2015年10月05日

【参考】平成仮面ライダーに見られる違和感の本質

記稿.2015/10/05

> 石ノ森ワールドの特徴として


 正義は悪の中から誕生する。
 なぜか悪の方が科学力が進んでいる。
 なぜか悪の方が資本力が上である。
 なぜか国家政治はその件に関して無力だった。
 ‥ゆえに正義はいたってボランティアだった。

 平成に至り、その辺に改善が見られる。

 平成ライダーは、組織で動く。だから、資金力がある。
 お陰で、昭和ライダーに比べるとその能力は圧倒的だ。
 しかし、悪から抜け出した程の強い精神力との裏付けがあるわけではない。
 ‥そういう意味では、性能に過信した態度があちらこちらに見受けられる。


> まぁそれはそれで、時代の変化と考えれば頷けるわけだが


 昭和ライダーは、ボランティアだったからショッカーを根こそぎ始末できずに
 復活を許してきた事への理解はできても‥
 平成ライダーでは、組織を上げても根こそぎの始末にはいたらない。
 ‥そういう意味で言うとかなり残念な組織、否、シリーズ展開という次第になってくる。

 組織力=資金力が得られているなら、
 ガンダムとモビルスーツの違いぐらいの部隊が見られてもおかしくない。
 予算の関係を考えても、そういう展開は十分に考えられる。
 しかし、それでも根こそぎの始末にいたらないのでは、さらに残念な組織という次第になる。

 すると

 ショッカーの設定を、宇宙からの飛来者たちとした設定の変更が求められることになる。
 (闇でブラックな連中は、宇宙にごまんと居るって話だからな)
 是は、
 悪は正義の中から誕生する。
 悪の方が科学力が進んでいる。
 その点に於いて、石ノ森ワールドに反さない。ウルトラマンとも被らない。


> そもそも


 最近のストーリーには、次元とか平行宇宙とかその辺の訳のわからんテクノロジーが登場する。
 全体でのバランスを考えても、悪が地球内だけで発生しているというのには無理がある。
 また、地球外からの存在が対象ならベルト装着に人種を問う必要がない。
 なぜなら、仮面ライダー組織が、地球規模で展開していても筋が通ってくるからだ。
 ‥俳優をザイニチに限定している意味もまた無くなる。

 大体だ、昭和ライダーの頃から、地球規模での設定は存在した。

 平成ライダーはその点に於いて、無理に日本に偏っている。
 それはまぁ組織レベルでの活動に置き換えた影響もあるだろうが、
 石ノ森ワールドのイメージとしては、いささか違うのでは無いのかという視点は否めない。


> 一方で


 ショッカーに押されっぱなしの世界観は、
 人々が悪と対峙することへの関心が、如何に薄いかという絶望の因果にも見える。
 ‥日常としても、退治しようとして協力行動が見られないのでは、ストーリー的にも不可解だ。

 未だにショッカーが認知されていない舞台設定というのに、いい加減アホさを感じざるを得ない。

 官民一体で、ショッカーを認知し合って、一丸となってショッカーと対峙している。
 ‥そういう筋書きの方が、もはや新鮮に見えるはずだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:00 | Comment(0) | 目の付け所をナス/2015 | 更新情報をチェックする
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