2015年01月15日

【詩】梨のような風味なり

記稿.2015/01/15

 酸味を失えば、ミカンとて梨なり
 酸味を失えば、イチゴとて梨なり
 酸味を失えば、レモンとて梨なり
 糖度ばかりを追いかけ、風味に香り・色・形だけあれば好しと思うは愚かなり


 植物が実を不揃いに付けるは、最高の種を宿すためなり

 その調整の一環として、実の不揃いは生ずるなり
 最高の味わいの実付けなど、植物の性質に元から有らぬ

 人が、甘みだけを求めるようになった姿の裏には、最高の種の意味を知らぬところにある

 最高の種とは、磁場への適応である、野性味の現れである
 その結果、新種としての変化が伴うは必然
 その結果、如何なる環境に於いても特定の性質を垣間見せるは必然
 その野性味が命に連鎖をもたらすは必然


 見よ、人が手を掛けすぎた作物を‥

 人の手なしで、どれだけの種がその個性を維持し発揮するというのか?

 まさに梨であろうが
 とくにこれと言った個性がないからナシと言ったのだろうに
 そのような作物を食せば、いずれ人もその影響を受けざるを得ず‥


 梨ばかり食っていて見よ、飽きないようでいて飽きるものよ
 似たような考えだけの者と組しても同じことであろうが

 最高の種を宿すには、実りなど不揃いで十分なのだ
 不揃いを受け入れて食す気概もまた欠かせなきことである



|粒ぞろい期待されて甘くなる、気付けば、生きづらさばかりが目に余る
|余るなら、無駄を生かすさず点数限定、見よ甘くなって全部売り切った
|売り切ってようやく紡げる栽培の明日はもっと甘くそれしかあり得ない
|あり得ない野性味宿らぬ品種など、愚かな選択、人のみの味覚食物なり

posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:16 | Comment(0) | 農業 | 更新情報をチェックする
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