2015年11月11日

【脱洗脳】しあわせなんて幻想だ

記稿.2015/11/11

人生は「うるさい」と「つまらない」でできている
しあわせなんてものは幻想だ


小言を気軽に吐く奴に限って、手より悪対・罵りが口を衝く
ほめてもらいたい奴に限って、「ありがとう」はポチ待ち状態だ
自慢したい奴になると、しあわせは僕だけの物なんてオーラを放っている

つまらない仕事を避けようと一生懸命にサービス業を選ぶ

心から気配りする気も無い癖に、一番にサービス業を選ぶという矛盾‥
人と対面せず且つリスクを負わずに済む仕事なんか何一つとして無いのだ
運動選手にアイドルともなれば尚更だ


頑張ることは、一見つまらないように見える
地道に孤独の道を邁進する後ろ姿は確かに地味だ
ハッキリ言ってもそれだけだ
やりたくないことなら尚更だ

見返りを求めて事に当たると、途端に裏切られる
心静かに、物事に対峙できない者は手作業には向かない

そんな手作業に向く者に限って、出しゃばることを知らないかのようだ

競争社会においてそれは追い詰められるばかりだろう
なぜって、身につけてなんぼと思わない輩ほど量産化の仕組みに関心が高い


「したいことができることをしあわせ」なんて定義をしてみたところで

ただの思いつきの自己満にしかあれていないのがほとんどだ
それらに何の意味がある

意味を求めない思い込みのままのお花畑は、所詮ガラクタだ
その証拠であるかのように大量消費社会を私たちは見てきた
買った物はさっさと壊れるか古くなり、無駄に欲しいを倍増しただけのゴミの山だった
まったく以て価値が無かった。それどころか、地球を壊してきた恥知らずだった

ババを掴まされてきたにもかかわらず、それでもそれがしあわせの形のままに置かれている

まるで、他の表現を知らないかのように‥
ああそうだな、うまく表現できない奴ほど無駄が多い


今一つ、はっきりと申し上げておこう

「人生は、血と汗と感謝でできている」
「何事にも犠牲は付き物だ。それが私では無いとした汗もリスクも存在しない」
「犠牲を減らす上で必要なのが共生だ。それは効率でも儲ける算段でもない」
「それをしあわせというのなら‥喜んで言葉に表現するとしよう」

「死と向き合わずして語られる幸福の追求なんざゴミ同然である」
「‥其を権利などというブッフェ風にしたためて、軽んじる社会自体が糞だ!」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:18 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする
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