2014年09月18日

【刮目】「好きだから日本に行きたい」を斬る

1-7)記稿.2014/09/18
 今時の新興国・後進国に見られる「好きだから日本に行きたい」ブームは、
 その昔、「ニューヨークに行きたいかーっ」という日本人のそれと同じだ。
 ‥そのレベルなので、その頃の自分たちを思い出して真贋を見極めるべきである。


> かつてのご先祖様が、外国に足を運んでまで国造りに取り組んだのは、


 その国に脅威を感じていたからであって、その国が好きだからという理由からではない。
 必ずやお国に帰って、学んだそれを以て、お国のお役に立てるのが前提だった。

 ところがどうか‥

 「米国にかぶれた日本人はどうなった?」
 大抵はそのまま移住しちまおうってのが、頭にあったかと思う。

 ‥まぁ過ごしやすさ等の差から、戻ってきちまうケースも往々にしてあるわけだが、
 日本と米国じゃ、そもそもにして違うのだ。
 在日米軍にしたって、日本の方が良いなんて口にするほどだ。


> 日本に来るのは良い、でも、学んだら帰れよ。


 愛郷心が空っぽで、日本が好きで来てもらっても、日本に馴染み切るとはとても思えない。
 そもそもの日本のニューヨークかぶれだった奴らからしてそんな筋だったろうに。



1-7)1
> その昔昔の帰国は、国勢に変化がない限り、役所勤めがお約束で待っていた。


 ‥今の時代にそんなものはない。
 海外でノウハウを学んで、自国に戻っても、
 市場に流通にと、自分の足で作り出さなければならない。

 自分が稼いだ資金なんて、すぐに底をつきかねない。

 先進国のシステム化された環境に首を突っこんで学んだとしても、
 そこまでの意気込みを抱いて新興国からやって来る奴はごく限られている。


> そればかりじゃない。


 産業構造の在り方が細かく分業化されている分野だと、尚更に太刀打ちできない。
 とくに、環境対策を学びたくて日本にやって来るならそれだ。

 環境事業のそもそもは、
 儲からない‥、サプライチェーンが無いと成り立たない‥の二重苦だ。

 そんな事情を、解決できないままで居ようなら、
 たとえ日本で学んだとしても、べったり居座るだけの気持ちに支配されることになる‥



1-7)2
> ならば、チームの形で雇うのが筋。


 明治以降の日本を見て見ろ、フリーメイソン絡みだったにせよ、チーム状態も同然だ。
 派閥はあったにせよ、日本を以て、世界に知らしめたいとの気持ちは一致していた。
 留学からしてもそうだ。普通に学んで普通に国に戻る限りポストが約束されていたのだ。

 まぁそういうのはどうしたって、今じゃ国と国とのプロジェクトになる。
 ‥メンバーを丸ごと、日本の枠組みに入れて学ばせるという形か何かだ。

 その時、お互いにメンバーを交換して、相互のプロジェクトに入れるのが釣り合いだ。

 しかし‥利益やポジション確保が優先だと、なかなかそうは成らない。
 企業が進出して行って、手取り足取り指揮するやり方は、どう見たって欧米式なのだ。


 それはつまり、


 かつての日本が経験した、給料をもらいに往復するだけの歯車気分で、
 レールに乗っかるのが順風満帆といわんばかりの傾向を漂わせるばかりだろう。
 ‥すでに中国ではそこが表面化している。それが権利だと言わんばかりだ。

 憧れから、好きだから日本に行きたいは 生き方をファッショにしか捉えられないままだ。
 そもそもにして外への憧れは、そのままに移住を意味するのだからそうなる。
 ‥暮らしの辻褄上、どうしたってそうなっていくのだ。

 好きでやって来たのだから、好きにやれるものと期待を背負い込んでいる。
 しかし、どこに行こうが暮らしにそんなものはない。
 暮らしにあるのは、地に足を付ける気概が有るか無いかだ。そこが一番に問われる。

 ‥そうでなくて、愛郷心を放り出してきただけの者に、何を期待できようか?

 今や日本は、そこに取り憑いていた勘違いをどうにか卒業しようとしている段階だ。
 欧米式で人のやり繰りをしても、もはやその先が成り立っていかないのだ。



1-7)3
> 欧米式のままでの問題点は、言うまでもない。


 地元を手掛けてこそ愛着が高まるというのに、
 どこぞの希望をしていたわけでもない国に行かされて、頑張ったとてただの自己満足だ。
 そこで身につくのは自尊心だけで、愛郷心ではない。

 ‥むしろ手掛けた土地に愛着を身につけないで、仕事だけの毎日だけだったとなると、
 どうしたってその者は、居場所を失うことになる。
 あっちに行ったり、こっちに行ったりしているとどうしたってそうなるのだ。

 どこかで腰を落ち着けようにも、行って来いの仕事は、仕事だけが居場所の世界だ。

 そんな居場所(勤務)にしたって、ポイッと切られたり、辞めたくなったりすれば、
 自分の存在感なんて、それこそ何にも無いだけだ。
 ‥家族が居るから、仲間が居るからなんて言ったって、付きそう方も同じなんだよ。


> 自国の問題は、なるべく自分たちでやり抜く姿勢を保つべき事だ。


 見よ、クラーク博士を。日本に滞在していたのはたったの一年程度であった。
 その期間だけで、日本の若者に生き方を植え付けて帰って行ったのだ。

 そして不思議なことに、たった一年程度だった時間が、
 彼のその後の人生に多大な影響をもたらしたという。

 ‥その時間、そこに在ったすべてが故郷になっていたんだ。
 それだけ真剣だったんだ。

 でもな、
 故郷を無駄に増やしたってな、気持ちの収集なんかますます付かなくなるだけなんだよ。
 身は一つしか無いんだからな。


> そこを鈍感に居れば良いだけの、外国進出なんてのはな、


 所詮嫌われ者になるか、嫌われ役で追い出されるかのどちらかだ。
 ‥誰からもそんな扱いを受けずとも、自分の殻に閉じ込もれば同じことなんだよ。



1-7)4
> 例え、自分の国だけで生きて来ても、


 自由勝手を優先した社会の結果、歳取って何も無いことを思い知るのだ。
 都市も街も、年がら年中、姿を変え、思い出の形なんてどこにもない。

 ‥そこを故郷だと思えなんて言われても、ピンと来ない。

 外から帰ってきて、すっかり変わっちまった街を見て、
 腑に落ちない点の一つや二つあるんじゃないのか?‥状況にもよるけどな。

 懐かしのなんとかと言ったって、話の合う相手も居なくなろう。
 仕事ずくめの時間だけが懐かしくもあれ、そうでないような空っぽを味わうばかりだ。
 ‥それが昭和の痕跡だ。


> お前らは、そこを跳ね返せるほどに、強いのか!?


 ただでさえ外国から来ると言うことは、
 慣れ親しんだ言語を選べないという次第を覚悟しなければならない。
 ‥ある意味で、自己否定の毎日だ。そんな苦しみを訴えるぐらいなら、帰るべきだけのことだ。

 「言葉か、使命感か」と問われたら‥俺は言葉を選ぶね。

 好きに成れそうにない言語の国になど行きたいとは思わない。
 (‥行く必要があるのなら、生まれ変わった方が早い。問答無用で、そこが故郷だ。)



1-7)5
> 出稼ぎに来るだけの外国人は、


 結局、仕事を求めて、田舎から東京に出てきて、
 みんなでどこか息苦しさを感じながら、気づいてみればいつの間の格差社会って奴を、
 日本人同様に、直に感じるばかりだろう。

 ‥地元に夢を見ない奴は、どこに行ってもその段階で没なのだ。

 技術に理解のある時代だからこそ、地元に夢を描くべきなのに、
 いつまでも昔と同じ思考で、地元には夢が無いなんていうのでは明らかにズレている。

 そこに理解が無いと、いつまで経っても「大手に、行政に」の大連呼のままだ。
 ‥そんな中身も骨も無さそうな奴を、雇いたいなんて誰も思わねぇよ。

 「日本には、故郷での問題を解決する為の勉強に来ました‥」ぐらい言えないとな。


> 仕送りするにしたってな、


 随分と派手な、亭主元気で留守状態なだけだろうが、
 いつまでそんなへんてこりんな生活スタイルをみんなで続ける気だよ。
 そういうのに手を貸しちまってるのが、そもそもの外国企業の存在だ。

 ‥ある意味で、

 「亭主元気で留守の押しつけが夢」ってか‥超くだらねぇ。
 多国籍企業の幹部に上り詰めようなんてのは、そういうことだよ。
 外国企業が海外展開しようなんてのは、そういうことだよ。

 挙げ句の果ては、女性幹部を増やしましょうなんて誘導してやがる‥

 どう考えたって、そんな赴任人事の絡む切り盛りをあれこれ指示する様は、
 女が女を捨てるような事態にしかなるまいて。歴史を見て見ろ、
 ‥女性のリーダーが立つ視点ってのはな、それこそ郷里主義に於いてこそなんだよ。

 徒に男女平等を煽ってるだけで、女の幸福感なんかどこにも見当たらねぇだけだ。
 能力の有るだけをトップの基準にしてどうすんだよ。
 それで、愛だ平和だ聞かされてもね、思いっきり萎えっぱなしになるだけだ。


> 男が無条件で従っちまうトップ女の条件はだな、
> 誰がどう見たって、しあわせに溢れた魅力を振りまく女性なんだよ。


 「わかってんのか、おんどりゃー」

 しあわせを手に入れようと一生懸命な空気に、どんな魅力があるって言うんだ?
 そんな女幹部はな‥しあわせをわざわざ取り逃がしているだけのお門違いなだけさ。

 しあわせを手に入れようとなんか考えるな、しあわせは感じるものだ。
 まずはしあわせを感じて振りまけ、手や足が先に出るぐらいにそれを繰り返せ、
 さすれば、勝手に福が付いて来るようになる。まぁ女の特権だけどな。
 ‥そこを学ばずしてどうする。学ばずに捨てるようでどうするよ。

 男と女なんてな、始めから別々にしか作られてねぇんだよ。



1-7)6
 さて、本題に入ろう。

 日本のご先祖様が、外国から学んできたのは、その国が脅威でもあったからだ。
 でも、外国から見て、今の日本がどう見えているかはまったく以てアバウトだ。

 ‥脅威だったからこそ

 相手の懐に飛び込んで、敵を知ることに努めたのだ。
 その結果、得られた友好からは、どうみても怪しいニオイが漂っている。
 ‥それでも、脅威でなかったとしたら、いつまで経っても、変わらなかったことになろうか。


> ならば、脅威を武器にしない大国から命を賭けて学ぼうとする気概はどこから生まれようか?


 この問いに、日本の歴史は答えをまだ持っていないのだ。
 それは、反対から見ても同じことである。

 だからこそ、どこの国も、日本の扱いに戸惑っているとも言えるだろうか。

 ‥日本にしても、
 学ぶべき見解が自分たちにしか無いという事実にどれだけ前向きにものを見ているだろうか?
 いつまでも、外国の脅威が無いと前進できないという思考パターンを引きずっていては、
 新興国・後進国からの突き上げを喰らわざるを得ないだろう。


> 外国の人材を前向きに受け入れられないのは、そこに解を見いだせていないからでもある。


 自分たちの足元を、自分たちで何とかするのが流儀なら、
 それを世界に示せば良い。「学びに来るのは良い、でも帰れよ」と。
 ‥ならば、日本側も外国に対して同様の姿勢を維持する必要がある。

 日本に住みたいのなら、まず日本人らしく成れと。

 そう言えるだけの日本が培われているのかどうかは、何とも言えないけどな。
 ‥なにしろ、それが欧米化の果ての歪みを抱えた時代でもある。
 (日本文化にかぶれた外人の方が、より日本人らしく見えたりするからな)



1-7)7
> すべては日本を操るために


 まずは前例の善し悪しを海外で実験させ、そのレポートを持ち込み、
 そこから好いように、怪しい連中による日本解体工作が進められてきた。
 (あえて結論とは反対の状況を外で演出し、その持ち込みたい逆を提示したりするのだ)

 ‥官僚がどんなに先回りをしようとも、なんだかんだと言いくるめられるばかりだ。
 外で起きた是非を持ち込まれる流れでしか議論しないのだからそうならざるを得ない。

 それが戦後日本の政治の実態だ。

 自分たちの「したい」を実行しない国家に、主張も国民支持も付いて回るわけがない。
 それは、兎にも角にも、民衆の声を繁栄させるというだけの話だ。
 ‥民主主義の時勢なんだからそれだけのこと。


> それにしても‥である。


 民主主義だからというだけで、世界人類に対しても公平にそうすべきであると論を立てる前に、
 世界はどれだけ、公平に人権を極めているかでもある。

 日本のそれより、総じて下にしか見えない有り様に、
 民主主義だからを唱える恥をまず知るべきだろう。
 ‥いつまでも先輩気取りで居られても、何様って次第にしかなるまい。

 私たちとて、公平を気安く口に出す前に、

 まずは自身の心に潜ませている不公平な態度と向き合うべき事だ。
 それをお互いにしないで居ると、結局、いいわいいわの鏡似性しか得られないことになる。
 ‥その結果、惰性にしか流れていかないというのがパターンになっている。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:30 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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