2015年07月10日

【筋トレ】その後の階段腕立て&階段スクワット

1-2)記稿.2015/07/10

・ 階段腕立て

 階段の段差を利用した腕立て。斜めに姿勢を取るので負荷が小さくなる。
 目的は筋力の強化ではない。同じ運動を繰り返すことで、まずは毛細血管の再生を狙う。
 (川が流れていないのに畑は耕せない。筋肉細胞にしても同じこと)
 階段腕立てを繰り返すことで、心肺機能まわりの血流もまた刺激されやすい。
 ‥手軽な運動で、呼気の入れ替えを促す。


・ 階段スクワット

 階段に手をついて行う半立ち姿勢でのスクワット。
 足腰が鈍っていると、これでも結構きつい。回数を重ねるのはたいへんだ。


> で


 最近は、階段腕立て89回+階段スクワット55回の3セットをこなせるようになった。
 ‥色々と試してみた結果、これが毎日続けられる今の筋力のようだ。
 ‥続かないと意味が無いので、嫌にならない程度を自分なりに見つけることが重要だ。
 ‥つまらないと感じるようなら、筋力アップの余地があるということらしい。


 きっかけは
 腰ばかりか、歩くと背中が痛くなる状況の打破から始まった。


 ‥あと最近は、たまに、鉄アレイを両手に持って階段を上り下りする。
 大体20分も繰り返すと、汗でびっしょりになる。
 これは、普通に歩くより明らかに負荷があるように思っていたが
 所詮、30分は30分でしかなかった‥orz



1-2)1

> 歩くのに必要な筋力は、大腿内側の筋肉からだった


 階段スクワットで得られる筋力強化は、概ね外側に偏っている。
 ‥内側の筋力強化を狙うなら他にも何か工夫する必要があるということだった。

 (残念なことに、籠もり生活の結果、太ももの内側の筋力が衰え)
 (数時間も歩くと腰にくるようになってしまうのだ)
 (‥最近外でて買い物ついでに歩いてきたら、腰にくるし二日したらそこが筋肉痛だったんだよ。orz)

 (これを改善するには、歩くしかないようだ。)
 (30分歩けば良いとか医者は言うが‥)
 (30分程度では再び8時間の労働をこなせるような体力にはならない)
 (‥用も無いのにぶらぶらと毎日毎日散歩に出るのは、それはそれで残酷なものさ)


> これは、腕の筋力にも言えた。


 腕っ節は強いのに、腕立て伏せになると、どんなマッチョでも100回を越すのは手厳しい。
 それは腕立て伏せに必要な持久力として、腕の内側の筋力が欠かせないからである。
 ところが、鉄アレイをエッサホイサ繰り返すだけでは、なぜか外側に偏って鍛えられがちにある。
 ‥上腕の内側の筋肉を鍛えるには、意識して効果的な運動を選ぶ必要がある。

 (一番簡単なのが、平行棒に腕支持の姿勢でぶら下がり続けることだ)
 (経験上‥中1の段階で腕立て50回はできていたが、平行棒の腕支持が大変だったのを覚えている)
 (腕支持力が弱いから、押し上げ倒立もままならない)
 (次第に、押し上げ倒立もできるようになったが、順序としてそういう経緯があったことになる)
 (‥でもまぁ、平行棒のような器具となるとそうそうお目に掛かることがない。残念。)


 (旧海軍のシゴキにこんな話を聞いたことがある)
 (ひたすらに腕立て伏せの腕支持姿勢のまま、ときには数時間そのまんまとか‥)
 (これがめちゃめちゃにキツそうなのは言うまでもないが)
 (上腕の内側の筋力はとくに動かさずとも鍛えられるというわけだ)
 (‥しかし何もしないでそのまんまの姿勢ほど残酷で退屈なものはない)
 (‥まさに鬼軍曹様々のシゴキだったということになるだろうか)



1-2)2

 若い奴にこんな話をしてもピンと来ないだろう。
 ‥俺自体がそもそもにしてそうだった。


> そしてどんなコーチも体育会系だから、鈍った身体からの挑戦を知らん
> つまり肉体の奥の深さを知らんということでもある


 鈍った身体からの挑戦を知るには、身体をトコトンまで鈍らせる必要がある。
 ‥俺の視点はそこが違うのであって
 自分でも無駄にお馬鹿に歳を重ねてみないことには知り得ることの無い視点だった。


 若い時分には、外側ばかりを鍛えることにしか意識が無い。
 なぜなら、外側を鍛えた方が効果が高いように感じられるからだ。
 でもその結果、怪我をし易い身体に仕上がるばかりになる。
 ‥怪我をしない身体を得るためにも、内側の強化は欠かせないということだ。

 そして、それは愚直に地味を繰り返すことでしか得られない。

 瞬発的な力をどんなに得ようとしても、それは外側に偏りがちで鍛えたつもりには成れるものの
 内側の強化は、精神力が求められる地味な訓練ばかりで、そそらない。


 人生観にしても内向きとの対話が厳しく重要で
 筋トレにしても内側の強化が地味に欠かせない。
 社会や組織にしたって同じこと。
 ‥これもまた鏡似性と言うことになる。そういう風に造られているとも言えることだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:15 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする
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