1-4)記稿.2015/07/04
> 自由恋愛の本質とは、自分から声を掛けることである
それ以外に、自由に恋愛をするとした意味合いなどない。
しかし、大抵の多くは相手から声を掛けてくることを望んでいる。
‥否、どこかカンニングをしてからとばかりの考え方に陥りがちだ。
‥そんなのを自由とは言うまい。とにかく不自由な感性だ。
繰り返して述べよう。
大抵の多くは、相手からの了承を得たいとばかりだ。
それゆえに、まずは向こうからの声掛けが先にあると‥そう望んでいる。
‥なぜそうあるのかと言えば、そこにある真相を良く理解していないからでもある。
相手からの声掛けを望む心理には、同時に‥
自分から別れ話を持ちかけることもできない心理を抱え持つ。
何事も相手からの了承がないと動くことができない。
‥いつの間にかそう言う流れに填まってしまっている。
> そんな不可解な心理の何を以て「自由恋愛」と呼べるだろうか?
自由な選択肢があるという空気だけが救いというだけなら
自由であるという中身に、本質的な自由などありはしまい。
1-4)1
> では問おう。片っ端から声を掛けるかね?
欲しい物を得る時の自分の目つきを自覚できている者は
欲しいだけの眼をしている者に、警戒を抱くことができる。
‥しかしどうか
欲しい物を得る機会の少なかった人生途上における差は、そこの感度を鈍らせる。
尤も
恋愛に於ける目的がその行為でしかないと言うのなら
それはそれで、欲しいだけの眼をしている者を前にして悪戯したくもなるのだろう。
少なくとも、こちらから媚びる必要などこれっぽちも無い。
‥何しろ退屈だから、欲しいだけの眼をしている奴にも手を伸ばすことになる。それだけのことだ。
(退屈しのぎだけの相手に何を求めるかなど‥どっちに転んでも赤信号の関係にしかならない)
具体的に言語化できずとも
誰しもは、本能でそこを警戒するものだ。
‥無論、冷静であればの話だ。
> 「恋は盲目」‥其は、何事をも簡単にリセットに追いやる魔性を秘める。
欲しい物を手に入れた十分な経験の無い輩は
その自分の欲しい度合いがどの程度であるかを、それほどに理解することなく
たまたまスイッチが入った状態に、不思議にも恋愛だけを特別に扱う傾向を示すものだ。
一方で
多くの情報過多から相手を推察することにばかり針を向けていると
実際の本人を見ることもなく、思い込みで判断しがちだ。
結果的に、そこに於ける自由恋愛の看板とは
相手を多角的に分析することの自由にあるだけで、自分の得たい欲求とは何ら脈絡がない。
そもそもにおいて、自由恋愛の目的とは
相手を知る上での時間を共にする為の了承の云々であって
相手との絶対的関係を手に入れるという意味合いには無い。
‥言語的にも、其は結婚を意図してしまおう。
‥誰がどう考えたって、そんなのを「自由な‥」とは呼ぶまい。
然れども、どうしたことか
多くは、恋愛と言ったら、彼と彼女の関係の成立でしかないと謂わんばかりだ。
自由の選択の中から、選び合うというだけの形で以て、自由恋愛だと抜かしておる。
それで浮気をしたり、二股を掛けるともなれば、鬼の剣幕だ。
何をそんなに猛り狂う意味合いがあろうか‥まだまだ契りを交わした間柄というわけでもあるまい。
‥そこに固定されてある概念に
わざわざ自由を冠する意味なんてあるのかと問わざるを得ないのだ。
> それはどう考えたって、示悠【じゆう】の要求であって、自由恋愛などと言えたものではない
‥好きであるという事情を告白し合うだけでも、一大事だからそういう事情にもなるのだろうが
所詮、物の好き嫌いなどという奴は、賞味期限切れを起こす次第にある。
何をそんなにいつ来るともわからない賞味期限に対して、有ってはならないなどと構えるのか‥
賞味期限が来るからこそ、恋と愛が分けられているのだ。
私だけは違うと言わんばかりに、
何を尤もそうな顔をして、一度に消化しようと急くのかまるでわからん。
そこにある因果は、どう考えたって、自分の物欲に対する分別が下手くそなだけの姿だ。
物欲を上手にこなすには、何事にも少しずつでも、それが何であるかを知ってみることだ。
自分にとって、必要か否かの判断でもある。生活上に於ける様々なそこの過程をすっ飛ばして
いきなり恋愛なんて高度なやり取りをしようなんて事自体が幻想だ。
1-4)2
時代が複雑化して、生活に入り用の要素が増え、そこに知識の差が生じておる。
少し違うだけでも、貧相に見えもしよう。
わざわざ自分たちでそこを煽っても居よう。
‥思えば、お互いのそれを讃え合うこともなく、恥の揚げ足取りばかりだ。
> それのどこに自由があるだろうか。不自由この上ないではないのか‥
人の口にする自由恋愛の多くは、どう見たって不自由さながらだ。
恋愛を讃えておらんからそうなる。その原点として、己の物欲の度合いを知らぬことに起因する。
他人の持ち物を無駄に欲しがるだけの性質を理解していないから奪い合う次第にもなるのだ。
そのように事情を話してダメであるかどうかなど、実際のところ誰も経験しておらん。
‥尤もそんなことを言いまくっていると
そいつの前でイチャイチャするのは赤信号ということだけは理解されるだろう。
しかし、そんな類いの性質を有する者が、半々だったり多数派だったりしたらどうだろうか?
自由恋愛などはじめから成立することなどない。
そこにある自由は、そのままに奪い合う自由を意味することになろう。
1-4)3
> さて、少し戻ろう。
自分から声を掛けずに待つばかりのタイプは、自分から別れたい由も告げられない。
是の心理のカラクリに気がついていると
自分から誘った者にこそ、その後の主導権があるかのようにも聞こえてくるものだ。
しかし、そんなことを頭から信じる者もおるまい。
そんな奴は、薄情なだけだ。
自ら誘っておいて、自ら反故にする。
恋愛話で聞いていると実に身勝手な奴にしか見えないではないか。
ところが
‥これを逆から見ると不思議なもので
誘った側の当人は、途中から反故にされることを酷く嫌う。
そのくせ、自分には反故にする権利があると言わんばかりの心理を有している。
それでも、ここでの流れから言えば、誘われた方にこそ反故にする権利があって当然と言えるだろう。
> このような感覚のアンバランスはどこから来るのだろうか?
> ‥それこそが商売だ。
商売には特有の感覚がある。
買い手には、売られていた物が不良だったなら突き返す権利がある。
とくに法に明記されずとも、それが人間関係の本質として備わる。(まぁ当然)
でも、恋愛にそれを持ち込むと途端に訳が分からなくなる。
実際、どっちが売り手でどっちが買い手という判断もあやふやだ。
そもそも、お互いにそんな風に考えてなどいまい。
なのに‥大抵は、声を掛けた側が買い手と思い込むのだろう。
‥別に売っていた覚えも無いわけだし‥心外だとしても、そのような心理が絡むことになる。
> では、恋愛に於いて「待つ」本質とは何だろうか?
‥何はともあれ、嫌われているとの烙印を押されたくないのだ。
相手の空気を読む目が無かったなんてことになろうなら、前提が崩壊しかねないことだ。
それはそれで深刻なことにあるにせよ、せめて初めぐらいスムーズに行きたいと思っている。
‥そこでこうなる。
相手が自分を好きならば、その回答への最終的な反故権は返事をした側にあるようなものだと‥
なぜなら、返事と同時に条件の提示が可能だからだ。
その時の条件なり宣言に沿わない場合には、反故にしても良い。
法に書かずとも、お互いの約束事としてそうならざるを得ない。
ところが、実際にそこまで事細かくやるとなると、出会いにロマンスなんぞ有ったものではない。
‥という事情から、大抵の多くは省略してしまう。(ならば法にまとめて記しておけば良きことだ)
(宗教では見られがちだが、それはそれとしてでしか捉えていないのも自由恋愛ゆえの傾向だ)
で
そのロマンスに浸らんとばかりに、自分の方に反故権がある上で、括るとすればどうだろうか‥
元々嫌われているという烙印を押されたくないんだし、それは押したくもないわけである。
結果として‥自分が握った上で握りつぶした方が、長続きできそうだ。まぁそんな感じ。
‥だがしかし
其は自由に恋愛することとは何の脈絡の無きこと。
恋愛にありがちな風まかせを自由と見るかどうかもまた別の話だ。
1-4)4
> 女から声を掛けて、後に、女から反故にする予定の場合(ネタ文学)
「あんたの精子が欲しいんだけど」
「え、僕の精子っすか」
「そうよ、貸すの貸さないの」
「いや〜そんなこと言われても、貸すとか貸さないとかそういうもんでもないし‥」
「じゃなに、私の身体に興味が無いわけ?」
「身体だけ求め合ってもそれ以上に関係は進展しないわけでありまして、そこがつまらないというか」
「いいじゃない、どうせ恋なんか使い捨ての関係なんだから、気を遣わなくて好いって言ってるの!」
「ところで、僕のどこが気に入ったんですか?」
「決まってるじゃない、あんたのその煮え切らずとも、堂々としていてツッコめそうなところよ」
「私のこの支配的情欲を受け止めることのできる相手こそ、あんたのボケだって気がついたの」
「僕としてはそれは直すべき性分だと思っておりましたので積極的に活用したいという欲求は‥」
「なに言ってるの、人の性分が直るとでも思ってるの?」
「いいえ、そのように考えたことはありません」
「でしょ‥なら機会が巡ってきたなら、積極的に活用すべきじゃないかしら」
「‥とても不埒な関係になりそうですね」
「〜だから、そんなこと私の前で気にしなくて良いって言ってるでしょ」
「はいはい、そうやってあなたのペースで振り回すのをしてみたいだけなんでしょ」
「あら、わかってるじゃない。そこをどう保つかが肝心なのよ。そこを貴方に頑張ってもらいたいの」
「・・・・」
「あら、貴方もしかして、ピュアな恋愛がしたいタイプなわけ?」
「ダメよそれ、自分の性格ちっとも見てないでしょ、もっと現実の自分を以て挑むべきよね♪」
「・・・・いいでしょう。」
「あなたのそのサドを、この僕がマゾに仕立て上げて見せましょう!」チーン。
> 男から声を掛けて、後に、男から反故にしちゃうかもと思っている場合(ネタ文学)
「僕の精子を是非君に提供したいのだが」
「え、私の子宮を貸して欲しいの?」
「まぁ、そういうことになるな‥」
「別に良いけど、ただでというわけには行かないわ」
「・・条件は何だ?」
「誠意を持ってちゃんとつとめること、やり逃げなんか許さないからね」
「心外だな‥この僕がそんな貧相に見えるのかい?」
「そんなのどうだっていいわよ、私を結果的に貧相に扱うなって言ってるの」
「・・ほほう、なるほど、この僕の愛が遠のかないとも限らないからな」
「提供したいって言う‥お前がそれを言うな」
「おっと失敬、では日を改めて出直すとしよう」
> 恋愛に於ける主役は明らかに女だが、そこを鼻に掛けるような女に男は近寄らない
‥しかしどうしたことか
自由に獲物を選べるようになったとて、実際、男の恋愛への価値観は変わってなどいないのだ。
変わったつもりになっているのは、どうしたって女の側と言えるだろう。
そういう意味で言うなら、待ちの姿勢にあるかのような男が増えても不思議は無い。
なにしろ、積極的に狩りに参加できる希望が叶ってあるんだからな、そんな女が多くなるのだ。
何を好きこのんで、慌てる必要があるだろうか。
‥慌てる男とは、それこそ先を越されたくない願望の持ち主ばかりになる。
でも実際
後から後から世代を経るごとに、女子の見た目のグレードが華やいでいる様子を見れば
そんなガツガツした感性に何の意味があるのかという疑問を投げかけることにもなる。
つまり、逃がすと後悔するのは女の側になっている。
‥其は自由恋愛に於ける意味不明の反動だ。
そもそも、恋愛の主役を鼻に掛ける女に男は近寄らないものにある。チーン。
稼ぎの年齢だというのに、仕事ばかりと言われては、嫌われて
家に帰ってもゴミ扱い。そりゃ男としては婚期をずらして
家が恋しい頃合いに出会いを迎えた方が無理がないという次第になろうか。
(‥蓄えがあればの成り行きになるだろうけどな、そして体力だ)
(まぁそれでも、男の方が比較的有利に見えるのはなぜだろう?)‥チーン。
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