイッチを入れる様には、どのようなパターンがあるだろうか‥
生理的な欲求はもちろんだが、
それにしたって、内からの影響より、外からの影響の方が圧倒的に大である。
しかしこの見解は、鶏と卵の関係を意味する。
何らかのスイッチが入った輩の様を見て、自らにも同一のスイッチが入ったりする。
反発的なスイッチが入る場合もあるだろう。
‥例えば、ブルース・リーである。
彼を見て影響されるか、されないかである。
見方にも因るだろうが、とりあえずここでは、
「スイッチが入っている」
↓↓↓
「安定感がより大きなスイッチなら、不安定なスイッチにスイッチを入れることができる」
ただし、
「それと同等以上の力を有するなんらかのスイッチを有していれば、それをキャンセルできる」
> これらを一括りにして「スイッチの法則」と呼んでみよう。
1-5)2
スイッチの法則が成り立つためにも、生命には目的意識が必要だ。
それら目的への意識意欲が発生し得ないと、スイッチの法則も生じ得ない。
これはまた、
生命存在の目的が始めから多様化していないと、
スイッチングに差がもたらされることがない由を意味する。
(※いつから多様性を得たかはここでは問わない)
この多様性が成り立っている状況に置いて、スイッチの法則はより複雑さを増すわけだが、
目先だけの目的に囚われて、立体的に目的を満たそうとしない様は、本能でしかない。
なぜなら、意識の切り替えがそこに芽生えないからだ。ゆえに「本能」である。
一方で、生命には、日常的にも‥目的とは別に様々な分岐が生ずる。
生命としてそれは自然な状態であり、ゆえにロボットとは違うと解釈される。
寝たり、食事をしたり、休んだり、遊んだり、何かに取り組んだり‥
‥確かにそこには、複数の本能があるかのように、切り替えている理性が在ることになる。
> スイッチの法則とは、
そこにあるべき自然な切り替えを、意図的に不自然な状況に至らしめる力のことを指す。
不自然な状況との表現が相応しくないなら「感化」でも良い。
それら色々としたスイッチの状態(感化)に何らかのパターンを見いだすことはできるだろう。
特に、人それぞれの好き嫌いがそうである。
(‥そこに理屈を求めてもしょうがない。)
しかし、肝心なことはそこではない。
どうして、複数のスイッチが有り、
その上で、自然なスイッチングの次第が、生命それぞれの意識下に植え付いているかである。
(‥其を自然界的には種の生態と言う。)
1-5)2
生活のありとあらゆる状況に対応できる高性能なスイッチング‥
まるで切り替えが成り行かないダメダメなスイッチング‥
人類はとかくそこに見られる利益・不利益から、
理性の有る無しのうんぬんを批判するわけだが、そんな理性もスイッチの一つでしかない。
ただし、理性スイッチの強さに感化力を見ようとも、怠惰スイッチのそれほどではない。
‥怠惰スイッチの方が圧倒的に強力である。弱虫スイッチでもある。
(‥肉体の生理スイッチと精神や願望スイッチとのバランスでもある。)
> どうしてこのような傾向になるのだろうか?
機能の切り替えが成り立たないプログラミングなど、種としてはバグそのものである。
自然な流れに従わない不正なプログラミングが自らに植え付いて有るということだ。
‥といっても人それぞれで程度が違うのだから、それにも意味があるのだろう。
そうなっていることで、スイッチの法則が成り立つのであれば、
多様さをもたらしている因が、そもそもにして在るということであり、
あるがままの有り様に対しても冷静に居られるとの見方にもなる。
‥法則と現象と意識の釣り合いを考えればそうとしか言えない。
ただし、人間は、
お互いにいろいろなスイッチを押そうとし合う‥かなり変わった生態を有する。
この無駄に思えるスイッチング競争への意欲を「エゴ」という。
1-5)3
自らのエゴに純粋である状態と、無駄に影響を受けたエゴとの二つの状態がある。
(エゴ…多様さを無視して、自分の好きなスイッチだけを入れていたい状態。)
放置していても、自分のスイッチパワー状態が絶大にあることで、
勝手に、他人の意識にスイッチを入れてしまう場合もあるが、
当の本人達がそれに気がついていなければ、それもまたエゴと化する。
(‥得体の知れない、誘因欲にしたがって生きてしまうのだ。)
> 例えるなら、自然界的な欲求もその一つに入る。
自然界的にありたい欲求に優る感化力‥それこそが人それぞれの身勝手である。
そこにどれだけの理解を有しているかは、各人各様だ。
‥感化された状態に、何が正しいかなど無い‥都合が良いか悪いかだ。
仮に、自然界が用意して好むスイッチングに従うにせよ、
各人からして見て、都合が悪いとしか思えないのなら、そこは不自由の世界でしかあれない。
その因が、まず、自分からなのか、意味の無い影響からなのかを知ることが大切だ。
‥でないと、本当の意味で自らを識ることができない。
(エゴを薄くするとは、この違いに聡くなることを指す。)
1-5)4
結果的に、法則と現象と意識の釣り合いを考えれば、
{本能}>{理性}でなければ、多種多様な生命の楽園とて機能しないと言えようか。
理性的に囚われた賢しさも、不自由を生み出すのであれば、
進化とも退化とも呼べないのである。
‥そもそもにして、進化とは、何かを退化させた証でもある。
進化が万能に近づいたとの安易な思い込みは、頭から間違っている。
感化を受けるにせよ、楽しむにせよ、
自らがそこに存在する意味と意欲を見失っては、
進むことも退くことも、判断が利かない有り様しかもたらさない。
> 上から一方的な感化力など、宇宙創造において何の益の無きこと。
> 良きにしろ、悪しきにしろ、想定外のことが起きればこその生命の躍動と言えようか。
‥想定内で生きるか、想定外を目指すかはあなた次第。それが宇宙の懐だ。
それでも創造は、想定内に収まらざるを得ない。なぜなら基本の型が在るからだ。
元に還らざるを得ない定めにあるのも、宇宙のこだわりと言えようか。
それもまた、
常に、私たちが自分の考えでしか動かないのと同じことである。
‥エゴに見られる頑固さに間違いがあるのではない、
それが何を意図しているのかを知ろうとしない宙ぶらりんの様に、傲慢さが宿るだけである。
知らないうちに、自分そのものを放棄してしまっているかも知れないのだから‥
それにしたって、経験の積み重ねがあってこそなのだから、
{本能}>{理性}と言えるのである。
1-5)5
無駄に多すぎる好奇心、其は人間の本能なり。
知らずして進化無し。知らずして退化に理解得ず。
多くを知らずして自らを識ること能わず。
自らの何たるかを識り得るためにも、無駄に多すぎる好奇心は与えられるのみ。
扱いきれぬ好奇心こそ不自然たるものなり、生命の因なり。
生命の因ある所に、意識意図の重なり在りけり。
其に良きも悪しきもあらぬ。理解の度合いが露わになるのみ。
‥識り得る者ほど、あまり多くを否定せず、動きも少なくなるものなり。
されども、識らずとも、自らのスイッチングに長けたる者は幸いとして在れり。
其を幸いと思うにせよ、幸いがすべてに非ず。
‥だからこその好奇心と多様さの演出がそこにあるのだ。
自らとお互いを識る味わいを味わえぬ者は、内外に乱れる好奇心に溺れるばかりである。
‥それでなくても、人は味わいに酔いしれ、溺れるものである。
溺れることで誰かが活きる連鎖に繋がるのなら、それはそれであろう。
古来より其を縁(えにし)と呼べり。
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