1-3)記稿.2015/11/22
> 地方分権の枠組みをどう考えるかはとても繊細な問題である。
> そこで、機能分権平行割州制度というものを考えてみた。
> 是はあまりにも斬新な見立てであり、根本的に意識の切り替えが求められる。
まず、根っこの思い込みな話として、
昔ながらの土地分けに従ったままに、そこに領地権のような形でセットで色分けしてしまえば、
様々な用途から見た場合、途端に不都合までが行き渡ってしまう。
民主社会にあるのなら、統治権を地域に委譲する形にこだわる必要はない。
あくまで暮らしとしての機能性のみにこだわるなら、
列島を用途別に色分けすれば、いくらでも平行的にエリア分けすることも可能と言える。
それはちょうど民間事業を業種別に分けて、列島の図面を並べるようなものだ。
‥民で成り立っているのに、官で成り立たないというはずはない。
1-3)1
> まず、従来の基盤となる地元自治体とは何か?
> 都道府県のような枠組みの目的とはそもそも何か?
市町村と都道府県の違いとは何かと考えてみるに
自治体の単位は{村}={教会}の単位だった。
一方で、県や州に求められる経済規模は、商会の単位として考えることが出来る。
‥中世の事情に置き換えてみれば、かような案配ということになる。
日本の事情は少し違うわけであるが、それにしても
お寺があるとそこから半径何里以内は、強制的にその寺の信仰する宗派が村の宗派だった。
これは、江戸時代の始め頃に家康がそれでいいだろうと沙汰を下してからずっとそうなっていた。
それがどう影響したのか知らないが、寺は住民の戸籍を管理するようになった。
そんな事情からか、寺にばかりそんな権限があることを不満に思ったのか、
神社と寺が合体していたケースが多かった。それが明治政府の手でひっくり返った。
時の明治政府は、藩から利権を取り上げることに必死で、思い込みを誘って返還させている。
そんな事情から生まれた廃藩置県が、いつまでも合理的に見えるわけがない。
> 現在進行形で道州分割を考えてみるにしても、似たような次第だ‥
> そもそもにして、生活の必要を機能別に分ければ、すべてにおいて不揃いであるのがわかる。
まず、州の前提として、商会の規模になぞらえた経済の大きさでしか考えられていない案の場合‥
東京は東京だけでも十分と思われているようだが、
仮に東京を中心に壊滅的な震災に見舞われた場合、あっという間に機能しなくなる。
誰が復興支援するのかと言えば、それ以外ということになるわけだが、福島を見ても分かるように
‥その後で、人口が回復するのかと言えば、そこは誰しもに確信などないのだ。
そこで
被災時や医療の対応という意味で分けて考えてみれば‥
雪国とそうでない地域とで分けた方が良さそうに見えてくる。(この見方では二分化)
是はこれで、緊急時のフットワークの軽さで考えれば一理有りなのだろうが、
‥どう取り繕うとも、国が二分化しかねない感触が嫌味にしか見えてこない。
では、警察機能と防衛機能はどうだろうか。
この二つを一つにしようとすると、なぜか信用に足らなくなる。
それは、逮捕権限と掃討権限がごちゃ混ぜになるからだ。
‥いつでも発砲しかねない米国のような感触では交番はやっていけないだろう。
それでも警察機能の市町村レベルでの区分管轄は手厳しい。
これは商会の規模になぞらえた経済の大きさの都合で考えた場合と同質の部分がある。
人事のやり取りにしてもそうだが、ある程度の大きさがないと途端に人口比での不足に見舞われる。
防衛で考えると一つにまとまっていた方が正論ではあるものの
結局は、陸海空などとした面での縄張りというか意識の違いが絡んでおり
国民性というのだろうか‥どこの国でもそうだと言うが、昔から大差が無いのだという。
‥申し上げるまでもないが、土地の色合いに則した権限の分割など尚更にありえない、
教育という面で考えると
地域ブロックのような枠組みの方が、応援するにしても親近感が湧くところだが
あまりにもなじみの薄い分け方をされても、偏見にしかならない傾向が見られる。
‥これは民族紛争の種みたいな何かが、日本の民の間に根深くあるようにしか思えない。
> 要するに
いろいろな見方で見れば見るほど、自治体をブロックにまとめる形の適性も様々に見え、
ケースバイケースで柔軟に、平行次元的な管理が成り立つように工夫した方が良さそうである。
民主社会にあるならば、無駄少なく効率的に考えてもいいはずだ。
権限の所在にこだわって、餅は餅屋のはずなのに、素人長官が畑違いの何かに判断を下す形式を
了承し続ける形は、あまりにも改革がなさすぎる。
1-3)2
> 地域に、そこへの権限委譲を目的として分割するのではなく、
> 機能に合わせて、それぞれの用途に適うように、まずは列島上に種別事に分割りを色分けしてみる。
> ‥それはいくつも平行的に構成されて見えるだろう。
監督となる役所の所在地も、適材適所に分散させてもいいのである。
書類を回すのが面倒とか、足を運ぶのが大変になるなどの愚痴はこの際どうでも良い。
‥餅は餅屋としての権限を維持できる形の方が、とても重要だ。
それでもなくても役人は嫉妬深い。
自分の顔が立たぬような歯がゆい対立関係は、傾国の論理にしかならないのである。
> そうなると、市町村の扱いも随分と変わらざるを得ない。
市町村としての機能を考えてもそれは、
戸籍管理やインフラ窓口、生活窓口としての機能面だけが表立つことになる。
それの種別でしかない扱いをすることになる。
それでは「自治権はどこにあるのか?」ということになるが、
駆け込み寺よろしくな機能性を維持していれば、何ら問題ない。
それを管轄域に広げた解釈にて、理解をし合えば良い。
この時、機能分権上重なりあう用途別に存在するいく種もの州エリアの長官に対して、
お互いにその都度、話を通しておく必要にもなるが、中央と地方とした上下関係にあるわけでは無い。
‥それ程に権限が備わっていないような状況にはならないはずだ。
‥言うならば、会社同士の提携みたいな形をし合うものと言える。
繰り返すが、お互いの立場はあくまで平行に存在する。
都道府県の下に、権限の入れ子式で市町村があるのでは無い。
お互いの権限は限定されているがゆえに、平行でありえ、餅は餅屋として振る舞うことが出来る。
> では、議会はどうなるだろうか?
とくに議案を通す場合がそれだが‥
分権であるがゆえに、自分たちで議案を確立できないと自治権とは言えない。
議案にしても、自分たちだけで通しても差し障りのない案件もあるだろうし、そうでない場合もある。
機能分権上重なりのある州エリアなり市町村との間に異論を申し渡される場合もある。
しかしである。官だからゴリ押しできるというのは、もはや民主社会とは言えないのだ。
だから、ゴリ押しできる状況を推奨する必要は無い。
‥何事も粘り強く交渉する熱意があるかどうかに尽きる。
とはいえ、難航長期化する場合の解決策を提示できていなければ、行政責任は果たせない。
そこで、高等評議会が求められる。
機能分権だからそれは、分権に対して立法とは言い切れない。司法の場にあるとも言える。
あくまで調整役という立場にならざるを得ないが、機能分権に対しての第三者機能とも言える。
立法としては、特に憲法制定における砦どころとも言えるだろう。
(中世時代の司法と立法が分けられていない感触に近くなるが、そこは分けて考えて良い)
> 高等評議会と言っても、これも同じように二つ程度のエリアに分けるとしよう。
> 日本の大きさと人材枠で考えても二つが妥当かと思う。
すると、二つの高等評議会が存在することになる。
(災害対応と同様に、雪国地域とそうでない案が適当だろうか‥)
それぞれは、自分たちでまとめられなくなると、上に具申するような形になるわけだが、
情報をかぎつけて、高等評議会側からケチを付けてくる場合もある。
‥教会が王様にケチを付けるような感覚に等しいが、まぁそうあるべきことになる。
政府閣僚は、その二つの高等評議会構成メンバーの中から
半々の頭数を選抜して送り込む形を取る。
(半々と言っても、長と副のどちらかを取り合う形式かと‥)
この時、二つの高等評議会の関係は、二大政党に類似する。
勢力の中に派閥も出来るだろうが、それはそれとして、政府閣僚に人材を送るのである。
‥このような体制だと、どちらが上とかそういう関係にはならない。
又、閣僚側の提示する事案は、二つの高等評議会に於いて承認される必要がある。
‥そもそもが、外交と防衛判断ということになるわけだから、ややこしいわけである。
‥緊急時の判断は、当然、政府閣僚の仕事であり責務になる。
それぞれの高等評議会は、表記のままに選挙で選ばれたメンバーで評議会制で運営される。
派閥を重視した党制度はもはやそれほどに重視されない。結成するかどうかは、各々の判断に基づく。
立候補するにも、背景があるに越したことはないわけだが、
それがどうして党制度に縛られなければならないのかという疑問もある。
‥公務員が立候補するのに辞めなければならないとしたルールは、餅は餅屋の否定でしかない。
機能分権に置かれるのであれば、概ねで、機能枠からの推薦も成り立たなければおかしい。
ただでさえ所在地がバラバラに置かれるのなら、代表が集って集中談話できる機関はあって当然‥
そこで、機能分権の意味合いとしても
機能に則した民間事業各社がぶら下がる形を取る。これは金慮雲座の位置づけでもある。
先に断っておくなら、道路公団方式に見られた形とは異なる。
機能別であるのだから、そのままに担当に該当する事業もまた分けるべしと考えて、
それぞれの該当に合わせて、金慮雲座を設ける形を取る。
‥例えば
司法権限の役所の傘下に弁護士事務所などがぶら下がっており、
金慮雲座を司法役所付け金慮に設ける形を取る。そういうのを平行的に細かく形成する。
(官僚がイスを新しく作ることしか考えていないのであれば、先に必要分イスを作ってしまえば良い)
エリア役所の取り分として、それにぶら下がった穂認分からの消費率が主な収益源になる。
予算が足りないようなら、どこかから戻り布を引っ張ってくる必要がある。
‥もしくは、ぶら下がり穂認分からの消費率を上げるかのどちからになる。
それは半ば、半強制的である。だからその代わりに、
機能分権の役所の長官または高等評議会に送り込む議員候補は‥
立候補も含め、その該当する機能分権の枠に属した構成または傘下事業全員からの
選挙で選ばれる次第になる。
(市町村で言えば、ほぼ従来通りだが‥高等評議会の選挙権としては一人二票にも見える)
(労働に参加していると一人二票を得る次第だ。これはそういうことになる)
(政党選出選挙ではないので、存在する機能分権のすべてから人員を送り込む形を取る)
※ 高等評議会選挙においては、さすがに市町村のすべてまでを対象にすると数が多すぎることから
選挙枠が設けられるだろう。
そもそもの官僚制度の問題点とは、長官の任命権に餅は餅屋色が存在しない点に尽きる。
餅は餅屋から離れた選挙枠に何の意味があっただろうか?
それこそ、権限を勘違いした無知がやらかす無駄の織り込み済みにしかなったのである。
繰り返すが、この新しき機能分権エリア選挙の特色として、
それぞれに該当する機能分権の構成と傘下事業に属していれば、誰でも立候補できるものとする。
‥だから、官僚身分がエスカレータにも長官のイスに座れる訳では無いし、
勝ち組政党が人事任命して、支配を牛耳れる構造にも価しない。
> これは謂わば、都道府県枠に見られる不十分解決と、中央官僚の懲りない癒着解消と、官産学連携を
> 餅は餅屋視点からの合理的融合を提案している。
だから引退して天下りがダメの論理もまた存在しない。
餅は餅屋なんだから、餅屋のどこかに移籍するのは何ら角の立つ次第にはならない。
(‥餅屋を辞めて新しきを始めるのに、昔の顔を利かそうなどと考えるのは嫌らしい話だろうけど)
また逆に、機能分権の構成からの民から官への推挙も有り得る話にもなる。
特に、エリア公務員の臨時枠を埋めるケースに於いてそれは検討されるだろう。
※ まぁそうなると百社組の解釈も、
掛け離れた同士によるシャッフルではなく、近しい同士でのそれという解釈に変わってきそうだ‥
(多少なりとも、離れた地域同士との構成という案配にもなるだろうか)
1-3)3
> 今に至る所轄区分の土地事情の多くは、江戸時代のそれに名残がある。
土地分配の諸事情には、昔ながらの人の行き来に基点があった。
道がなければその向こうに人が住むこともない。
戦国の領地分配の流れから、住まざるを得ない事情も生じ、か細い路もできてきた。
路の先には村が生じ、近代以降になると道路の必要も多く求められた。
‥言うまでもなく、昭和の列島大改造以降も舗装の進まない路もまだまだ残っていた。
そんな経緯からか、道さえ繋げればどこにでも住める感覚が身についており、
土地売買の自由と共に、行政もインフラを繋げれば良いものと考えていた向きがある。
そのような昔事情の引きずりは、予算ばかりを要求する体質にしかならなかった。
つまり、道路事情の在り方そのものが自治体の形を決めてしまって来たのだ。
とはいえ、遺跡だとか文化財だとかの事情から、道ですら理想的に繋げることが適わない。
開発が進み、利権の絡むところほど、やり直すことの無理を感じざるを得ない‥
> 自治体のスマート化などと言われているが、土地所有の云々は兎にも角にも悩ましき課題だ。
なまじそこに土地を所有してあるから、道路を繋げて欲しい、インフラを繋げて欲しいとなる。
これに制限を課そうとすると、基幹となる道路周辺に人を集める次第に変わる。
途端に、運転の自由だとか所有の自由の制限などが始まり、随分と窮屈な体制になりかねない。
‥その手の問題がまず根っこにある。
民主社会において、その辺の融通をどうするかでもある。
昔ながらの権限の委譲ルールでは、長官にすべての采配が集中してしまう。
それは独裁に進みかねないと同時に、手が回らなくなると副官を増やすばかりになる。
‥餅は餅屋であるのなら、話もまとまりやすいものの、そのようにはなってこない。
その時、土地活用の対応となると、
機能分権平行割州制度では、尚のこと収拾がつかないのでは‥と思わるだろう。
しかしながら基点は市町村にある。市民がどうしたいかに置かれている。
‥そういう意味では、機能分権といえど、積極的に事を進めれば良いというわけでもない。
まずは、話し合いを設けるのが主義とされ、
最終的に事案を進めるかどうかは、たいていは市町村のレベルでの話に落とし込まれることになる。
‥そこが中央が仕切ってきた感触とも、都道府県が仕切ってきた感触とも違うのである。
‥ただし、民間事業ではふつうに行われてきた次第にあたる。
縦割りの懸念は、まま残るものの、餅は餅屋が集まるのは当然の前提だ。
官産学が始めから一体に置かれることであれば、緩和もされるだろう。
どこからともなくパイプが形成され、それとなく打開が生み出されれば
アイデアとしてはすぐに上部に紹介されることになる。
‥それ以外に民立社会に適った在り方は無いように思う。
> ただし、縦に割る段階に於ける細かき言い分は避けられない。
つまりその構成権限が、政府閣僚と二つの高等評議会に有るということだ。
‥尤も、一度決まってしまえば、憲法と同じく早々簡単に弄くれるわけではない。
‥まぁ精々のところ十年置きに見直すべきとして、あらかじめ決めておいた方が不自由が減る。
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