2015年09月24日

【見解】「友達になろう」は微妙な掛け声

1-2)記稿.2015/09/24

>ねぇ友達になろうよ♪

>君が僕に興味があることは理解した。
>ところで、君はいつもそうな風に声を掛けるのかい?
>僕から言わせると、とてもナンセンスな誘い方だと思うよ。

>え?どうして?‥じゃどうな風に声をかければ良いのかな?

>ふ、良いだろう。
>でもこれは僕の意見だ。君がそれをどう思うかは僕の知るところでは無い。

>・・・・



1-2)1

>まず、僕は友達だとか恋人だとかそんなことは前提にしていない。
>そもそも僕と君はクラスメイトだ。その段階ですでに一つの枠組みに属している。
>人は誰も一つの枠組みを通して人との付き合いを始めるのが成り行きというものだ。
>だから、出会った段階ですでに仲間と言えるだろう。

>‥うわぁすごいオープンな考え方だな‥

>その時、お互いのことを知りたいと思うのはお互い様だ。
>ならば、何を根拠に、関わりの是非を確認しなければならないのだ?
>用があるならそれを告げれば良い。提案があるなら述べれば良い。
>そもそも、是非の了解を求めれば、自らが枠組みの外に居たと告げことになる。

>それはなんだ?、何だと思う?

>え?え?、えーと、えーと・・

>つまり上か下かだ。内か外かだ。
>あのような是非の掛け声には、そんな垣根を思わざるを得ない。
>例えば、よく知らない土地で親しげに声を掛けられた時、君は何を思う?

>え?、えーと・・

>訝しがるかね?、それとも、話し相手を得たとばかりにお近づきになるかね?

>うーん・・その時次第かな。

>次に又会うとした枠組みに置かれていない出会いには、注意が必要だ。
>君が安易にお近づきなることを選ぶなら、出会いとしての質は半分だ。
>君にしたって、成り行き上の話し相手ぐらいにしか思っていないだろう。
>ならば相手も同じだ。そこに渦巻く人間関係は得てして碌なもんじゃない。
>君は本能的にそれを知っている。だからそんな是非の了解を求めなければダメだと思っている。

>え!、そんなの考えたことないよ。

>ほう、そうだろうね。
>それが是非の了解の裏返しというものだよ。
>先に了解を得たと言っても相手のことなど何も知らないのだ。
>では、そこから何を始めようというのだろう。
>馬が合うも解らないのだ。
>自分から提案できる何かを身につけていなければ、相手の好きに振り回されるだけになりかねない。
>君にそれだけの蓄積があるなら、用があるならそれを告げれば良い。提案があるなら述べれば良い。
>何も無いからこそ、無駄に、是非の了解からの始まりを選択してしまうのだ。



1-2)2

>ぼ、ぼく‥いつも気の合う感じでしか話し相手を選んでなかったけど‥
>それだけじゃダメかなって思ってて、思い切って声を掛けてみたんだ。

>ほう、チャレンジだったんだ。そいつはすごい。僕なんかいつも独りだよ。
>こんなだからね、黙っている方が静かで良いかなと、すましているのがせいぜいさ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:19 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする
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