2015年02月16日

【命題】法案提出は民衆の権利であるべき

1-4)記稿.2015/02/16

 現状に於ける法案は、そのすべてを官僚が手掛けているに等しい‥

 最終決定が立法であるのなら、何も法案提出を行政や政党に限定する意味合いは無い。
 国会に提出するまでの枠組みで考えずとも、省庁等に法案を提起できる形は認められるべきである。

 しかし、法案を考える上で重要なのは、現行法への理解である。


> その基準として、法律検定制度を検討すべきである。



1-4)1

 検定制度なのだから、級毎になんらかのメリットと格付けの差を設けなければならない。
 法案を考えるに足る理解を問うわけでもあるのだから、
 得た知識を活かせるようにできるに越したことはない

 例えば、

 3級なら、地方公務員の臨時職員を雇う上での資格条件にするとか
 2級なら、代議士や弁護士の秘書資格に条件付けるとか
 1級なら、司法試験合格とほぼ同列に扱い、法案を提出する際の代表的立場を担えるとするなど‥



1-4)2

> 提出された民衆からの法案は、一般公開されるべきだ。


 省庁が推薦したわけでもない、まして自分たちの草案でも無いのなら、
 公開に様々な意見が交わされたところで、それに責任が付きまとうわけでもない。
 官僚としては、様々なアイデアに反応を見て、意見を集約することができる。

 ただでさえ、官僚は忙しく国民の反応を得るに手頃な仕組みが無い。

 テレビ報道と言えどもマスコミと組んだような偏った内容に成りがちであり
 それが官僚全員の思考であると見られているのも如何なものかと思う。


 さらに、官僚はデータが出て来ないと動かない。

 データが出るのに3〜5年の放置プレイが当たり前となる。
 問題が表面化した頃には、深刻化した騒ぎとなり、
 対処しようにもまとまった金額を前提にするばかりで、アイデアも予算も合わずに先送りになる。

 つまり、意図しない法案要求を目にした段階で、

 最優先で対応すべききっかけを得ることにもなろうか。
 責任を取らないクソ体質を官僚の側から変えられないというのなら、
 せめて、国民の空気を読めるようにできる仕組みを得るべきだ。


 ‥自分たちの存在意義が危うくなるほどの法案が目白押しになれば、嫌でも動かざるを得まい。



1-4)3

> 検定制度を得ることで、官僚にもある程度のチャンスは回って来ようか。


 それは、自分たちが先んじて法案勉強会を開き、優秀と思しき人材を囲えば良い。
 そうすると、自分たちの存在意義が怪しくなるなどとの心配も減るというものだ。
 とはいえ‥官僚がその手の勉強会を開けるほどの時間を確保できるかどうかは甚だ疑問である。

 官僚で言えば、そんな時間を持てるのは、真っ直ぐがゆえに外された人材と言うことになる。

 ‥それはそれで、外してなどいられないという次第に成ろうか。


 仮に、勉強会が順調に開かれるなら
 それはそれで、自らの出世に刺激を与え合うお付き合いになる事だろう。
 クソ忙しすぎて、知り合いが仲間内でしかないからこその天下り戦術‥
 なんらかのツテを独自に得られれば、組織ぐるみでの世話も要らなくなるかも知れないな。

 ‥もっとも、勉強会自体が糞にならないとも言えないが
 個人的な付き合いが主体になることに変わりはない。
 ツテを広げる意味でも、分散は欠かせないことだ。

 それなら、組織名義のコネとは少し角度が変わって来ようか。



1-4)4

> 民衆から見るなら


 政治活動をするのに、政党に参加する以外の選択肢を得ることになる。
 地域の法案勉強会に参加するという事でも、政治への参加が身近になるからだ。

 ‥尤も、その手の勉強会自体が、既成の政党に属している場合もあるだろう。
 属していない場合もあるだろう、その辺で地域色が出るのは運としか言いようがない。

 また、その手の勉強会が政党を立ち上げるような進展も考えられる。
 ‥まぁ政党と言っても、地域政治の枠が中心な感じだろうか。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:34 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする
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