2014年10月03日

【恋愛観】女の刷り込み、男の刷り込み

1-8)記稿.2014/10/03
 恋愛なる響きの下に、
 男も女も違いなど無しとする認識がそもそもにしておかしいのだ。

 男には、男の感性があるわけだから、男の恋愛観にしたがえば良いだろうし、
 女には、女の感性があるわけだから、女の恋愛観にしたがえば良きことだ。


> ところがどうしたことか‥


 赤い糸だなんて情報を植え込まれると、途端に、
 どれだけの信用があるかにも関わらず、それへの信仰心は絶大と化するのだ。
 ‥そもそもにして、出会える確率をどう考えているのだろうか。

 それ以前の問題として、
 競争社会の方を優先しているのが現代社会でもある。もちろん、
 競争原理を優先しているのは、もっぱら、赤い糸伝説を信奉している私たちでもある。

 ‥出会える確率が上がるならまだしも、

 どう見たって混沌と下がりっぱなし傾向しかもたらさない競争社会という奴を、
 これまた意味も無く支持している意味がまるで分からない。



1-8)1
 自由に恋愛をしたいだけなら、赤い糸なんかどうでもいいことだ。
 それはそれで、早い者勝ちの価値観しかもたらさない。

 ‥少し前の時代なら、

 力尽くとの発想もあった。しきたりに縛られるばかりの流れもあった。
 でも今やそれらは、カネ尽くという流れに置き変わったと言えるだろう。


> 赤い糸を気にする傍らで、信仰心があるのかどうかも曖昧に、


 誰しもが、理由もなく競争原理としての恋愛の自由を得られればさえ、出会えるとばかりに、
 理想のパートナーを妄想するのである。

 ‥言うならばそれらは、

 至極の贅沢を共に出来るパートナー選び観が先走るばかりだろう。
 愛だ何だと口にしてみたところで、所詮そんな程度の赤い糸観でしかないのだ。

 「赤い糸にどうして至極の贅沢が付いて回る必要がある‥どこまでも一緒なのであろう?」

 {自由}×{競争原理}の恋愛観を以て、
 なぜに‥どこまでも一緒を信奉する赤い糸が成立するのであろうか‥まことよく解らない。


> 赤い糸でさえ怪しいのに、さらに確率の低い篩いに掛けんばかりの審査が為されるばかりだ。
 (‥どう考えたって、そんな望み方は矛盾だらけなのだ)


 恋愛は競争ではない。とりあえずのところ相性だ。
 誰しもはそうは思うものの、相性以前の問題として「好み」がある。

 この好みという奴が非常に厄介で、ストライクゾーンなるものが立ちはだかろう‥

 人は、誰から教示されたわけでもないのに、
 好みのストライクゾーンの中に相性が収まっている存在に、赤い糸を期待するのだ。
 それでいて、調子の良いことにシンデレラ願望を引っ付けていたりする。
 ‥男なら、とびきりの美人願望ということになろうか。



1-8)2
> 考えてもみた前、


 競争社会なんだから、上に行けば行くほどに、恋敵が増えるのだ。
 美人度が上がれば上がるほどに、ハエの数も増えるだろう。

 その者たちはどうしたことか、恋敵やハエを前に「愛」さえあればと言ってのけている。
 恋敵同士の間に、仲良し小好しが必要かどうかは別にしても、
 共に生きていく上で言えることは、奪い合いは何も良い結果をもたらさない。

 それでも、好きになった相手を問答無用でGETしたいと望むのだ。

 ‥そこにあるのは、どう考えたって「愛」ではない。ただの所有欲だ。
 手に入れてしまうとホッとして、コレクション棚に飾られるだけの始末でしかない。


 オマケに‥シンデレラ願望の裏にあるのは、どう考えたって恋敵倍増願望だ。
 下の者が上の者を、よそ者が自分たちの憧れの的を
 射止めてしまうという次第への理解が、そこにはまったく織り込まれていないのだ。

 ‥それを「愛さえあれば」との刷り込みで置き換えるばかりだ。


> まったくもって、無知でお目出度いだけのお花畑思考である。


 上の人間は、自分たちの財産(家督)を、湧いて出たような輩に与えたいとは思っていないのだ。
 なんのために、家族が居るというのか‥
 可愛がったことのほとんど無き輩より、幼い頃から可愛がった存在であろう。
 その次に来るのが、商売敵であっても身近に知り得ていて、魅力を有する存在だ。

 シンデレラ願望からわき出てきたような輩など、それこそ論外でしかなかろうに。

 ‥その論外が成り立ったのは、
 絶対王政という名の男の権威が、象徴的だった時代の空気があればこそだった‥
 そして言うまでもない、そこに巻き起こったのは嫉妬の嵐だったではないか。
 そのような屍を、そのまま鵜呑みにして引きずるようでは、
 どうしたって、民主化した時代の感性とは言えないのだ。

 それにしたって、

 そこの家族が向かい入れたとしても、
 周りの貴族間にウケが悪ければ、居心地の良い暮らしぶりなど困難というものだ。
 そんなのは鳥かごに入るのが、幸せと思っているだけの無知でしかない。
 「愛」なんか得られたものではない。

 そこで人はこう言うのだ。「愛は自分からと‥」

 確かに‥民主化した一般庶民の間に起きている下が上に突き上げる評価にも似た所がある。
 そのように思い空気をまき散らしているのは、明らかにお互い様だ、
 ‥誰かではない、自身も含まれているのだ。

 まさに女こそが、そこにある恋愛観を、
 お家同士の付き合いだって本能で理解しているようなものだ。
 否否、今や社会同士のおつきあいだと言わんばかりなのが、芸能・スポーツへの眼差しだ。

 なんと、女子の恋愛観は、ますます肩荷の重さを増すばかりではないか!

 そんな方向に向かって尚、矛盾と無知を恥ずかしげでもなく、
 {恋愛}={自由}として履き違えたままに、自分たちにすり込ませているのだ。


> もう一度言おう。まったくもって、無知でお目出度いだけのお花畑思考である。



1-8)3
 仮に貴女が、おおらかな性格で、その手の問題を一切気にしない口だったとしよう。

 でも、それはそれで、
 ある意味で、好みの範囲なら誰とでも「OK」であると、口にしているようなものだ。
 ‥決して、それは女の思考ではない。男の思考と言い切って好い。


> そうだ、それこそ赤い糸に何の意味がある?


 女が赤い糸に、憧れを抱かなかったら、女の恋愛観は成立しないのだ。

 ムードの欠片もない。ドキドキもワクワクもあったものではない。
 そして、だからこそ、女の嫉妬もセットで揃っていると言えようか。
 だってそうだろう。
 無駄過ぎるほどに、{恋愛}={自由}をすり込ませているのだからな。

 そして、当てが外れようなら、鬼婆もサービス・セットで付いて来るってわけさ。
 ‥その攻撃は、パートナーであれ、息子の嫁であれ、誰であれ関係ない。

 何しろそこにあるのは、
 自分の人生に近づく恋沙汰は、すべて私の恋愛観通りでないと気が済まないと思っている。
 不幸を手懐けないと幸せに近づけないと思っている。
 負けを認めたくないとばかりの、プライドだけが一人歩きをしている。


> 誰がどう見たって、それは悪い女の様でしかなかろうに。


 おおらかであれば、売女扱いされるか、軽く見られ、
 普通に女としての憧れを爆発させていると、悪い女に陥りかねない危険を孕むのだ。

 だってそうだろう。実際、そうにしか見えて来ないじゃないか。
 (女同士だと気がつかないことでも、視点を変えれば、女なら心当たりがあるはずだ。)

 そして、

 女は、そんな自分たちの性質に、罪悪感というものを一切抱くことがない。
 むしろそこに罪を感じ始めれば、女は簡単に壊れるか弱くなるものだ。
 ‥そこに自覚を持っていればこそ、無駄にどこ吹く風にもなっていることになろうか。


> そういう風にしか女が見えなくなって、俺は自分の恋愛観を徹底的に分析したさ。



1-8)4
 男は赤い糸なんか意識してはいけない。
 男は、どのような時代・状況下でもあろうとも、女に対してオープンであるべきだ。
 なぜなら、浮気気分は男の特権であり、そうでないと自然体で社会が行き詰まるからだ。


> とはいえ、理論や理屈で、愛だ恋愛が成り立つわけではない。


 ‥人間社会が行き詰まらないように、男にはそういった恋愛観が植え込まれている。

 しかしだからといって、
 植え込まれたままに振る舞うばかりでは、不幸の大量生産しか生み出すまい。
 そんなのは「愛」ではない。ただの「性欲処理」だ。(‥そんなことは分かっている。)

 だからこそ、男が無駄に女のそれに堪える必要は無いにしろ、
 無駄に性欲にのぼせるばかりに陥るようでは筋は通るまい。それは即ち腐敗だ。


> 男は筋を通してこそ男であるのであり、間違っても、腐敗するようでは屑である。


 なぜなら、男の腐敗こそが女の腐敗を増殖させるからだ。
 女の腐敗は、さらに子どもへと影響をダイレクトに与えて行くのだ。
 巡り巡って、男のランクが総じて下がることになる。
 ‥子どもなんか、母親にべったりなんだからな。

 女に「愛」を担わせておきたいのなら、男が腐敗を見せるなど言語道断。

 男が男にこだわるという本能的意味合いに、他のうんちくなど存在しないのだ。



1-8)5
> それでも男には、女とは明らかに異なる刷り込みが発生するのだ。


 男がいつ頃に意中のタイプに目覚めるかは人それぞれだが、
 それにしたって、そこで刷り込みが発生することになる。

 女が略奪婚なんかでも、そこでの暮らしを自然体で受け入れるようになるのとは対照的に、

 男は、一度刷り込みが入った意中のタイプをついつい追跡している所がある。
 あきらめが悪いとかそういうことではない。
 その刷り込みがどこまでも追跡してくるのだ。似た女に渇いているといった状況だ。
 ‥それは男の人生のモチベーションを大きく左右する。


> しかし、男の浮気気分は、留まるところを知らない。


 多くの男が、その刷り込みの実際を認識しているわけでも理解を抱いているわけでもない。
 それでも、その刷り込みはボディーブローのように人生を支配しはじめるのだ。
 やる気の出る女と出ない女という奴の違いと言えるだろうか‥

 ‥にも関わらず、競争社会だ。

 本人様の刷り込み事情なんか一切無視されるのだ。
 やる気の出ない事情をお互いに押しつけ合うしかない様は、まさに陰謀さながらだ。
 ‥男同士の身から出た錆でもある。


> そしてそれは何も、女に向いているだけとは限らない。


 飯のスタイルにも影響が出るのだ。食べ慣れた食事という奴である。
 好き嫌いが激しければ、尚更だが、お袋の味然り、故郷の食材然りである。
 ‥科学では割り切れない、当人のみが知っているパワーの源があるのだ。

 言うまでもない。女と一緒になると言うことは、そのメニューに於ける相性も絡むのだ。
 (豊かさに溺れている輩ほど、そこを軽視しがちで、墓穴を掘ることになる。)

 始めから好きな物しか口にしないような環境下で育つと、言わずとそれ以外への対応が乏しい。

 雑味や洗練を知らないと言うことが、自らの許容を狭めるのだ。
 右の文化と左の文化に対する免疫力をどう培うかでもある。
 さらに上も下もなく主体的な経験が無くても、上から目線で決めつけて取りかかるのが常だ。
 ‥何が自分をより健康に生かしめるかについて関心が薄ければ尚更だ。


 常識的価値観にうかれているだけの輩ほど、そこの違いがおろそかだったりだ。
 ‥疎いタイプほど浮気も少ないが、生活における広がりへの興味関心も疎いのだ。

 男は、男としてそこを知らずして立つことはない。ゆえに浮気性にあるべきとも言えるだろう。
 知り尽くさんと貪欲にない者に対して、何かしらの違和感を感じるのはそういうことでもある。

 だが、

 美や艶に囚われるばかりに、自身に於ける肝心要のパワーの源との違いを手放していれば、
 ツキなんか巡り回ってくるものではない。そういうものだ。
 ‥誰かのそれをないがしろにして、奪っていたりするのも同じことである。

 場合によっては、民族レベルでの萎縮をまき散らしかねない事態にだって発展しかねないのだ。
 ‥王族間の恋沙汰はまさにその通りであろう。



1-8)6
> 女がオス化するという次第は、男のその手の特権を取り上げようとしている様でしかない。


 多様な女への免疫を有さない男の鼻の下を伸ばした様は、どうしたって見苦しいものだ。
 ところが今の時代、女もまた男同様にすべてを知ろうと躍起になっているかのようだ。
 ‥かような方向を得ずとも、女は素で横への興味関心は男より上に出来ている。

 女はかような方向に向かったすべての違いを知ろうとする必要なんか無い。

 女は自分の何たるかを男にすり込ませることに成功すればさえそれで良いのだからな。
 それでも確かに時代は‥女にも根掘り葉掘りの探求を要求しているかのようだ。

 ‥だが、少なくとも、男がそんな女どもに魅力を感じることはない。

 なぜなら、それは敵(カタキ)に成るばかりだからだ。
 始めから裏切られることが前提では、どうしたってビンボールにしか見えまい。
 それが如何にもストライクゾーンに見えようとも、ただの性欲処理でしかないのだ。


 男にしたって、無駄に自らをそんな腐敗の渦に導きたいとは思っていないのだ。


 ‥積極的に剥き出しで攻めてくる女は、
 どうしたって軽蔑もまぎれ込ませているようなものだ。それでも好いと思っている男は、
 単にモテたいだけで、自らのパワーの源を手にしたいとは考えてはいないのだ。
 そこの判断できない段階で、お互いに愛を論じても不毛なだけである。



1-8)7
> 女は始めからパワーの源そのものだ。
> その引き出しから何をどう創造するかは、男の仕事である。


 パワーの源と言ったって、シンクロ発動だから、女の側にパワーが漲っているわけではない。
 男の側がそこに波長を合わせて勝手に創造が始まるのである。

 女がそこに理解を示さずに、あれこれと自らのパワーを用いて何かをしようにも、
 途端にオス化するばかりで、逆にパワーを失っていく過程しか得ないのだ。
 ‥だからだろう、無駄に異性が欲しくてしょうがないとの感覚に落ちるのだ。


 選んだ男の自分への関わりの結果、大して広がりが得られないと思うなら、
 そこに満足が無いというのなら、それは赤い糸では無かったのだ。

 ‥男は独特の刷り込みの効果から、それを自覚することはほとんど無い。

 男に掛けられた刷り込みが悪いのか、
 それとも、自身に魅力が足りないのかはさておき、愛という響きは実に残酷だ。


> 赤い糸であろうとなかろうと、


 そこからの一歩を踏み出さない者に、
 パートナーの取り替えを試してみたところで、同じ状況しか引き寄せられないのだからな。

 赤い糸とは背水の陣のような様から創造されるものであって、
 与えられるような代物ではない‥ある意味で、
 ストライクゾーンの許容こそ、赤い糸たり得ると思い込んだって当たらずとも遠からずである。


 ならば、恋愛に於ける自由すぎる自由にどれだけの意味があろうか‥


 まずはその男が自分を以て、何を創造せんとしているかである。
 ただの贅沢への道しるべしか頭にない同士で成される次第なんか高が知れていよう。
 ‥そんな願望をいちいち成就させている余裕など宇宙には無いのだ。

 カネの使い方も知らないレベルで、どれ程にカネが入り用だというのか。

 何かの役に立つと言ったって、カネに関わるすべてに自分で責任を取るつもりなどあるまい。
 所詮、愛だ恋だと口にして囁いてみようともその程度だ。
 ‥付いて行くのがやっとなら、やっと成りの在り方にポジションを置くべきである。



1-8)8
> 男にしたって、そこは変わらない。


 「美を求める前にオリジナルの夢を持て。恋を欲する前に明日に立て。」

 愛と幸せが、贅沢しか彩らないだけの美学にしかあれていないからこそ、
 格差社会の早い者勝ちの上から保守スタンスの社会しか形成されないということだ。

 所詮人生とは、燃焼の過程でしかあれないのだ。

 そこにあるべき燃焼の仕方に、一律一極化した願望しか見いだせていないからこそ、
 安易にも「君を幸せにします」的な発想しか得られないままに足踏みをすることになるのだ。
 共に何かを目指すにせよ、幸せという響きでは、あまりにもアバウトすぎる。

 具体的に、どうあるべきかが二人の絆たる形であるかは、実際の所、
 男の夢たる方向性で決して来るとしか言いようがないではないか。

 それに女が賛同するかどうかに、女が赤い糸をうんぬん夢見るというのなら、

 まずは、女もまた生き方の多様に関心を巡らすべき事だ。
 女の価値観の多様とは、どのような方向性に幸せを感じるかであって、
 幸福感として、どのような方向性であれば、多くの消費が均一に可能であるかではない。


> 男社会の問題性とは、


 女の抱える幸福感の多様性に対する勘違いがもたらすことで続く、
 男の意地の張り合いでしかないのだ。

 見よ、三高とか三平とかそのような表現でしか男を見ていまい。
 それが社会全体での恋愛に対する物差しでしかあれていないのだ。

 「男を見るなかれ、まずは互いに描いている生活観こそを自問せよ。」

 ‥自身に心から胸を張れる暮らしの次第とは何かである。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:31 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする
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