2015年01月26日

【考察】三島由紀夫は中二病だったと思う

1-2)記稿.2015/01/26

 "戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたのか」第7回 三島由紀夫"を見た。


> 俺にとって三島由紀夫は、とても不思議な日本人だった。


 どうして割腹して果てたのか‥とても謎めいていた。
 ちなみに、彼の小説は一切読んだことがない。
 謎めいていると言っても、それは事件性に対してであって、人間性に対して思うことはない。

 とりあえず、あの手の日本人の自決は特定の考え方があるだけであって
 人間性を問うよりは、特定の考え方の中で生きているというそれ以外の何ものでもないと思う。


 三島由紀夫のそれを‥番組の内容からざっと感じられたのは、中二病だと思った。
 ‥それ以外に表現のしようがない。



1-2)1

 三島由紀夫は学生時代、貧弱な肉体のお陰で学徒出陣することがなかった。
 彼の心の中で、それはとても重い何かになっていた。

 彼は小説家になってから

 小説家のダメになるパターンに酒・タバコ・女を指摘して、
 自分はそうはならないための決意として、自らの肉体改造を試みた。
 ‥その改造の結果、小説家としてどうなるのかとの実験でもあったらしい。


> 彼の小説は、常に華族にみられる華やかな社会性がモチーフにあるようだ‥


 天皇中心の日本を言い表すための題材なのかどうかは知らないが、
 どう考えたってそれは庶民の感覚とは随分と違っていたと思う。


 彼は肉体の改造に成功したことで、
 過去の自分がすべきだったことをしたいと考えたと思う。
 過去の自分とは、即ち学徒出陣だった。

 その当時の若者として‥できなかった自分を克服するべく‥成り切って、
 自分に今何ができるのかを模索したのだろう。


> 彼にしてみれば‥肉体の改造の結果、死に方を発見した様なものだったに違いない。


 ‥時代も、学生運動の盛りだった。
 それに乗じて、天皇と日本というドグマをぶつけるのに好機だった。
 彼のあの一連の行動は、彼なりの作品だったのだ。



1-2)2

 如何なる中二病者でも、自らの命を染めるという処まではしない。
 なにしろ、それは、自分自身の世界に酔っていたいだけの幼稚な遊びでもあるからだ。
 自分を殺してしまっては、その後の展開を味わうことはできやしない。
 ‥そんな事では、中二病を味わっているとは言えないのだ。


> しかし、三島由紀夫のそれは違っていた。


 彼の中二病としての対象は、かつての貧弱な自身の過去を拭い去ることであり
 ‥拭い去った形として、自分は生きているはずがない存在であると判断したと言える。


 それにしても、彼にとってあれは、作品だったはずである。


 誰に向けられたというわけでもない。
 彼はそういう選択肢しか持ち合わせていなかったのだ。

 彼だけではない‥出征で死んだ者、出征で地獄を見てきた者たちの叫びでもあった。

 得体の知れない経済に因ってもたらされた腐敗感と虚無感。
 そんなものを蔓延させるために戦ったのではないとした憤り。
 ‥其を否定したくても、代わりとなる社会の形を天皇と日本以外に表現できないもどかしさ。


> 彼があのように自身を作品として完結させたことで残ったことと言えば


 その死に問い隠れたメッセージということになる。
 語り継がれることで、「あれはなんだ?」を誘うことになった。
 それ以上でも以下でもない。


 「あれは‥そういうことなんだ」と、そう思うより他は無さそうなのだ。


 ‥出征で死んだ者たちと同様に、死を以て訴えかけ続ける力
 腐敗感と虚無感の中にのさばろうなどとあり得ぬ者の選択肢だった。
 この先、無駄に生き続けても美しくはない。そんな割り切った不器用だったと思う。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:33 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする
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