記稿.2015/11/27
> アニメソング‘KACHIGUMI’とは、(→歌詞)
らき☆すたのスピンオフ作品「宮川家の空腹」のオープニング曲である。
どんなものかと確認してみたら、挑発的な歌詞の羅列に‥
やはりこの世界観とは相容れないのだなと確信するばかりに至った。
その中の歌詞にこうある。
“お金じゃ手に入らないの 必要なモノは掴みとれ”
そこでこう思った。
お前らが手に入れようとしているそれらは、全部作り手のつくり物である。
お前らが作り手になって、そこに渦巻く名声を掴みとるという話ならまだしも、
そういうのをKACHIGUMIとは言っていない。(テーマとしてもオタク観のツッコミだしな‥)
作り手としてのそこは、掴みとるモノではない。掘り起こすものだ。
> そう考えると、すべては内在されていないと始まらないのである。
進化論を信じるなら尚更である。
進化できるカラクリが内在されていないのなら、それこそ無駄である。
掴みとれというのなら、それこそを得るべきだ。
遺伝子的に不足があるから無理とか、そんなのは関係ない。
見かけ上の不足とて、情熱に於いて変異できなければ、純粋に進化とは呼べない。
情熱があると言う事は、願い繰り返すことだ。それで進化が起こらないというのなら進化論も無い。
誰かが作りだしたモノよりも、ノウハウこそを得るべきである。
確かにそれは、お金じゃ手に入れられない心と汗だ。好奇心とも必要とも言う。
> そもそも
人間なる群衆は、集合意識においてすべてが共有されるようになっている。
進化の方向性にしても、集合意識次第に置かれているようなものにある。
だから
消費独占・市場独占を求めれば、全体としてもそのようになり、
勝ち負けしか意識できない群衆に仕上がることにもなろう。
だかしかし、オタク的な視点で言うならば、それは‘勝ち’ではなくて‘価値’である。
価値の下にひざまずいているような様だ。でもそうじゃない。
この曲のそれは、希少価値を手に入れたとしてふんぞり返っている様だ。
‥そんな意識で作り手の側になると、ほとほとに六なモノしか作らない。作れない。
オタクにしたってそこは十二分に心得ているわけで、この曲は、悪ノリしただけのお門違いだ。
どちらかと言えば、ただの物欲賛歌だ。
まぁそういう曲なんだけど、物欲にしても、手に入れんとしているのは、
誰かの作り物だし、サービスだし、そこにしか興味関心がないしても、感謝を持つのがオタクである。
‥感謝を持たねぇオタクの推奨は、本質的にクレイジーでしかない。
「一緒にすんな!、ボケ」
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