2014年09月16日

【刮目】年貢は「村単位」での課税だった

1-5)記稿.2014/09/16
> とくに江戸の年貢は、村単位での課税だった。


 太閤検地を学ぶことで、
 明治以降の教育を経た者は、
 年貢もまた個人単位での課税だったとの思い込みを得ていると言える。

 ところが、その検地の本質は、村の石高を調べるものであって、

 とくに土地の所有者が誰かという所の調べの強調にはない。
 なぜなら、所領の持ち主は、農民ではなく、領主だとの認識の方が大きいからだ。

 ‥それでなくても、身分が下になればなるほど農民は、
 戦の後や年貢の重さに耐えかねて、勝手に逃げ出したりとしたのだからそうなろうか。



1-5)1
 この村単位を中小企業に置き換えてみると、ハッキリとする。
 大企業は、大名と同列の扱いで、中小は搾取される側という構造そのものだ。


> つまり、


 明治時代の猛烈な格差社会とは、
 大企業=財閥・軍閥=華族資本だったことになり、
 中小企業=平民=年貢としての搾取対象としての同然視が根っこにあったことになる。



1-5)2
 年貢が村単位だった経緯があったからこそ、
 村社会というのが形成されてきたのであり、

 村人は、強制的に協力せざるを得ない現実に置かれていた。
 (‥個人に年貢が課せられていたわけではない。)

 これはある意味で、社会主義を思わせる中身である。
 またこれは、黒船開国後に導入された資本主義化日本の以前に、
 江戸の時代において、徹底した社会主義化日本たる国家がそこに在った次第を意味する。


> 日本の社会主義は、世界のそれの実験よりもずっと機能していた。
> 日本の資本主義は、世界のそれらよりもずっと機能して来た。


 これは主義の善し悪しの問題ではない。明らかに民度の善し悪しの差である。
 ‥で、どちらの方が日本人として誇らしかったかというと、江戸の方がまだ自然体だった。
 しかし、江戸の縛りの多さは、どうしたって息苦しさを感じざるを得ない。



1-5)3
 この認識の違いは、明らかに驚きであり、
 村社会の意味を、再確認しておく必要を余儀なくさせる。


> そして年貢から税金になったことで、民衆を多重課税に置いているのが中央政府の経営だ。


 そもそも、企業を村に見立てて税を取るのであれば、個人から取る必要はない。
 それが年貢時代の感覚だ。

 ところが江戸の後期、
 収入を確保する上で幕府が行ったのが、
 諸大名たちからも年貢として、その一部を幕府に治めさせるという苦肉の策だった。
 ‥それ以前は普請の形で治めさせてきたそれを直接コメやカネで要求するようになったのだ。

 つまり、農民=年貢→平民=個人の税金
 大名からの徴収→法人税との解釈が、明治政府によって成されたことになる。
 (まぁ実質的には、多くの企業が法人税を納めることの出来ない状況にあるという)


> 民衆からしてみれば、


 村社会の延長線の代わりに企業経営が登場したことになり、
 そこですべきことは、村社会での共生とさして変わらない認識の元にあった。
 ‥ただそこに、税金なる解釈だけが変わったのだ。

 さしずめ、天引きは、年貢と同じとの錯覚にも映ったことだろう。

 ところがこの税金は、手を変えて、年貢以上に重くのし掛かることになった。
 それが今時代の消費税だ。
 ‥年貢の時代と比較すれば、三重課税と言えることになる。



1-5)4
 そもそも年貢の時代は、その土地での耕作が保障されていた。
 村が日照りや冷夏に襲われでもしない限り、とりあえず食うには困らない‥

 しかし、何か物を手に入れようとすると、

 手元にある何かを売って銭を得ないと駄目で、
 豊作でない限り、その分の銭を手にするには、何かと他の収入源を必要とした。
 ‥個人で儲かろうなんて考えをしても長続きしないわけだから、村としての収入源だった。
 (まさに村社会=中小企業の様である)


> だから、


 大企業からの値下げ要求や、
 消費税などと言う次第をそこに当てはめてみると、

 ‥如何にとんでもない重税社会というのが形成されてしまっていて、
 それに慣れて平気になっている上から目線がまかり通っているかである。


> その結果、自給自足で十分なはずの地域社会の暮らしが、


 外に向かって商売を強いられる形が当たり前になっている。
 ‥ところが、お互いに何かを流通させても、生活に潤いを得る事は出来るにせよ、
 どう考えたってトントンだ。それ以上になんか成るもんじゃない。

 ‥なのに、

 それ以上に、コメとカネとでは勝手が全然違うだ。
 コメは自分たちの汗に乗じて土地から得られたが、
 カネは、誰かが流通させないと市場に出回ることがない。

 ‥そう考えれば、三重課税以上の厳しさがそこにある。
 だからこその競争システムのレールの上に乗せられてしまっているとも言えるだろう。



1-5)5
 余計なことを言えば、
 「自給自足の村社会+現代の農耕技術+年貢のみ」
 という枠での仕組みを、誰も経験などしていないのだ。


> そしてどうしてそこに理解が及ばないのかというと‥


 世界の方が圧倒的に民度が低いからである。
 多数決なら始めから日本の前提が理解されることはない。
 そもそもの民度経験値が日本と世界とでは桁に差がありすぎるのだ。

 そして、その裏付けにあった環境こそ「水」である。
 決して「油」なんかじゃねぇ。

 油になっちまっているのは、世界の環境が水ではなく油だったからだ。
 「水」と「油」が交わらないのは当然。
 ‥まるで皮肉たっぷりに、あの世の計画が仕込まれていたかのようである。


> 民度を上げるための環境の根っことは、清らかな水環境の確保から始まる。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:43 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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