2015年02月21日

【川柳】偏択化と他33射

1-3)記稿.2015/02/21

|「儲かりたい‥」夢もヤマも偏択化
|「儲かりたい‥」見渡す限り志し
|「儲かりたい‥」商売ガタキの横行不況

|肩落とす「継がせられねぇ‥」藪の明日
|「継ぐまいと‥」後に続いて吾独り
|無理難題、伝承稼業の生き残り
|弛まずに技を磨いて檄の開け


|つめたしや自由と競争そればかり
|デモ行進「負けてたまるか」民の明日
|丸腰の主張におののく閣議室
|「撤去せよ」悲願を狙う自民党
|別腹や、防衛込みの縦列景気

|戦争の右肩上がりはあり得ない

|戦局にポンとカネ出す予算案
|出し渋り弱者据え置く予算案
|護るのは軍事と神事とあと金塊

|国民に「耐えよ」とばかりのあの言葉
|「捧げよ」と言わんばかりのあの役人

|役人もヤクザと同じく銃とカネ
|税制や民の誉れを狙い盗る

|アメとムチ、正義と思えば進歩無し

|上からの何でもありのカネ封鎖
|戒厳令、夢見る権化の中二病
|「カー」と鳴く。権力見せたき正義面
|拒否権ぞ。意を違えた国民投票
|「束になれ!」世直し立て替え主義主張


|国民を束に追い込む気象異常
|キチガイと組まざるを得ず資本社会

|誠実を求めて止まぬ武士の子孫
|恥脱げや666のあの連中

|腐っても武士の誉れぞ「切腹せい」

|責任を背負って立つほど深呼吸
|恥を脱ぎ誠を背負う土下座かな



1-3)1

> 新しい日常熟語をひねり出すのは川柳の醍醐味である。


 偏択【へんたく】:選択の自由の落とし穴。全体の選択肢が一つに偏る様。
 偏択化【へんたくか】:損得勘定から全体の選択肢が一色に偏った競争原理の不意を表す。

 ※ 一極化や多様化のニュアンスでは物足りないので新しく表現してみた。
 経済用語に類似があるかも知れないが、無駄に長いのが経済用語でもある。


 横行不況【おうこうふきょう】:偏択化で引き起こる供給側の過剰。市場拡大の行き詰まりを表す。
 縦列景気【じゅうれつけいき】:国の政策を皮肉った表現。上から順番にしかカネが巡らない様子。

 ※ 今まで無かったのが不思議なぐらいの四字熟語である。

 横行の意の中に、流行りの職や儲かる職にばかり人が偏る意を込めている。
 これは、偏択の結果の競合他社の増加を意味するが、市場が行き詰まれば、
 結果的にどこかしこもそうならざるを得ない。それの意も含むとした。
 ‥そもそもにして儲からない仕事に手を出さないのが心理である。つまり横行である。

 縦列を銃列と書いてみたくなるのは、戦争が経済のエンジンだったからに他ならない。
 銃列景気【じゅうれつけいき】:近現代の戦争が金利資本のやらせ企画だった様を皮肉った表現。


 藪の明日【やぶのあす】:お先真っ暗の意。


 檄の開け【げきのあけ】:社会の空気が改まり、注目の増して気運が開けそうな様。「檄を飛ばす」からの連想。

 ※ 檄を激で表すと、激動社会の幕開けを連想しかねない。またここでの檄は、
 字彙的な檄の意とは少し趣が異なる。檄の字はほとんど注目されていないので良しとした。
 「檄が開けた」と用いれば、個人的・局所的な人気回復の意を示すことになる。
 ‥つまりその檄とは、注文の増加を意味しはじめようか。まさに檄が飛んできた様である。


 恥を脱ぐ【はじをぬぐ】:組織の悪事などを自ずから明らかにして謝罪すること。「一肌脱ぐ」からの連想。

 ※ 恥を掻き捨てる意や、汚名を晴らす意には、昔からの言い回しが色々とあるのでそちらを用いる。
 こちらは、指摘される前に腹を決めて、自白説明し、邪気を祓い身を清める意で用いるとする。

 ‥社会的にも、そう言った使い回しをする上での言葉が連想されていないので考えてみた。
 言葉が無いからこそ言いづらく、却って隠そうとしてしまう傾向はあったのではないのか。

 恥の一つや二つ誰にもあるわけで、

 「恥を脱いではどうですか?」と酒の席で何気に言われても、
 なんのことやら赤の他人には分からない隠語感が、まぁまぁ差し障りのない空気で好いのかなと。
 ‥尤も、資料を叩き付けながら言い放てば、一目瞭然である。



1-3)2

> 偏択化の結果、自由主義経済は行き詰まり、横行不況が全体に広がりまくる。


 誰もが副業に手を出す時代だ。誰かの成功の秘訣なんかすぐに賞味期限になる。
 (十分に黙していた方が、まだそこでの雇用が保てると言えようか‥)

 また、雇用の善し悪しに関係なく、ヒーロー・ヒロイン願望が肩で風を切る。

 結果、願いが叶った如く、雇用にしても即戦力を口にする。
 そんな鏡似性が作用するのか‥下から積み上げた経験値の乏しき者にチャンスは無い。
 一方でやる気のある奴は名の通った店でしか働かず‥その後は自分の店を構えての経営だ。
 そこに生じている供給事情の矛盾と異変から、少ない人手で回さざるを得ず。その流れから
 ‥全部をこなせる中庸なオールーランダーに注目が向くようになった。


 実経済で汗を流すことを棄てて、金融ゲームに明け暮れるのは、
 博打で稼ぐことしか頭に無くなった酔っ払い的思考だ。そう考えるのが日常だった。

 しかしそれでも、儲かると聞きゃ、それこそキチガイ同士が集まらざるを得まい。

 まさに偏択化の夢の世界花盛りとなり、歯止め無しになるのは火を見るよりも明らかだった。
 それでなくても、カネの力は魅力だ。持たざる者はそのキチガイたちと組まざるを得なくなった。
 (しかも、キチガイ同士の食い争いを制した超キチガイどもの連中とである‥)


 「誰にも皿洗いが立派な仕事だって頭がねぇ」
 ‥そんな低賃金雇用を目論む経営が続出するからさらにそうなる。いわゆるブラックだ。
 まぁその手の料理店ほど、ダメになる典型パターンもない。

 だが、みんなでそう考えて来たから、それの形が世に現れて出ていた。
 それがおかしいことに口を挟むようになって、ブラックで名指しされる時代に変わった。

 今や政治も経済も、中間の基準を空気で作り出し、制御と公布すべてがどんぶり勘定だ。
 ‥自由と規制解除を唱えてさえいれば、民主主義だと思い込んだ思考停止状態を抱え込む。



1-3)3

> 行き詰まりの先が平に理解されていれば、誰だって自ずから工夫を凝らすのだ。
> ならばどんな仕事だって社会に欠かせない立派な職務に見えるだろう。


 そうした教育観が乏しい結果が、ゆとり教育の宿命だった。
 それは、偏択の見落としを教えずに来た教育側の不備だった。にも関わらず
 其を素直に認めず、詰め込みにまた走るだけの不備の連鎖がそこに息巻いている。

 ‥詰め込んだって、その事実への理解不足は変わらない。

 ゆとりたる時間があればこそ、対応を練る時間が保てるわけである。
 それが無意識にできていたかどうかが、ゆとり教育での格差になった。
 (カネがあれば塾に行く‥お稽古に行ける‥そう言うのとは角度が違う)

 ‥結果的に、自立の意味のなんたるかに気がついて来なかったゆとり世代の者らが、
 慌て騒ぎ、口を揃えて、ブラックを口にするようになったとも言えるだろう。
 詰め込みの時代だと、嫌でも詰め込むものだとの思い込みがあった。その辺りの世代差は否めない。

 俺たちの時代は、尾崎豊のヒットを見てもわかるように、それの空気がとても嫌だったはずである。
 それでも‥尾崎豊への感想が、微妙に二分化していた傾向に変わりはない。


> ゆとりから得られた主体的な学びへの必要の気付きは、自主的である自覚を保てるが、
> 詰め込みの中の忙しさでは、そうした自主性を柱に学んでいるとの気持ちは保てない。


 ゆとり教育に本来求められたのは、そこの違いであって、
 まったりと過ごさせるだけを以て、精神的健全を培うとした狙いに意味は無かった。

 今現在、詰め込み教育に後戻りしている様は、まさに教育の側のそこの不備の告白だ。
 (‥教育の側が、根っこをわかって来なかったのだ、それこそ空気だけだった)
 (なにしろ官僚の多くは、物わかりの良い優等生だった奴らばかりである)


 ひとり一人の主体性を認めない形が、偏見の現れとなり、イジメにも繋がる。
 全体で偏択が起きないようにと、はじめから諭せば、個々の必要は阿吽で伝わるはずである。
 しかし、現場が成績サバイバルの写しの如し子供版では、不満は避けられまい。

 大人の側のひた隠しのような不備があるばかりでは、未来は開くまい。

 ガキのくせに大人の不備ばかりを突っ込む風潮は、何も尊敬の念の無き現れではない。
 大人の側が、尊敬するに価しない精神を発するようになった‥それだけの現れだ。
 それでも、まぁ所詮ガキはガキだから、一度覚えた空気の中でもがくしかない。


> ‥教えて欲しいのは、それこそ、そこのジレンマをどうしたら良いのかである。


 ゆとりがないと、誰もそこを考えることなど無い。
 ゆとりばかりでも駄目だ。危機感を維持できていないと誰も考えない。

 腹を決めて‥「大人はすでにお手上げだから、君たちの世代が考えろ」と言うべきである。
 今の時代は、まさにその空気だが、政治に対してだけは色が異なり、まだ大丈夫だと思い込んでいる。

 何事も隠さずに語る姿勢こそが、誠を引き出すのであって、恥を脱ぐ覚悟が大切だ。
 (まぁ、見栄えと成績の社会だから、臆した肝っ玉しか育たないし‥まず無理)
 (小沢一郎にその肝っ玉が備わるならすんなり通るはずだが‥そんな風にはまったく見えて来ない)
 (何が言いたいかというと、666の悪事を事細かにさらして謝罪する気があるのかどうかである)


 大嘘の暴露公表は、犯した悪事に対して罰するべきにせよ
 恥を脱ぐまでの事の重さを慮れずに、殺気立つ空気では、正義は逃げるばかりとなる。


 それの意味でも、地球の革命は土下座文化を有した日本でしか興らないと言えるのだ。
 (‥まずはじめに、事実公表と謝罪が起こらねば、大嘘の世の終わりもまた来ぬ)
 (誰が好きこのんで666の大嘘を謝罪せねばならんのだ、ある意味で英雄だろう‥)

 (尤も、その後始末の結果、どんな世界に変わるか次第までが英雄になれるかどうかの境目になる)
 (米国のポチにはなれても、汚名の犬にはなりたくないと言ったところか‥甘いエサは無いからな)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:17 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする
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