2015年07月16日

【詩】ソシエ・センチメンタル

1-3)記稿.2015/07/16

戦時下の出会いは最悪だ
戦争が終わったのにぼっちだったら尚のこと‥
周りはどんどん平和を取り戻して勝手に動いてるのに
私だけはどん底で、身動きできず立ち枯れているだけ
喪中といえば喪中でも、なんというのか一晩で咲いて散る花のよう‥

一生それを抱えて生きていくにせよ、そうでないにせよ

私が私らしく居られたのはあの時間だけ‥
そう思えば思うほどに、私にとっては未だ平和じゃない‥

「‥早くいい人現れないかな」



1-3)1

> ∀ガンダムを見て、その落ちに思わずびっくり
 (タイトルのソシエとは、ソシエ・ハイムのことである)


 ‥戦争に於いて唯一されない保障とは
 まぁそういうことだよなと‥今更ながらに思った。
 大東亜戦争のそれを思うと、アニメ史上最悪のぼっち落ちとか思っちまった自分が恥ずかしい。

 なんでもそのまんま頑なにぼっちを貫いていたケースもあるようですからな。
 それがどのぐらいの数を占めるのかを誰も知らないわけで‥
 ‥調査されることもない。

 「いやぁ、戸籍調べればそんなの一発でしょ。」

 その規模を知ることこそ、大東亜戦争後もっとも深遠なけじめ‥orz
 国民感情としても、国民性としても、日本人として自分たち民族の女性をより深く知る上でも
 それの統計は出されるべきだと思いました‥



1-3)2

> 不謹慎な物言いになるが‥


 対象となる枠の中に1%いるかないかが、物事への思考の参照とすべきかどうかの境目になる。

 ‥仮に1000人に一人も居なかったというのなら
 それはそれで、操を立てるか立てないかの思考に対して
 女心がとか、恋愛感情としてどうとかの義理立てにそれほどの意味が無いことになる。

 ‥というか、それが昔ながらの日本人の気質と言うことに成り得
 ロマンスがどうとか、のたまっているのは
 マンガやアニメに影響を受けた戦後世代の価値観との落ちにもなるだろう。
 出会いが訪れることへの罪悪感なんか存在しないという‥まぁそれだけの話になる。
 人間としてそこに生ずるジレンマにこだわるのは、特定の時期や人だけの傾向という見方に収まろう。
 (※ 戦前の妾文化はおおらかだった)


 しかし、1%は大台だ。

 それはもう、そういう人はかなりの率で発生しうる社会現象で有り得
 放置することは、お互いのためにならないどころか、
 占いが滅びることなく有り続けている裏付けにもなる。
 ‥占いに関心を示さない馬鹿チンも、考え方を変えざるを得ない勢いを示すことになろうか。



1-3)3

> 話は変わるが


 ∀ガンダム16話のロラン・セアック紹介箇所にて、ハイム姉妹をハイム兄弟と誤称‥

 DVDでもBDでもそのままのようでして、直していない点に不快を覚える。
 ‥というか声優の側で脚本通りに読んじまってるわけだから
 気転を利かせて直して読んどけよと思うところでもある。

 まぁ回想回だし、別録で済ませちまってれば
 先輩声優の機転も起きないわけで
 まだまだ新人だった朴璐美が生意気に思われるのが嫌で遠慮したとか‥(真相は知らん)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:58 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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