1-5)記稿.2015/05/22
> ‥というのを拾って読んでみた。
> 副題として、「突撃!西洋哲学滅多斬り」と付しておく。
読書と言っても、マンガだが、哲学としては参考書の部類と言える。
くそ難しい哲学の本なんか手にしてみたことも無いわけで、それを言うのもどうかと思うが
‥まぁ西洋哲学のさわりという意味では、その見方が的外れとは思えない。
1-5)1
> まず、西洋哲学を一言で言うと
ソクラテスの「無知の知」から一歩も前進していないことを確認した。
(無知の知:私は知らないと言うことを知っているがあなたはどうか?)
東洋の思想と比べると西洋の哲学は圧倒的に
「私とは何か?」から始まって、私なる精神もどきの探求に始終する。
それを強引に、私もあなたも同じと言うことを前提にした括り方をして終えるのだ。
東洋の雄である釈迦が、生老病死の苦しみから物事の考えを始めたのとは天と地ほどの差がある。
> その「私」を、西洋哲学の中で、始めて学問的に定義したのがデカルトだ。
「我思うゆえに我在り」は有名だ。
しかし彼は、何を根拠にそこから二元論を展開したかについての聡明さに欠く。
その影響は、キリスト教的な生活観ゆえの産物にあると思われるが、
彼だけがそこを徹底して批判される事になったのは、とても不思議。
(その後に出てくる連中だって、その辺はさして変わり映えなどない)
> 哲学に自由の定義を持ち出したのがカントである
‥彼の言う自由を喩えるとこうなる。
水の中で泳ぐ時、人は水の流れに従わなくては自由になれない。
つまり、人の暮らしの中に置いての自由も又そういうものである。
早い話が、日本人の言う「空気読め」の論である。
空気を読んで、規則正しく人としての真っ当を生きることを自由としている‥まぁそう表現できる。
しかし、カントが其を言えるだけの環境に居たと言うことについての気付きや哲学は無い。
環境が異なれば‥どうでも好いことにも、間違ったことにも興味関心を向けざるを得ないのに
カントの暮らしぶりは到って、正しきマイペースであるせいか
人生における余分と思える部分がまったくない。それはそれで、私しか見ていないクソ哲学だ。
(‥カントに格差社会を投げかけても、彼は一切の興味関心を持たないように見える)
> 哲学王と呼ばれるヘーゲルになると、自己を確立する上での他の扱いがとにかく糞である。
ヘーゲルは正反合を唱えたことで有名だが、本中では、その原点的な内容が紹介されていた。
へゲール曰く、「自己を確立する上で重要なのは他の存在である」
‥ただし、他を認知した途端に、生死を賭けた戦いが始まる。
その戦いに敗れると主人と奴隷の関係が生まれる。
奴隷と言っても、その奴隷はどちらかというと自由性をまとっており、
主人が奴隷に依存している間に、奴隷はこき使われる過程で様々なことを身につけて自立する。
‥という話を進めているが、その後に主人が自立する上での思索は無い。
ただのやっつけ的な説明で終わっている。
仮に、ここの主人が自立する上での論を展開しようものなら、
まず始めにあった、生死を賭けた戦いが必ずしも必要では無いという選択肢に辿り着くはずだ。
まるでその論の終点として、正反合があるようにも思われる。
でもそれについて、「戦う必要がない」とは決して唱えていないのだろう‥
あくまで人の自己確立の仕方が、他との闘争の上に成り立つものだと言わんばかりである。
‥まるでフリーメンソンやイルミナティの側の思惑がそこにあるかのようだ。
‥奴隷にしたってそうだ
どういった経緯で自立への決起に到るかの前提が無いままだ。
奴隷にも色々なわけで、ここでの奴隷はどちらかと言えば、
勤勉な日本人が前提に見えるだけに不可解だ。そんなの数として少ない部類だったはずだ。
「中世西洋で犠牲になってきた奴隷達は、そんなにも希望をたずさえた人格者ばかりだったのか?」
また
正反合を理想としたなら、奴隷の自立性を前提にした例えそのものに意味が無いように思う。
なぜなら、そのままに十分に主人に尽くせば良い。しかしそうは言わないのだ。
それはそれで、裏返せば‥戦いを必要などしておらず、お互いの違いを知るべきと言うことになる。
尤もここでは、身分と言うことになるが‥人の個性の差を問うのもまた哲学のはずだが‥
(‥どの辺が哲学王なのかまったくもってわからん!)
> 次に、力の哲学のニーチェだが‥
ニーチェを大ざっぱに言ってしまえば、
大乗仏教にどっぷり浸かっていた信者が、欺瞞に嫌気を起こして小乗を確立して立ち上がった‥
まぁそんな閃きみたいに思えるが、ニーチェが東洋の思想を勉強したという話は聞いた例しがない。
ニーチェが東洋思想の勉強をしていたなら、言葉の表現が随分と違っていたと思われる。
‥そう言う意味では、西洋の枠組みの中での足掻きであったように見える。
それはそれでビッグさは感じられるものの、何はともあれ狂気を纏っている内はブレまくりが相場だ。
そもそもにして‥「超人になりたい願望ということだけで、他を巻き込むんじゃない!!」
巻き込んじゃっても好いとか考えちゃってる時点で、西洋的枠組みと言える。
‥否否、フリーメンソンにイルミナティの力学と言った方が適当か。
> 構造主義の登場
構造主義は、西洋哲学的全体観への挑戦みたいに感じられた。
物事には得体の知れない空気があって、皆それに理由も無く従ってしまっている‥
だから、個としての哲学なんか要らねぇじゃん‥と言いたげだ。
‥簡単に言えばそれだけの話だろう。
西洋人にはその考え方が、
日本人が黒船の影響から廃仏毀釈に走ってしまった程のインパクトにあるそうだ。
東洋人‥特に日本人からしてみれば、「だから何?」の観は拭えない。
1-5)2
> 西洋哲学をまとめると
私・自由・確立・超人・システム‥と言った言葉に集約される。
言ってしまえば、個人主義への誘いにしかあれていない。
‥そんな哲学しか持てなかった連中に格差問題の解決なんかできんだろう。
「私は知らないと言うことを知っている」
まさにそこから一歩も前進できていないのだ。
1-5)3
> そこで東洋の思想と言うことになるが‥
どうして私たちが、個に走って全体を見失ったかは、どうしようもないところだ。
結局、何も身についていなかったという事になる。
「なんと嘆かわしきことか‥」
ということで、私たちがまず顧みるべきは、個に走ってしまう心理と言うことになる。
‥まぁそんなのは考えるまでも無い。
歴史的には、西洋の個のパワーに圧倒されたというだけのことである。
なぜ圧倒されたかは‥東洋には、打ちのめさなければならないとした思考に疎かったからだ。
それはそれで日常の様だった。
自分たちでそこにあった日常を取り上げてしまったのも‥同然のことをしてしまったわけである。
どうして
圧倒されて滅ぼされかねないからと言うだけで、ほとんど多くの考えに個を基準に据えたかである。
それはまぁ、倦んでしまっていたところもあったということなのだろう。
実際それは確かなところだ。
‥民権法に置き換えれば、基本的人権という文言を記す上での出発点だったからとも言える。
> 東洋の文化には、個としての艶が無い
東洋の文化に、文明全体としての艶はあっても、個としての艶があったかというと、
まだまだ不公平だし、貴族ばかりの感が強いままだった。
‥そう言う意味では、何も学んでいなかったことに変わりはない。
まぁ中華は中華で、侵略の歴史だったから、誰が上に立とうが同じだったろうし
日本の場合もさほど変わりはない。儒学のおかげで上もそれほどに暴走するほどにも無かったからだ。
‥だからだろう、個としての艶を云々あえて持ち上げる意味合いも疎かったと思われる。
それでも
本質的な意味における学びの足りなさゆえに
西洋と同様‥格差からの脱却に及ばないといった処でもある。
1-5)4
> 釈迦から始まった生老病死からの脱却(問い掛け)は、個としても全体としても共通のテーマにある
共通のテーマにある以上、どちらかに偏れば良いというものではない。
しかし、釈迦の弟子たちでさえ、大乗と小乗に分派したのだ。
‥それはそうだろう、釈迦の教えにまったくブレが無かったかというそういうことでもないからだ。
少なくとも、私たちの多くには、そこを具体的に指摘できるだけの器が無い。
その器が無い以上、器を持つ者に必要以上の期待や救いを求めることになる。
なぜそうなるのかと言えば、そういう個性もあるからということだ。
‥何も全部を対象にして考えるべき中身にはない。
> 学問という奴は、無駄に例外を認めようとしない処がある。言うなら、お役所体質そのものだ。
・お役所は間違ってはならない。
・お役所がうそを言うわけが無い。
・役人に二言は許されない。なぜなら、其は正義らしくないからだ。
正義=役人であることを許す裏返しとして、上も下もそう思い込んでいる。
なぜなら、搾取するのが役人としての特権にあるからだ。
‥そんなもん民主経済に必要かというと本質では無い。それが東洋の思想とも言える。
中庸が立てば好いわけだし、中道に生きられれば好いわけだし、和が生れば好いわけである。
それでも、そこに手段の余地が無かったがゆえに、矛盾に耐えてきたのも東洋だった。
‥矛盾を抱えていたがゆえに、個の主張パワーに飛びつくことにもなった。
> でも、根本的な矛盾を改善する上での何かに民衆が注目する気配は、とても小さかった。
とりあえずの定義で満足してしまったのだろう。
‥確かにうわべだけの豊かさも得たし権利も得ている。しかし不公平のままだ。
東洋の思想に欠いていた議題と言えば、それは経済だった。
圧倒的にその議題については、如何なる百家争鳴に到っても蚊帳の外だった。
‥お互いが無思考のままでは未来はやって来ない。それだけのことだ。
(何はともあれ、そこを秘匿&独占しておくことが幸の確立と言わんばかりだったのだから)
(‥お金のカラクリを正しく知らないとは、盲も同然じゃないか)
1-5)5
> 私たちの多くが、得たきはなんだ?
幸福などでは無い。単に苦しみからの解除である。
‥其は得ることに非ず、手放すだけで済む話だ。
そう言った哲学観は
宗教のお役目と言うことで、西洋の哲学で扱われることがない。
まぁ深層心理なんてものも登場しているが、あれは医学に取り込まれた。
つまり、西洋の哲学とは
すべてから分離させた個を前提にしているに過ぎない骸的学問同然だ。
個をすべてから分離していくと、個でしかあれないままだ。
個でしかないままにあったから、構造主義なんて考えに至ったことになる。
言ってしまえば、私たちの生活観についてまったく考えていませんでしたって告白したに過ぎない。
「まったくもって、西洋の哲学観は糞!!!」
「それはまさに‥はいはいからたっちしはじめた状況だ」
‥そんなんでプライド翳して
高い給料貰っている連中を想像するだけで嫌気を覚える。
文化を継承するたってな、どう考えたって貰いすぎだと思うし、囃されすぎだと思うぞ。
それこそなんだ
フリーメイソンやイルミナティのための洗脳労働に活躍したって意味だよな。
‥なら俺は、まったくの至遊活動であることを自負しよう。
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