記稿.2014/10/18
その昔の諸諸国の戦の報酬として、奴隷を与える権限が王にあった。
‥否、賊の長というべきだろうか。
その奴隷というのが、捕虜であったり、犠牲になった村や町から出る難民だったりした。
‥というのが奴隷の始まりと言えるだろうか。
それがいつの日か、奴隷は市場と化し
どこからともなく連れてこられた弱き者を商品として扱うことが、
平然と日常と化し、幅を利かせるようになった。
> そうであったそもそもの痕跡として
貴族こそが、奴隷の使用を積極的に推進してきた‥それがギリシャ・ローマの文化色であった。
ギリシャ・ローマ文明の不思議は、
その奴隷の扱いに、市民階級へのステップアップが設けられていた点である。
まるで、それこそが「王様の慈悲」であると言わんばかりに‥
> 時代を経て、奴隷制度は形を変えて、資本主義になった。
‥そう言えるだろうか。
奴隷制度に見られた市民階級へのステップアップの甘言と、
努力して頑張れば豊かに暮らせるの発想や解釈は、まったく同じである。
経済競争に負けると傘下に入らざるを得ない株式制度もまた同じだ。同じ臭いでしかない。
‥奇妙にも、自ら馬車馬に走るように仕向けられ、結局は、多くの者が奪われるのだ。
「奴隷には褒美として自由が必要だ」まぁそんな感覚だろうか。
今にしても、そんな感覚だけの”市民”でしかない。(古代のそれと比べれば天と地だが)
> 実際、そうであろうに。
それが西洋だった。それが欧米だった。
そこにプロビデンスの目が見開いていたということだ。
> それにしたって、私たちはニンジンを目の前にぶら下げて貰えないと頑張れないのだ。
もしそうでしかないのなら、彼らの定義する奴隷と変わらないと言うことになるだろうか。
まったく以て、恥でしかない。
最近では、そこの生真面目な人間性を逆手にとって、
尚更に、奴隷に貶めんばかりの取り組みがされていた。
‥そこに皆が気がついて、ようやくにして声を上げるようになった。支えるようになった。
それでも、未だに多くの者が、ニンジンが目の前にぶら下がっていないと頑張れないでいるのだ。
まったく以て、牛歩でしかない。否、亀並である。カタツムリであろうか。
> 奴隷が奴隷でないとする人間としての確かな根拠があるとしたら
それは分け合うことだ。分け合ったかどうかだ。
それだけが、そんなくだらない搾取側との決定的な差であろうに。
‥誰がどう考えたって、奴隷からの自由とは、本当の自由とは、分け合うことでしかないのだ。
「何が競争だ、何が一番だ、何が頂点だ!!」
極まることなど決して訪れまい、在るとしても分け合うばかりだろう。
‥それ以外の自由競争解釈など、不幸の押し売りに過ぎぬ。
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