2014年11月24日

【命題】政治とは何か?

1-3)改稿.2014/11/24

 立候補者が選挙前にしてしまいかねない有権者への余計なサービスを違法行為という。
 では、政党が経済を争点にして提示するアメ玉公約はそれに相当しないのだろうか?
 さらに、公約を実行しないなら詐欺罪に相当しないのだろうか?


> 見解として、非常に苦しい‥


 なぜなら、経済政策を決めるのは政治の仕事だと思い込んでいるからだ。

 ‥その自分たちの活動血液たる税を
 人民の活動自由の成果から搾取してくる次第を政治だと思い込んでいる。
 人民の自由から搾取してきた分を再分配することを平等だと思い込んでいる。

 そんなのは、賊が行う身内での分け前行為の中身でしかない。



1-3)1

> では、政治とは何か?


 誰がどう考えたって、政治から見て、人民とは種のようなものだ。

 ‥自分たちの労働を減らすためとばかりに、
 都合良く種を弄って、ルールを抜いたり入れたりするのは、人権の尊重とは言えないのだ。

 従来の政治とは、

 まさに種籾分と消費米分を二手に分け、
 自分たちを種籾として見立てて
 如何にして良質な種籾を自分たちだけの権利に仕立て上げるかという次第だった。
 ‥それが王政たる形だった。血族に偏りがちな議員や政党支持の感覚だった。



1-3)2

> では、何をどうすれば政治と言えるだろうか?


 種を育てるには、土壌の整備と光と水が欠かせない。
 光は天の仕事だ、人の業ではない。
 水を撒くのは人民の仕事だ。分かりきったことを政治が口を挟むことではない。

 政治が口を挟んで良いとすれば、水を巻けるように整える上での整備である。
 是ばかりは、誰かが音頭を取らないとどうしようもない。
 土壌の整備も同じことである。

 それにしたって、ある程度まで出来てしまえば、政治にすることなどない。
 そこが農業と異なっている。
 しかし、ルーチンなディスクワークで人臣が育つかというと腐るばかりだろう。


 「では、政治家は何をすべきだろうか?」


 人民が種であるなら、種の育ち具合を見るべきである。

 必要があれば、雑草を抜くべきだ。ただし、一律でそれを推し進める必要など無い。
 全体で収穫を均一にしようとすると、余計なことをしてしまうばかりだろう。


 育ち具合の観察とは、

 人民の観察であって、天下の法だけを見比べて、法の在り方の是非を問う観察ではない。
 人民の流れを見ずして、法の改善(適切な手入れ)など得られるわけがないのだ。
 人民を見ることだけが政治の役割なら、清貧の詩人と‥さして変わらん。


> 政治家が政治家たるには、


 横の繋がりを確かにする意味でも、一人ひとりに伺いに参ずる主体行動こそが欠かせまい。

 ‥そこを、片手落ちでも十分ですよねと言わんばかりの競争主義では、
 どうしたって土壌は、酸性でもなくアルカリ性でもなく整うことがないと言うことだ。

 土壌の整備が未だ済んでもいないのに、
 人民が適切な収穫を望んで愚痴巻いている方がある意味でどうかしている。



1-3)3

> ‥政治から見て、土壌とは何か?


 人民が、自分たちで誰を選ぶかという器量を示すところから始まっている。

 そこから始まるというのに、搾取されるのは当たり前‥
 誰に搾取されるべきかを選んでいるだけの有り様は、
 どうしたって誰が一番に要求しない人かを望んでいるだけでしかない。

 ‥自分たちが搾取されるのは当たり前の発想で、どうしてそれが叶うだろうか。

 搾取されたくないのなら、
 選ぶべき人の考え方は、自分たちの思い込みとはまったく違うという次第を
 まずは理解すべきである。


 もう一度はっきり言っておこう。


 人民は種である。水を撒くのは人民の暮らしぶりの基本である。
 水を撒けるように用意するのが政治の役割である。
 その水をどうして種から得ることが出来るというのだろうか?
 再分配の理屈とは、種籾と消費米を二分するだけの沙汰でしかないのだ。
 ‥そこが理解できていない民主思想など糞である。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:00 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする
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