2014年11月07日

【命題】男に勝てると思っている女の割合は?

1-3)記稿.2014/11/07

 男女平等が社会に与えている根本要因として、
 近代以前まで続いて来た王政即ち男系主義に異を唱えた主張と見ることができる。


> 王政は崩壊したのだから、男女の立場は対等であらねばならない。
> 思想としてそういう方向性が得られて然るべきである。


 ‥とまぁ、そういうことになるだろうか。

 ところが、市民革命を得ても、男どもは戦争に夢中になり、
 一向に女性の意見を取り入れようとせず、なんだかんだで世界規模での戦争を経るに至った。
 陰謀もさながらだったにせよ、手段としての戦争の時代はもはや続かなくなった。

 そこで、女性の地位向上に合わせて、

 男女平等なんだから税収も平等であるとする方向に舵が切って取られた。
 否応でも、女は男と競争することが求められることになった。


> ‥ところで
> 男に勝てると思っている女の割合はどのぐらいなのだろうか?



1-3)1

 男女共学の場合、学力で言うと、上位に女子が食い込むことは何ら不思議な状況にはない。
 むしろ、女子の割合の方が微妙に多いのではなかろうか‥

 つまり、男に勝てると思っている女の割合とは、
 小中高の学習を通じた経験に基づくと考えられる。
 ‥まぁ女子人口の2〜3割程度だろうか。(憶測+経験則)


> 一方で、男が女に勝てないと思っている割合はどうだろうか?


 これは考え方にもよるが、夫婦関係を見てもそうだが、
 勝てないと思っている男の割合は、半分程度と見ていいだろう。(憶測+経験則)
 ガキの頃はどうだったかなんて関係ない。それが大人の男の事情であろうか。

 ‥この差を考えると

 男の方が、女に対して強く出る傾向は、本能的であり、変えようがないと言える。
 むしろ、勝てると思っていない女子の方が多いのなら、
 男女平等で競争社会に放り込むことは、女子の側に格差を強いている様なものだ。(日常観)

 ‥だからこそ、男を押して、頑張ってもらおうというのが、女の根っこにあることになる。



1-3)2

> ところが、


 男の上位に女の3割が当然のように割り込んでくると、
 どうしたって、男の3割があぶれることになる。
 すると、結婚できない男が増大し、結果として女も結婚できないという流れになる。
 (‥昭和から平成への切り替えは、明らかにそこの転換点)

 女が上に立つとか、立たないとかうんぬん以前の問題として
 格差しかもたらさないのが、男女同権の在り方を均等にしてしまえば良いとする発想だ。

 「単なる均等ではダメなのである。」

 民主化ゆえに同権は同権であるべきであるにせよ、
 まったく同じにしてしまうだけでは、端から結果は見えていたのだ。
 そもそもが、競争社会×恋愛自由、善意も誠実も選択の自由と化している。


> しかしだからといって、実力の差を以て境目を付けることはできない。


 なぜなら、実力があろうと無かろうと、怪我もすれば病気もするのだ。
 運勢にしたって、どうなるかなんて丸で分からない。
 そんな状況に境目を付けることは不可能だ。



1-3)3

 その昔にあった男女差の傾向を挙げるなら、
 継がせるのは男が基本だった傾向に意味が薄くなったのが今時代の感覚だろうか‥
 それでも、実際の状況はそのようにはない。


> なぜそうならないのかと言えば‥


 M&Aなんてものが日常的にあると、どうしたって女の立場は怪しくなる。
 なんにせよ、防衛的であればいいだけならまだしも、
 攻撃的に攻めることが求められるのが、資本社会の都合だからだ。

 資本主義なんてやり方は、そもそもが植民地支配の延長だ。

 女がそんな世界観に参画して、同じやり方を求められたとして、"YES"だというのなら、
 それが普通の日常に成っていこうというのなら、女の幸福感とは一体何なのだろうか?
 そこに男の側の不可解が募ることになる。


 そもそもにして、男が女に問答無用で従う許容と言うのがある。


 それこそが、幸福感に満ちた女に対してあれこれ言わないという傾向だ。
 男勝りにも、男と競うことしか頭に無い女なんかそれこそオスでしかないのだ。
 ‥だからこそ、男の側がそこに疑問を抱いて勝手に拒絶している様なものだ。

 女は、実権を手に入れることを考えることよりも、
 幸福とは何かを、空気に纏わせて示すべきである。
 その上で、男に勝てると思っている女の割合を、どう活かすのかという問題があるということだ。


 普通に仕事をやり繰りし合えば、上手く行くなんて次第では無いのだ。

 技術の進歩と共に、現場的な意味での男女差は皆無に向かうばかりだが、
 指導的な意味になると、途端に男女の役割の差、立ち回りの適性の差が生ずるのだ。


> 男女の適性の差を適正にしようと思ったら、それこそ資本主義は棄てるべきである。


 ‥そこに、女の価値の真価が問われている。
 なにも、どうでもよさそうな多様性を繁茂させることが女子力では無いのだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:26 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする
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