2015年12月08日

【川柳】銀の匙SilverSpoon‥十七射+1

記稿.2015/12/08

|酪農の怪我と廃棄は野獣の暮らし
|国産牛‥怪我した乳牛「いただきます♪」
|無事出荷、汗と涙のブランド印

|ガムシャラは若さが勝負の短期戦
|いいのかよ!自由の視野はド近眼

|望んでない!奴隷文化に隷属政治

|安全を勝ち抜く先のブランド皿
|負け組は残飯係とバイオ皿
|いつの間の死に神食品‥ババ抜き社会

|したいこと。どこで学んだ真に受けた?

|カネ無いしキレイな街も見てるだけ
|つながらず誰かの汗も画のモチ

|そっとして見て見ぬやさしさ孤立社会
|恥掻いてつなげる感じに「なぜ臆す?」
|査定しか頭に無くなりゃクズ社会

|はみ出しがチロチロ沸かす炎上社会
|変えてやる!秘めたる先の手にキーボード

|普通とは、食に始まり‥美味いに感謝・協挑・共生なり




稚草

> 少年サンデーが嫌いに成った理由


 小学館の少年サンデーは、主役が日本人である点にこだわりがあることを聞いたことがある。
 ‥少年ジャンプでいうところの友情・努力・根性のキーワードに類似したものだ。

 メジャーとかモンキーターンとか‥嫌いではない。むしろご馳走の部類だった。

 ‥ところがよくよく鑑みてみると

 日本人をテーマにしているだけに、
 日常社会の構造のエリート舞台に日の目を見ることを、「夢」に据え置いて限定する。
 これはある意味、一種の洗脳というか思い込みにハマった型を示すばかりだろう。


 日本の社会構造が変わらない限り、そこから先に見いだすべき夢の先も又無いのだ。


 マンガゆえに、そこから先を示す必要は無いと言わんばかりの制限を課したも同然である。
 行き詰まった現実と比べれば、そりゃ、半分胡散臭く見えちまう‥
 マンガだからこそ、特にそこから先を夢想にも描いて良いはずなのに、
 なぜかそこから先のテーマとしては、革命騒ぎの血生臭い物語しか登場しないのだ。

 まるで、社会の大人の事情には、そういう壁が在ると言わんばかりである。

 ‥そこんところの隠れた裏の情報が出回る時代から見ると
 そこの狭間に起こるべくしてあるモヤモヤが描かれているだけなんだと諦めざるを得ない。
 それを面白いと思い続けるのか、それとも、それ以上には成らないと高を括るかである‥

 テーマが日常に直結しすぎていれば、尚更に嫌になるのは当然だと思う。
 ‥知らない分野でも、所詮はそんな事情のオンパレードなら、そりゃ嫌気も差す。


> ‥マンガではなくアニメ(第二期まで)を鑑賞したのだが


 キッチリ最後に、酪農は甘くありませんと釘を刺すかのような締め括りは
 はっきり言って、象徴的に見えるばかりだった。

 (そこでも、なぜか諦めきっている様子の地元跡継ぎたち‥テーマとしては不十分かと思った)
 (尤もそれを見て、何を考えるかは受け手の課題にもなるわけだが‥今や世間のどこも同じにある)
 (人間を見て、担ぎ、社会を見ず‥的な感性しか育たねぇよな)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:01 | Comment(0) | アニメ | 更新情報をチェックする
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