2014年11月22日

【哲学】大脳旧皮質の意味

1-4)記稿.2014/11/22

 今回の記事は
 【哲学】爬虫類脳を問う
 【妄想】宇宙とんでも大脳皮質物語
 ‥を参考に続けて綴っている。今回は、大脳旧皮質の役割を問うてみたい。


> 私たちは、とかく新皮質こそ人間らしさの象徴であるように思っている‥
> 果たしてそれは本当だろうか?



1-4)1

> 例えば、わがままに育つそれは新皮質の働きだろうか?
> 例えば、体が覚えるという感覚は新皮質の働きだろうか?


 旧皮質の方が、爬虫類脳に近いのだから、
 爬虫類脳に近い旧皮質に、そのような回路形成の焼き付け機能を設置して、
 爬虫類脳の暴走を緩和させる狙いで、仲介機能としても配置してあると考えたって良い。

 野生動物の思考を考えても、

 人間と一緒に暮らしていた個体は、
 個体差はあるにせよ、どこかにその記憶というか気持ちを残しているものだ。
 それはどう考えたって旧皮質の中に宿した働きと考えて良いはずだ。
 ‥全身で覚えた感覚は、どこかに親しみを抱き続ける何かを刻むのだ。

 心に刻まれる前段階として、

 記憶の維持として、ある一定の負荷を得ないと刻まれることがないのだ。
 人間にしても同じだろう。
 ‥どうでも良いことだと思っていれば、記憶からどんどん失われるばかりである。


> 繰り返し、繰り返して‥得たアクセスルートに対して


 どのような感情を蓄えるかの個体差はあるにせよ、
 新鮮で興味を誘う物事でなければ、反射的な処理対象としてでしか扱われることがない。
 ‥本能を定義するなら、そんなところだろうか。

 ‥何を以て、新鮮で刺激的だと感じて、旧皮質の働きが同調作用しているかである。



1-4)2

 動物(ペット)を甘やかせて育つと、そこにあるべき関係に相応しい対応を理解するところがない。
 それはある意味で、人間の都合を含ませた躾ではあっても
 ‥旧皮質の機能として、
 あるべき必要に興味関心を抱いて、同調作用するようにちゃんと出来ていることになる。


> 旧皮質は新皮質とは違い、


 爬虫類脳に近いわけだから、爬虫類脳の意図する信号からの影響を受ける。
 もちろんそれは野生への回帰を意味する。

 その点、人間は新皮質の側を主体としているので、野生に縛られることは少ないにせよ
 新皮質に偏って、体を動かさないで居たりすると途端に軟弱化していく。
 とくに、手先の器用などは、繰り返すことでしか身につかないのだ。

 そのような感覚は、一定量の負荷の結果、
 旧皮質が特定の作業イメージを脳内で単略化して意識に焼き付けたと考えられる。

 ‥これは、動物のように始めから本能に刻みつけられていなくても、
 人間本人が新皮質から、やる気を伝達することによって
 旧皮質に新しいノートを広げるように、新しい特性の確保を用意できるようになっていると考えられる。
 (もちろん、向き不向きはある。そしてそれは本能からも影響を受ける)


> 本人の意識が改善の指令を発しない限り、


 そこに刻みつけられた癖や問題点を洗い出したような改善を、
 不適切に形成された回路に対して与えることは出来ない。

 それにしたって、相当量の負荷を与え直さなければ、なかなかに改善されることはないだろう。

 ‥その負荷を緩和させるには、

 別ジャンルからのアプローチを経験することで
 自身の感覚として、複合させていくような過程を刻んだ方がスッキリ行くこともあるだろうか。
 ‥ようするに、刻んだ中身の多くをリセットして忘れてしまうほどのインパクトを自身に与えるのだ。
 (このようなショック療法は、生活意識の改善療法等で見られる手法である)



1-4)3

 このような推論から、甘やかして育つ場合における脳内の経験をチャート感覚で説明してみよう。
 (‥まぁチャートと言えるほどはない)

・ 何でもかんでも与えられるものだとの本人の思い込みが脳内で回路形成を始める。
・ その形成の過程に於いて、誰からもダメを言い渡されることがないと‥
・ 自身の中で例外の発生に対して、プランの変更を思考させることがない。
・ ダメばかりの嵐でも同じことである。
・ 多様性を得ずに回路が一定の負荷を得たものとして判断をすると‥
・ 脳内に於いてその回路を適応率の高いものとして利用する段階に移行する。
・ その段階に到ってからの例外の登場は、圧倒的な壁として扱われることに成り‥

 ‥動物的な本能としてそれに対処するには、
 従順に振る舞わざるを得ないとの回答を当人に突きつけるのみとなる。
 それに対して自身の気持ちが”NO”であったなら、エンジン停止のトラブルの発生となる。


> 例えば、赤ん坊に対して無言で振る舞っていると


 大人でもそうだが、無言で目の前に居られるばかりだと
 一体何が起きているのか気になってしかたがない。
 その結果として、落ち着きがないという回路形成がされることになる。
 (終いには、避けてどこかに移動するか、その場で切れるかだ)

 だからこそ、あれこれ世話をする上での言葉のやり取りは欠かせないと言えるだろう。


> ただし、人間は動物とは違い、新皮質を使いこなすべきキーワードを有する。


 それこそが、「どうして?」「なんで?」である。
 そのような投げかけを与える必要が欠かせないのだ。

 例えば、赤ん坊が「ぼくはそれを食べたくない」と意見したとしよう。
 しゃべれないにしても、態度でそれはわかるわけである。
 しかし、赤ん坊は、なぜそれが嫌で、他の何を食べたいかを表現できない。
 だからこそ、「何が食べたいか?」という言葉を投げかけることになる。

 何と言われても、表現の術を知らないから、具体的なものを示すことはできない。
 だからその次のステップとして、いろいろなメニューを大人の側が提示する必要がある。

 ところが、食べたいものしか口にしないタイプと
 出されたものを片っ端から口にしていくタイプとに分かれる。

 タイプが判別したのなら、分かれた段階で、性格を把握して付き合う必要がある。

 ‥これが大人でもなかなかにできない。
 それは、「新皮質の訓練が出来ていないから」となる。
 なまじ旧皮質が覚えてしまっているがゆえに、変更がすぐにできないからだということになろうか。



1-4)4

> 新皮質を使いこなすには、それ相応の柔軟性を得るだけの経験値を得る必要がある。


 野生の動物とは違い、人間が新皮質を有する以上できないということはない。
 ただし、何をどうやれば柔軟性を得られることになるかのテキストというテキストは存在しない。

 それゆえに、

 新皮質を使えこなせていない親の子は、
 当然として新皮質の使いこなしに鈍い特性を受け継いでいくことになる。
 (アスペルガー症候群は、この新皮質と旧皮質を繋げる回路形成が弱いのかも知れない)

 ‥だが、人生はいろいろだから、どこかで親以外からの感銘を受けることもあるだろう。
 もしくは、自ら蓋を開けられるだけの魂の資質もあるだろう。
 それでも、それの蓋を開けようとするかどうかは本人次第である。


 ‥仮に開けられたにせよ、


 それは新たな世界観を得ることに等しくもあるがゆえに、当人の性格がもたらす生活習慣次第では
 そこから良からぬ回路を焼き付けてしまい、使いこなしの道を自ら封じてしまうケースもある。

 ‥薬とか薬物とか酒とかセックスとか暴力とか過酷な何とかとか偏った趣向とか、
 脳内の回路が変貌してしまうような在り方はまさにそれであろう。
 (動物脳的に言えば、ニオイや音ほど強烈なものはない)


> 今の時代、迷信にも疎く、甘い蜜に吸い寄せられてしまうばかりのそれは


 ‥何をどう考えたって、
 新皮質に意思決定を発さずに、旧皮質を鍛えずに、
 棒としたままに生きられるとばかりの問い無き足取りにしか見えないものだ。

 何かにハマるにしたって、

 「なぜ私はそれにハマるのか?」を問いながら付き合うだけでもかなり違ってくるものだ。
 もちろん、答えも合わせて問わないようでは、回路に対して修正を見いだしていくことにはならない。

 (問いに対して答えが得られないなら、疑問の対象とする分野なり見方を変えてみれば好い)
 (人生という永遠のテーマに転がっている疑問の選択肢なんぞ、無限同然である)
 (問うたなら、答えをひねり出すまでの過程が大事。その道のりが回路形成に繋がって行く)
 (全身を用いてアタックすることも欠かせない大事な要素の一つだ)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:09 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする
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