2014年10月10日

【命題】三権分立とは何だったか?

1-4)1記稿.2014/10/10...20100827...

 三権分立の実際は三権ではない。
 表面上では四権化しているのが実のところである。


 政府…外交権&防衛権
 立法府…立法権
 行政府…行政権&発行権
 司法府…裁判権



1-4)1

> 中でも特に発行権の分離が欠かせなかった‥(プロビデンスの目)


 政党に資金を出して有無を言わせず、
 議員をカネや脅しで買収し、
 各府を統帥権の下に一元管理するのが目的の大統領制だった。(日本帝国では天皇制)
 (‥官僚なんてどうにでもなるとの算段があった。)

 ※ 世界の大統領制は、力こそ正義の表れでしかあれていない。
 ‥極論、大統領制は民主制度に相応しくない。

 行政が担う発行権を国債にすり替えさせることで、
 第三者立場としての中央銀行制度が世界を席巻する体制が固まるに至った。
 (‥官僚なんてどうにでもなるとの算段があった。)

 さらにお互いの力を削がせるために、それぞれを競わせ、年がら年中の対立関係に持ち込ませたのだ。
 (日本の縦割り社会にしてみれば、またとない方式だった。)

 お互いの立場と優位を保つには、同列に位置する権限を貶めるしかない。
 二大政党が常に対立するばかりの様は、まさにそれである。
 ‥それが上や下への分担成果の見せ方になった。(そこからして競わせる意味はあるのか?)


> もう少し正確に言えば、
> 紙幣管理の中央銀行群(国際金融資本)のカラクリを分ければ五権分立ということになろうか‥


 かようにも四権に分割して見せたことで、さらに発行権の第三者管理がもっともに見えたのだろう。
 ‥餅は餅屋だとの思い込みは、藩札の失敗等も絡んでいたのだろうか。

 その裏側では、中央銀行の中央銀行で牛耳られるばかりであった。ユダ金独裁も当然だった。
 ‥独裁政治防止の三権分立の精神なんて始めから骨抜きだったのだ。


 明治当時、

 そこを指摘した認知がどれほどにあったかは、微妙にエッジが見えてこない。
 まるで、戦争の備えを認められていればさえ、どうにでもなると高をくくっていたかのようだ。
 (発行権の裏付けたる金の産出量に、よほどの国家的な自信が有ったのだろうか‥)

 その備えへの権利を根こそぎむしり取られたのが戦後昭和の流れになった。



1-4)2

> 結果‥江戸時代の事前学習が奏を功した。


 もともと、役人としては、役職の多い方が望ましかった。
 軍政が崩壊した結果、民主化の下に自分たちの権限が担保される形になったからだ。
 (戦後復興にしたって、円安の恩恵に早くから注目していたのだろう‥)


 役職が多いと多くの者が何かしらの権限を持てる反面、合意が難しくなる。
 役職が少なすぎると権限が集中してしまい独裁になりかねない。


 なぜ独裁を気にするかと言えば、
 皆でよってたかって、権限のある所にお願いに詣でるからだ。

 (戦後復興の流れの中で、一部の国民は再学習したのだ。)
 (江戸や軍政の世とは違って、命を斬り捨てられる心配がなかった。)
 (一度その味をしめた結果、やめられなくなった。それが民主化の権利だといわんばかりに‥)

 お願いの窓口が一本化してしまうことは、役人のプライドとしても名ばかりになりかねない。
 ‥お互いの性格をよく分かっていればこそ、権限の分割は当然とされた。


 その役人勝手なツケは、公を拠り所に活用することを知らない庶民に回ることになった。


 小さい政府を目指すなら、公の役職なんて少ない方が良いに決まっている。
 それが地域で細々と自立を目指す庶民の感覚であろう。
 公務を維持するための経費を減らすには、どうしたって部署、権限分割は少ないに限るのだ。

 ただし、少なすぎると行政サービスなんか成り立つわけがない。

 ‥であれば、三権分立の由は、その意味での妥協案としての解釈もあったことになろうか。



1-4)3

> しかしだからといって、


 仲良し小好しで役職を開けたり、閉じたり、増やしたり、天下ったりとした行き過ぎは、
 ‥税制ルールに於ける民主化の意味を何ら理解していない様である。
 権限分割の必要の通りを、まずはどれ程に上るかを洗い出して見せるのが本筋だが、
 それの必要にしたって、民度が高くなればなるほど、本当のところ少なくても構わないのだ。


> 役職の必要の増えるシステムのおかしさは、対応に誠実さが得られない点でも明らかである。
 (いわゆる‥たらい回し)


 官でも民でも同じなのだから、私たちは部署・権限分割の必要の度合いをよく考えなくはならない。

 権限の分化が必要なのではない、対応への柔軟さとセキュリティが求められるのだ。
 そこを勘違いしていたなら、無駄に第三者管理を付けようとも同じことである。
 いつも隣に‥先生や親が居ては、自立している形にはとても見えないのと同じである。
 第三者管理の必要は、根っこが腐っているか養育が求められる上での苦肉の策の類いでしかないのだ。
 (‥第三者管理を、頭からそれこそが民主化の在り方と思い込んではならない。)

 何事も、合議のスムーズとセキュリティのバランスが成り立つ範囲で権限の分割を求めるべきである。



1-4)4

> 官ですべきことと、民ですべきこととを分ければ、六権分立とも言えようか‥


 官と民。
 そこに垣根を設けたままでは、そもそもにして100%民主化とは言えないであろう。

 官と民の区分は、あくまで便宜上の意味合いとして扱うべきであって、
 王政を引きずった意識延長のままでは半々である。(特に日本の場合、根から葉まで半々の精神だ。)

 「民主化とは誰かに管理してもらう主義ではない、自分たちですべてを携えるべき理念である。」

 其をあえて強調するなら、”民立分活(みんりゅうぶんかつ)”と呼ぶべきか‥
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:38 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする
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