1-1)記稿.2015/02/05
厳密に言えば、表現の自由には肯定も否定も含まれる。
極端を言えば、最悪の表現は戦争である。
リアルの戦闘もまた表現の自由の範疇だ。
そう考えれば、表現の自由に賛否など無用だ。
そこには、表現の空気があるだけだ。
その者の表現の中にある空気が好きか嫌いかでしかない。
誰かの好きか嫌いかを、逐一あれこれ言うことに何の意味もない。
そこに何かがあるとしたら、討論したい空気があるだけだ。
そもそもの争いの種は、常に表現の自由もとい討論の自由より始まる。
何かの好きか嫌いかを火種に暴走することは、もはや表現と見なされることはない。
それは‥単に闘争欲か殺意である。
‥言うまでも無きことだが、闘争や殺意を題材に何かを表現する意味での空想は勝手である。
そしてまた、してはいけないとした倫理や道徳を含むべき諭旨は、
表現の自由でも選択の自由でも無い、人としての根っこである。
人としての根っこが壊れていると判断されれば、表現どころか存在そのものに係わることだ。
言うまでも無きことだが、壊れた存在性をひっくり返せるかどうかに挑戦する生き様は勝手である。
そこまで腹を括り他者の生き様を見つめてから‥表現の自由を口にすべきである。
‥尤も
そんな身勝手な生き様は認められない。
表現の空気に鈍感でなど居られないのだ。
1-1)1
> 日本人の多くは、特別攻撃の極みに搭乗員が「お母さん」と叫ぶものだと思っている。
しかしよくよく考えてみれば、戦闘中は無線封鎖が鉄則である。
「一体‥いつ、誰が、その叫びを聞き届けたというのだろうか?」
つまり、あれは誰かから始まった表現の形に過ぎない。
だからといっても、誰も違和感を抱かないほどに浸透していよう。
それは、そこにある表現の空気に誰しもが納得しているからでもある。
(‥否否、ただただ共感があることが救いの願望の集大成かも知れぬ)
> では問おう、ジーハードで自爆テロする搭乗員は一体何を叫んで死ぬのだろうか?
それこそ、その運転席に隠しマイクを仕掛けておいて
その叫びを収録するしかない‥
そこに本音を垣間見ることができるだろう。
神の名を叫ぶのか、かつての恋人の名を叫ぶのか、お母さんと叫ぶのか‥
まぁ興味のあるところだ。
自爆テロの本音を世界に訴えたいなら、仕掛けてみる作戦も有りきである。
‥仮に、十中八九、アラーの名を叫ぶだけだったなら、
それはそれで、世界に火が付きかねないところだろう。
その反対なら、ジハードに何の正義も無きことの切り札だ。
> 本音で生きていないと、その蓄積で、世界の行方が違ってきたりすると言うことだ。
表現に自由など始めから許されてなどいない、本質の的を射ていたかどうかだけである。
(‥お互いが本質を計る上での許容が容認されるばかりだ)
本気のつもりのくせに成長を見せぬなら‥その者の言葉には何の力も宿ることが無い。
自らの本音を自覚せぬ者は、他者の嘘と本質を見抜けないと言うことである。
表現の空気の中にある毒に呷られたくなければ、自ら本音を洗いざらいにすべきである。
(客観‥大ざっぱでも好いことの方が多い点に、逆に気がつくことに成るわけだが‥)
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