2015年08月14日

【刮目】防衛とはどこまでを指すのか?

1-3)記稿.2015/08/14

> 自衛権という名の徹底抗戦では、先の戦争時代と何も変わるまい


 防衛と言ったって、何が目的なのかを示す必要がある。

 ・戦争を止めるためなのか?
 ・相手を退散させるためなのか?
 ・強すぎる相手に背を向けない事なのか?
 ・適当に威嚇して蹴散らす事なのか?
 ・交戦意欲のない次第をアピールして、納得してもらえるように努める事なのか?
 ・泥沼化しても尚、正当防衛を主張して、敵が諦めるまで付き合う事なのか?

 ・犠牲が多くなったら諦めるのですか?
 ・予算が出せなくなったら諦めるのですか?
 ・手に負えないと分かってから、開き直るのですか?
 ・反対する者が居ないなら、トコトン攻められ続けて滅びるまで抗うのですか?

 「一体全体、専守防衛の前提はどこにあるのですか?」



1-3)1

> ‥何も考えていなければ、それこそ勝つ事しか主張すまい。


 ‥一億玉砕なんてスローガン掲げる前に、大本営のお前らから土下座に行けよ
 ‥死ぬ事を美学にしているお前らから先に散って見せろよ
 ‥誰も死にたくて戦いに参加せざるを得ないんじゃない、生きたいからだ、守るんだ


 誰々の戦果がこれぐらいだからとか‥ただ闇雲に負けるのは嫌だから突撃だとか‥
 攻める事こそ最大の防衛の論に乗せられて、討ち続ける事の命令だけが一人歩きする事になる。
 ‥攻めてくるかも知れないという普段からの政治力の無さの現れが自らを恐怖に追い立てよう。

 「政治家は普段何をしてるのか?」

 国民に狼少年さながらに恐怖を煽り立てているだけだろう。
 そんな輩に限って、決定的に政治力を欠いている。
 否、政治力の及ばぬ者同士が、戦争を煽り、馬鹿正直にやっちまうんだと言えばそれまでである。
 (言って来た通りだとばかりに‥どや顔を通したいだけじゃないか)


 ‥政治力を有した同士の戦は、全滅戦など前提にない。
 それどころか、お互いに生きることを以て最もだと見ている。

 それでも滅ぼす事が適うのは、実力を持った側である。
 ‥かの者らが、徹底的に敵の滅びを望むなら、其は明らかに侵略だ。



1-3)2

> そこまでの防衛を考え無くてはならないほど、人類は全く進歩していないのか?


 「では、なぜそうなのか?」
 ‥それが奪い合いの残酷な性格のままの社会の風潮だってことでしかない。

 勝つために技術を得て、奪うために使いこなす。
 ‥コンピュータにしたってネットにしたって、そんなんばっかりだ。
 ‥どこまで行っても常在戦場で、平和に関心が及んでいない。
 ‥平和なんかオマケみたいな物で、常在戦争こそがメインなんだ。

 ああ、そうだろう。

 戦争が仕掛けられるも何も、戦争が一番に儲かるからだって話だからな。
 一番に儲けたい=資本主義=俺的合理化だ。
 かの戦後の奇跡の復興にしたって、朝鮮戦争のお陰だろう。
 ザイニチに紛れ込まれて日本がおかしくなったなんて言っても、差し引きトントンだ。
 朝鮮戦争がなかったとしたら、今やっとして東京オリンピックかも知れないぞ。

 ‥それに知らん顔しとったら、平衡感覚ありませんと言い放つようなものだろう。
 「朝鮮戦争時の爆弾、どこの国が作ったの?」
 その分の苦しみは、当然、味わざるを得なかったのだ。
 一億総中流なんて時代の方がオマケだろう。


> 福島を見ろ!


 ‥エネルギー戦争に資源戦争
 なんで争いが始まるのかって、そりゃ何ものねだりだからだ。
 資本持ってますと言っちゃちょろまかし、権利を奪って、ごっそり搾取し放題‥
 それが平和的で素敵だというのなら、根から腐っている。それっぽっちの世の中だ。
 「何の価値がある?」

 挙げ句にそれに乗せる側も乗せられる側も、トイレが無くても平然としているじゃないか。
 放射能垂れ流しでも、生き残る人もいるから可能性ゼロじゃないから大丈夫だと言わんばかりだ。



1-3)3

> 生きとし生けるものが生きる価値を守るための防衛だ


 ‥粛正するとか‥目に物見せてやるとか‥敵討ちだとか‥
 そんな偏った程度の専守防衛なんぞ無用ぞ。

 生きる価値を守るための防衛は‥誰でも、いつでも、できることだ。

 誰もにその気があるのなら、経済レベルでの侵略(格差)だって認められるわけがない。
 ‥自身を病に追い込むような生活態度に暮らしぶりだって、不当だと言う事になる。


> そういう風に誰も主張して定義しないから
> 憲法九条の不足を補おうとすると途端に怪しくなる。


 ‥そりゃ怪しいだろう。

 ただでさえ、惨めが恥だと言うだけの事で、勤勉な民族なんだ。
 やるからには勝つもしくは引き分ける事しか頭にない、そんな連中の集まりだ。
 ‥そこを押さえずして「専守防衛は容認です‥」が大手で通るわけがない。

 「仮に、始まったとしても負けても良い!」

 なぜなら‥生きとし生けるものが生きる価値を守るための防衛とは
 何も常在戦場の火事場にあるとは限らないからだ。
 そこを強く主張できるだけの器にないなら、門前払いでお終いと言う事になる。
 そこを強く押せるほどなら、戦争の二文字をほぼ耳にする事なく時が進むだろう。


 始める力があったというのなら
 止める力がないのでは、眉唾物と言う事になる。
 ‥だってそうだろう。それが和睦ありきの戦だった。

 「そもそもだ‥知った顔同士で戦争なんかすんな!」
 「負け戦に‥ここで良いとこ見せれば、有利に交渉できるなんて言ってる段階でヘタレ!」
 「棋士だったらどうだ?『プロのくせに引き際も分からないとは‥』って言われるだけだぞ」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:43 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする
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