2015年02月11日

【川柳】申し訳ない20射

1-1)記稿.2015/02/11

|駄目と無理‥ヤマを閉ざされ先送り
|情報を確認すれど顔を見ず
|飽きたんだ孤軍奮闘メシの味
|無口奉行、飛び火を避けて見るるのみ
|存在感一から十まで欲しくない
|多様化の広がるままに角と溝


|シェア争い顧客の名覚えBばかり
|Cの顔、決算するときゃただの数


|数値より汗ぞ食いたき腹の音
|こだわれば自分の手でやる一次産
|出来映えを「うまし」と思う自分産
|お国自慢トコトン目指す汗と顔


|あるだけの汚ねぇ地下鉄欧米産
|もてなしも混雑目にすりゃ半分こ
|汗だく勤「申し訳なく‥」技鉄道
|日本の民度の高さ国の幸


|長蛇列「申し訳なく‥」技ラーメン
|人気とは、申し訳なく磨く道
|「どこにもねぇ‥」おらがままなど虫の息
|変わらずを得ず自分との天地人



1-1)1

> 自分で詠んでて一本取られましたとさ‥orz


 ‥しかしまぁ、
 社会が変わるのに人ひとりが変わるべきことなんて、ほんのちょびっとのはずである。

 それらちょびっとが、べき乗を起こせるかどうかが肝心なのであって
 かつ、効率で言えば一番負荷が小さくて済むのに
 なんだかんだと、必要以上に誰かの革新に注目するばかりは、お門違いである。


> それでも、変わるべきポイントを上手に伝えることができないと
> 個々で理解されるばかりで、全体としてのまとまりを欠くのが人間社会のへんてこだ。


 個々の理解の拡散が、深いところで融合していずれ弾けるにせよ、人ひとりはあまりにも賢くない。

 技術が進歩して常識が変わっても、
 置いて行かれる人がいることが前提の経済だから
 結果的に負荷が大きく、まとまりを欠くことになるのは当然であり、そのように良く出来ている。

 みんなが優秀で、みんなで物わかりが良かったら、
 人が進歩する意味合いなんて、はじめから必要としない。

 つまり、現代人にありがちな独占的ウハウハ願望を投影したいだけの自由経済なんか
 非効率かつ不公平で、意味が無いってことだ。
 ‥原風景を基準にして生きられれば、それで十分だってことだ。
 (そのサイズを基準にしないと、時間経過的に赤ランプが点滅する)


 現代人の感じる所々に生ずるしんどさとは、克服すべき事柄ではなく、慣れるだけの次第である。
 それでも、人にはどうしたことか許容があり、それが縁をもたらしてもいる。
 ‥その縁を蹴るか蹴らぬか、それをどうするかが、実に心苦しいだけである。


> 一人一人が自身に無理をしていると、縁も廻らず、結果的に全体に不十分が波及する。


 ‥逃れられないというのなら、何かがおかしいわけであり、
 そこの問答を始める事が肝心で、そこを通じて縁が首を伸ばして待っているということになろうか。

 何もかもが普通で、普通が当たり前なんて考えが蔓延しているから、偏見も蔓延するのであって
 そんな自分が躓いたというのなら、良い機会だろうから普通を断捨離するのもありだろうか。
 (‥極端になる必要も無い。自分の欲求の置き所を、自分の必要に置けば良いだけの話である)
 (自分の心から湧き出ない動機や、琴線に触れない言動では動かないことだ、望まないことだ)


 そもそもの普通とは、戦後昭和に築かれた中流意識であり
 その前提とされたのは、大企業中心&企業的戦闘社会を回す上での都合だった。
 平成に成ってもその亡霊は漂い、格差の拡大と共に、無理に引き延びた形をするようになった。

 三丁目のタマが好いとか言っても‥
 日本はすでに世界の中の大国であり、追いつけ追い越せの道程にはない。
 無味な幻想を抱く前に、バランスの崩れている現実を素直に正す由に注目すべきである。

 ‥新興国や後進国は、先進国と同じ轍を踏みたくはないのだから、
 如何にして、崩れたバランスを取り戻せるかに注目している点に変わりはない。
 そしてそれは、我が国さえ好くなれば良いというレベルでのバランスではない。


 ‥ならばどう考えたって、それほどのバランスを取り戻せた力は、名実共に、
 日本が世界の中心に立つ上での前提と成らむ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:50 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする
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