"【刮目】就業率55.555…%の収束性"‥記事の修正です。
蜂の場合では、3分の1が待機ということです。
‥3分の1と3分の2との勘違いをしていました。
蟻の場合では、2割が待機との研究結果が述べられていました。
> ‥よく調べずに記事にしてしまった点をお詫びします。
記事として書き直す必要が生じておりますが、とりあえずそのままで放置します。
理由として、
%の説明に昆虫生態を例えにしたのは失敗だったにせよ、
%に対する考えには、個人的に直感的なものを感じているからです。
‥もっとも、直感でものを言っていては、哲学とて成立しませんけどね。
1-5)1
それにしても、確認した後から、いろいろと疑問が湧いてきました。
「餌が慢性的に手に入る状態で、蜂と蟻の社会の中で、予備群率は増えるのかどうか?」
女王蜂ないし女王蟻の出産ペースに変化は起きないでしょうから、
餌が慢性的に手に入れば、予備群の比率も増えるのでは‥という予想です。
そもそもにして、現代の地球は、温暖化の影響もあり、
虫とて、過ごしやすさに違いはあるでしょうし、
エサの量も昔とは違っているはずです。
> その辺の違いが、「虫の社会構造でも変化が生ずるのかどうか?」といった実験観察です。
もし仮に、変化が起きるのであれば、
「100%の総動員が起きる状況はあるのかどうか?」
という点も気になります。
そうなる前に女王が引っ越しを選択するなんて次第も考えられるかと。
特にミツバチの場合は、増えれば分蜂しますので、
予備軍の比率と言うより、予備軍の数が増える=分蜂ということなんだと予想できますが、
蟻の場合は巣が巨大であればあるほど、その時どうなるのかという興味が湧いてきます。
予備軍の数が増えれば増える程に、餌も必要ですし、
それが軍隊蟻のような形になって表現されているのかもしれません。
予備軍の身躯を直に用いて巣を形成し、且つ、全体で餌を求めて拠点を移動し続けるのです。
そんなことが出来るのも、予備軍の必要比率が大きくても成立する環境下にあるからかと‥
> 面白そうな研究テーマです。(著生は実験しませんのであしからず)
1-5)2
基本的な見解として、
「人間社会の場合、同じ事だけを何十年とし続けても、意味が無い。」
との思いが著生にはあります。
江戸の時代にしたって、二十年は稼業を次ぐものの、
さっさと隠居して、前当主はその後で違ったことをし始めるのです。
‥今の時代は、隠居ができるほどに後人は続きませんし、
後から後から技術の発見に沿った形で人が続いている感じです。
その一方で、「自分の手掛けた技術に意味なんかあったのか?」
という‥自問自答だけが受け継がれているような状況です。
> まぁ必要とされる人員の割合が全体の6割でも7割でも構いませんが、
残りの割合の範囲で、
バランスよくローテーションが成り立たないようでは、
息抜きをするにも、余暇を過ごすにも充実を得るには至りません。
新しいことを始めるにしても、
そのきっかけが、仕事絡みしかないと言うのでは面白くなんかないのです。
そもそもの鍵は、人との出会いなのですから‥
また、社会的なローテーションを期待しようにも、
下手とか上手とか、いちいち気にするのが人間です。
昆虫の世界に、そんな出来不出来を気にする慣習があるのかというとどうでしょう。
ミツバチは、オールマイティーに経験をしながらステップアップしているみたいですし、
蟻の場合は、明らかに身躯の形状からして分業化しています。
人の場合はどちらかというと、
餅は餅屋の分業意識が固着しているようにも思います。
その割りには、上手く行かないとすぐに「転職だ」なんて言わんばかりです。
‥ある意味で、
経験の了承と言うべきか、矛盾と言うべきかはともかく、
何か一角の成功を得たいのが人間です。
一角の成功を得られればそれで十分だと思うのも人間です。
気が向けば、二度三度と何かに挑戦しているのも人間です。
1-5)3
> それを可能とする上でも、
時々に、知識・教養・技術の修得は欠かせませんし、
単に自由を強調したところで、競争社会に見られる得する方に流れる傾向に改善は望めません。
社会に対する好奇心の方向性に、偏りが生じるような教育は正しくないのです。
‥例えば、
プロ・スポーツ選手が、別ジャンルの人生観を形成していない様を見れば見るほどに、
「何が根性だ、何が努力だ‥」といった内なる疑問はフツフツと湧くわけですよ。
「お前等は自分の才を伸ばすチャレンジはしても、
それ以外のジャンルは手を抜いてるじゃねぇか‥」とね。
そんなこんなで、著生は「努力」の響きを用いません。
努力だけの努力プロなんて居ないんですよ。
それが実際です。
得意な事には頑張れても、それ以外の無知なことには手を出さない。
そこにチャレンジ精神が伴わないのが通常です。
‥何を以てプロと呼ぶにせよ、努力を以てプロ意識というのなら、
プロ・スポーツ選手の中にプロなんてほとんど居ませんよ。
だってそうでしょう。
若い内に稼いだ元手で、のほほんとしている元プロ選手なんて、ざらです。
そりゃ、コーチに監督に、少年クラブの指導と、その手の先人が担うのは流れですが、
そこからまったく異なる仕事なりをしている人材はほとんど見聞しませんよ。
> その辺は、どう考えたって偏ってるわけです。
餅は餅屋であっても、別ジャンルにトライしない、チャレンジしない連中を見て、
「プロ・スポーツ選手って何?」と思わずには入られないわけです。
「どこにプロと言える定義が成り立っておるんじゃい!?」
誰しもが心の奥でそう思っていれば、プロ・スポーツ事業の衰退は当然です。
プロと付くすべてにそれが当てはまるでしょう。
‥カリスマに呑まれているだけの輩をプロとは言わんのです。
その点、日本語には「職人」という響きがあるわけですね。
そこを敢えて言えば、マスター・スポーツ選手との表現の方がまだしっくり来るかなと。
そもそもにして、「プロ」の言葉の意味が生計を指しているだけの響きです。
そこに自尊心を込めるなら、プロという響きは変としか言いようがありません。
プロが、それっぽっちの響きなら「主婦はなんでしょう?」
子育てまたは家政のプロと言っても過言は無いわけです。
(‥でも無償労働同然ですから、だれもプロなんて口にしないのです。)
> 「マスターを目指すべき」としていたのが黒船以前の日本人の意識。
> 「プロになりたい」としか考えなくなったのが黒船以降の日本の在り方。
「何々もまともに出来ないくせに、何々ができるか!?」
‥という古くさい言葉の真相は、そこにあるのであり、それ以上でも以下でもありません。
若者がその言葉の響きに違和感を覚えるのは、
好きこそものの上手成れという意味もあるでしょうが、その多くが、
生計の立て方に対する意識の方が大きくなったせいです。
‥何にせよ、カネがないと始まらなくなったのが時代の流れだったからとも言えそうです。
その証拠に、日本のプロ・スポーツ選手の多くは、
「何々しかできない」という縛りの生き方しか出来ていないのです。
‥稼いだ果てに、腹がメタボでは、ほんと‥何々しか出来ない姿そのものです。
1-5)4
> 人間には、ある一つの分野をマスターすると飽きるタイプとそうでないタイプが居ます。
> その割合はどのぐらいか?
まぁそういう点も踏まえて、新しい社会構造を模索していく必要もあるでしょう。
飽きると言っても、各自にマスター体験が無ければ検証のしようもありません。
自覚の問題とも言えるでしょう。
飽きてしまうことで、興味・関心をその分野に対して一切持たなくなるタイプも居るわけです。
‥著生には、どうもその傾向が見られます。
そうなってしまっているのも、育った環境が大きいかなと思うところもありますが、
世の中の価値観が、偏っていて無駄にせかせかしている点も見逃せないかと思います。
「やる気のそそらない社会で頑張るのは面倒くさいだけだ。」
「奪い合いの中で溺れるぐらいなら、始めから地を這えば良い。」
そんな気持ちが特定層で固定してしまえば、
結局は、ローテーション余剰なんが存在しなくなり、
専業だけがすべての思考で癒着してしまうばかりでしょう。
それはそれで、お互いに自滅に向かっているとしか言いようがありません。
すべてに興味関心を寄せられないというのでは、偏見しか生み出しませんからね。
その偏見が、自身の見解を狭めて、結局は小さい自分を背負わざるを得ない状況を生むのです。
> 見解が狭いから、消費意欲にも循環が生じ続かないと言うことです。
その分をいつまでも新生児に期待しても、高が知れています。
新生児に必要な分野に新規進出しようだなんて、多くの人が考えませんからね。
それと同じです。
全体で好奇心の大きさが決まってしまっているのに、
無駄に消費意欲だけを煽れば事業拡大に繋がるなんて、ちゃんちゃらおかしな希望的観測です。
‥老いれば、好奇心は減るには減るにせよ、若い頃に根付いた好奇心は残るのです。
若い時分にやりきれていなかった事に対する思い入れはしつこいですからね。
そこをとやかく、
アレは駄目とかコレは駄目とかの教育は、「馬鹿か!?」としか言いようがありませんね。
1-5)5
> ‥必要なのは、好奇心を消費させることではない。
どんなことに自身の好奇心が向くのかという点と、
その度合いの大きさの違いに気がつくことだ。
> 自然が好きと言ったって、
山だけ、海だけの御仁も居れば、それこそ特定の環境だけが好きな御仁も居るのだ。
そこを無駄に思い込みで、自分と同じ意識でしか見ていないのでは、
人付き合いの続かない原因にしか成らない。
その違いのある中で、自分の好奇心を消費させるのでなく、
どうやってその好奇心を表現するかだ。どう向き合うのかという転換である。
‥近年使われる「アスリート」の響きには、そこを感じさせるものがある。
消費させることにしか意識が無いから、モラルも壊れるし、
ご当地の文化風習への理解うんぬんよりも先に、
「俺らへのおもてなしだろう」というようなわがまま勝手が育っちまうことになろうか。
> 好奇心とは、消費させるものではない。育てるものだ。
ゆえに、他人に自身の好奇心を植え付けようと思ったなら、
それを稔らせて刈り入れるまでが仕事となるのだ。
‥時期と度量が整わなければ、成り立たないのは当然とされるだろう。
自分が、その土壌に植わる側で居ようと考えている内は、夢なんか得られる訳が無い。
「ファンのお陰です」としか口にできない自分が居るとしたら、
どう考えたって、そうでしかあれていないと言うことだ。
‥それ以上に前に進みたいと思うなら、ファンの好奇心を消費させようとなんて思うな。
まずは、自分の生きるに向けた好奇心の幅を育てよ。
さすれば、ファンの物の見方もまた変わってくるであろう。
マスターを目指すにせよ、そこに目を向けているかどうかである。
‥そこがマスター気質とプロ気質の違いと言えるだろうか。
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