2015年05月30日

【信長の野望】鉄砲の運用から考える戦国時代の真相

記稿.2015/05/30

 ・ゲーム中、鉄砲の会戦時最強技は「神弾」と言える
 { 射撃↑50%(2000)|射程距離↑50%(2000)|味方越え射撃(2000) }

 ・神弾は自動発生ゆえ、持てる技を減らして発生確率を高めるしかない
 ・特性は、持たせても守備系を中心に吟味する(鉄砲は雨に弱い、夜戦に弱い)
 ・鉄砲部隊は無闇に陣を動かず、守備に徹する(柵と櫓の効果を吟味)
 ・鉄砲部隊は兵の数が多い時ほどその威力を増す、小さく使わない
 ・火縄銃は近距離では威力を発揮せず、敵に接近されないように注意すべし(弾は前にしか飛ばない)
 ・敵の接近を妨害する以外に‥これと言った対策を得られず


> ‥以上より、鉄砲専任による会戦時の部隊全滅は避けられず、武将には幸運を付したし
 (※ 一枚マップ上の戦闘では、とくにそんな風に考える必要はない)


 ・鉄砲は高額であるがゆえに、拠点の強化は欠かせない要素だ
 ・鉄砲部隊を抱え持つがゆえに、鉄砲部隊の消耗を減らす上での工夫が求められる
 ・挟撃役(囮)を付けて、敵を鉄砲部隊に近づかせないようにすべし
 ・囮役はやられ役である‥そこそこ要員を以て対応すべし

 ‥以上より、鉄砲部隊による侵略的進軍は、
 先陣に足軽部隊を送り込み、後詰めとしての構えを以て良しとすべし
 (攻略後の防備に当たらせることを考えても、至極当然な兼ね合いである)



> つまり


 戦国時代の鉄砲(火縄銃)の扱いは、至極防衛向きであったのと同時に
 必然的に腕の良い打ち手をボロボロ失うわけも行かないのだから
 信長が采配した三段撃ちとて、鉄砲の活用を考えていた時期の模索的アイデアにしかあれていない
 (伝説的にも、勝頼武田軍がわざわざ飛び込んできてくれたから功を奏したと言える)

 ‥時と共に勢力が拡大したなら、
 その持てる足軽の数を用いて、鉄砲部隊の構えている陣に敵を誘導する策が求められるものの
 わざわざそこに敵がおいそれと飛び込んでくれるとは思えない。

 そこで鶴翼の陣を参考にすれば、両翼が囮役となり、中央に追い込む策が有効と言うことになる。
 しかしまたそれは、規模の小さい場合でもできることだ。
 追い込んだ先の脇から、鉄砲の弾が飛んでこようが弓矢が飛んでこようが同じことだ。
 ‥見解に違いがあるとすれば、火縄銃の手間を考えても、ゲリラ的な活用が一番だった点である。


 ‥ただし
 敵と味方が入り乱れていては撃てないのだから
 時には采配を振るって、味方を下がらせて撃ち込むための間を作る手際が求められた。
 (お互いが自分の手柄のことばかり考えていては、そのような駆け引きはできない)

 それの意味で考えていくと

 鉄砲はやはり防衛手段になりがちであり
 {大きな戦場で鉄砲を活用こなせていた}={手柄配分の公平が行き届いていた}‥と考えられる。
 ‥大名間でのその差は甚だしく、鉄砲を用意できたとする財力はそもそもにしてそこを意味する。


> よって


 ‥後世の日本人が考える以上に、鉄砲を活用こなした有名大名の実力は高かったと言えるだろう。
 能力主義なだけでは、鉄砲の運用は成り立たなかったのが真相だったと言える。
 (信長が逝ってしまってから後の火縄銃の扱いは、とくにそうだったと思われる)




 ‥稼ぎを得るには、それこそ殿様と地場が一体となっていればこそだった。
 しかしそのようなスタイルが理屈としては最強だとしても
 それはそれで封建体制ゆえの下克上状態または仮想敵が居てこそのモチベーションで有り

 逆に、単にのんべんだらりの平和でしかないとなれば

 誰しもは勝手気ままの言いたい放題のやりたい放題のお願いしか目安箱に入れないのではないかと‥

 それはそれで、ただの能力主義になりがちとなり、
 そのような社会体制が大した事が無いのは、すでに結論だってるわけだから
 地場が一体となるためには、それなりの手腕というか主義が問われて当然だ。


> ‥平和×能力主義=戦争への道または危機感煽りたて政治の繰り返し


 備えはしても、敢えて侵攻にでなかった大名の家臣掌握の方にもっと注目すべきだと思う。
 ‥例えるなら相馬家ということになろうか。
 (相馬家は語呂が「総負け」なだけに、縁起を担いで、侵攻しなかっとも考えられる点は微妙‥)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:47 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。