2015年03月19日

【零戻メモ】幣権と穂認

記稿.2015/03/19

> 零戻経済で言う幣権とは‥


 穂認を安全且つスムーズに推進する上での責任と判断の公的所在を言い表す。
 (‥資本経済で是認してきたお金の蛇口を開閉する中央制御を含めず)

 基本的に穂認は、
 それにより行われる活動の目的が、社会や環境に負をもたらすものでないと判断されれば、
 拒否する理由を得ない。それが万民穂認である。

 並びに、公的機関の予算繰りは金慮の管轄ではない。議会の決議に基づく。


 ただし、管理監督をするにせよ、実入り(財源付け)としての形式が求められる。
 その財源の形として、お金の取り扱いにおけるサービス料金を得る。いわゆる手数料である。

 ※ サービスに掛かる金額は、マージンを得る上で商売すべての共通である。
 ‥これを否定してマクロ経済を語ることは無謀だ。
 ‥役人による監督制度は、何もボランティア活動という訳ではない。


 サービスに適切な金額を提示する上で、
 誰もが自由に金額を望んで穂認できるからとは言え、如何ほどの金額を得れば良いかとなると
 公的機関の立場から見た場合、適当な指標がない。そこで「手数率」なる考え方を執る。

 ‥いわば、消費税の後追いの感ありだが、それの内部計算は消費税とは根っこが異なる。

 手数率に掛かる分の金額は、年評の金額から引いて帳簿計算をする。
 除外してしまうことで、物価に転嫁させずに済む。
 つまり、形式上手数率に必要な金額を含めて、穂認申請すれば好いだけだ。

 C消費は、使える分の金額が形式上間引かれることになるが、
 税制も金利も廃止されるのであれば、日常的なマージンへの支払いとして捉えるべき事だ。


> まぁ単純に、全体経済枠のすべてから指定した%を得ることになるだろうか‥


 年間500兆が行き交うなら、
 1%で5兆円、10%なら50兆円が形式的に自治財源として創出されることになる。
 ‥これが好いかどうかはここでは判断しない。他にもいくつか財源にできそうなポイントはある。


> 自由にお金を使えると多くの者が労働しなくなる状況について


 何も考えていなければ、全体で滅びるだろう。
 そこで、色々とした生産意欲を促す上での試行錯誤を織り込む必要がある。
 そうしないと、ここでの財源ルールに基づけば、自治財源も捻出できないという下りになる。

 (そりゃもう‥プログラムか何かのように、
  法律を弄るばかりのデスクワークさえしてれば安泰なんて事にはなりませんな。)


 幣権を口にする以上

 全体のモチベーションが落ち込まないように采配を振るうまでの責任が求められる。
 穂認と同時に生産の自由と活性は、両天秤である。
 ‥そもそも、民衆に対して采配を振るう側が、デスクワークだけでOKなどと許される訳がない。

 とにかく、自分の足で地場を散策して、実際に何が起きているかを
 役人のひとり一人に見回る習慣が鈍いというのでは、仕組みとしてダメの象徴にしかならない。
 それこそ自分の足で仕事をする必要が役人にも求められて然るべきと言うことだ。


 万民全体で有意義に穂認を成り行かせる上で必要なのは、

 役人が自分たちの足で仕事をする姿勢だと言うことだ。
 明治維新を讃えるなら尚更であろう。
 デスクワークだけで成り立った者に、如何ほどの賞賛があったというのだろうか‥
 ‥ルーチン化してしまった時代ほど「鈍い」と言うことだ。

 たしかに‥明治政府以降然り、戦後以降と下るほどに、
 日本の政から士の気概が抜けている感は否めまい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:57 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする
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