2014年09月11日

【一般】マウス実験は有用か?

1-2)記稿.2014/09/11
 なんでも、現在医療界では、マウス実験の有用性について揺れているとのことだ。
 早い話が、マウスで効果を見ても、ヒトだとまったく駄目という事例もあるとのこと。


> ようするに、命の無駄を示唆しての問答である。


 で、ヒトの遺伝子を組み込んだマウスなら実証性が高いだろうとかなんとかと‥
 そういう次第になっているそうだ。



1-2)1
 考えてみても、人の遺伝子は特殊に出来ている。
 そのように作られているからだ。

 そんな認識をしなくても、

 合致するDNAの部分と、そうでない部分とで、
 どれだけの違いがもたらされているかなんて基礎研究はこれからだ。


> DNAの解読なんてここ最近のことなんだからな。


 それにしたって、どうして薬用という方向にしか頭が働いていないのだろうか‥
 脳内麻薬のような方向性が多少なりともあるにせよ、
 ネズミの脳と比較なんかしてどうするんだ。


> 本命はどう考えたって、


 「自己再生能力なり治癒能力の活性化をどうしたら実現できるか?」である。
 アニメやマンガに出てくる治療方法みたいな奴だ。
 水中カプセルに入って集中治療をすると数時間後には完治とかね。

 そうなれば、もはや薬の文化など、緊急時の現場対応が方向性でしかない。
 日常的に、大して効きもしない服用役を施そうなんて商売はヤクザと化するのだ。
 「始めしっくりあと全然‥どんなに痛くても我慢しろ」って程度が薬治療の現実だ。


 薬や治療に頼ると、体内が怠けるんだそうだ。必要ないってな。



1-2)2
> 本質は、「マウス実験は有用か?」ではない「薬治療に未来はあるのか?」だ。


 実用を以て儲けようとする薬治療の在り方は、
 すでに人の持つ良心からのその先の是非を突きつけられているのだ。

 遺伝子を解析して辿り着く方向性なんざ、そこに行き着く。
 なにしろ、すでにヒトの遺伝子に求められた実験は一万年ほど前に完了しているからだ。


 ‥現代人のヒトの研究は、その足跡を追跡できる段階に来たのだろう。


 その変転を受け入れられない状況があちこちで問われ出しているということか‥
 それにしても、どうしてそんなにも、
 歩留まり100%に到らない生成物たる代物を、
 平然と他人の体内に放り込むことに合意できるのだろうか?

 考えてみてもぞっとするものだ。


 自分を直すのに必要なのは薬なんかじゃ無い、
 医者が必要な状況にしても、必要なのは、治そうとする誠意である。

 自身が自身の健康管理に責任を持たないのに、どうして良い医者が必要と言えるだろうか。
 そういう一人一人の怠惰と無責任の蓄積が、医療の停滞を孕ますのだ。

 それでなくても薬治療は、根っこの部分で死にまみれているのだから、
 そんなものに頼り切ろうとする思考には、呆れるばかりである。


> まずは実験者自身が、臨床検体になって百っぺんほど地獄を見て来いや!
> そこを安易に鵜呑みにして使用している医者も同様にな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:24 | Comment(0) | 日記/2014 | 更新情報をチェックする
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