2015年12月26日

【どうでもいい】アニメの中の2015年‥その2

記稿.2015/12/26

 「トップを狙え」のアニメの中で、
 タカヤノリコの父が乗っていたルクシオン号が行方不明になったのが2015年である。


> 宇宙戦艦と美少女のロボット搭乗員


 これは当時のまったくのオタク要素であるものの、
 現実と照らし合わせてみると、まま似通った展開を見せている。

 ‥その宇宙戦艦と美少女ロボット搭乗員の代わりとして

 今や巷では、AKBを手始めに、どこもかしこも美少女アイドルユニットが蔓延っている。
 ‥村おこしなんかだと特に、存亡を懸けた地元アイドルって点は同じかなと。

 そして、対中国脅威とばかりに軍事予算もとい自衛隊予算が跳ね上がっている。
 ‥まぁまぁ割り算勘定でも、そんな感じが漂っている。それが2015年らしい。


> それにしても


 アニメの中のそれを実現した場合、美少女に予算を投じた社会像ということになる。
 しかも国家政策だ。
 当時それを見ていた時の感想は、ただのギャグ止まりの思考停止だったが、
 今改めてその社会構造を考えてみるに、昭和の時代は、お上主義だったんだと思わざるを得ない。

 ジェッターマルスにしてもそうだ。お上の計画になっている。
 ‥博士が予算をそこに注ぎ込むという話だからそういうことになる。博士のポケットマネーじゃねぇ。
 ‥良くも悪くも、ロボット兵器開発への賛同アニメだったとも受け取れてしまうのだ。

 昭和の当時は、そこに蓋がされて空気があったということだ。


> ところが


 今や、アニメの世界観の中では、お上は「悪」とした転換を見せている。
 ‥これはもの凄いことだ。

 中でも「残響のテロル」はその筆頭と言えるだろう。
 俺も見ていて思わず憧れの衝動に駆られちまったよ‥ユーチューブを用いたなんとか予告。
 オッサンでさえそうなんだから、ガキ年齢には、ずっと刺激が強いのではないのかと‥
 (‥狙いはあくまで、幼き頃の自分たちを巻き込んだ国家権力への復讐という筋書き)


> お上主義だった時代には見られなかった、様々とした不敬な事件の数々


 アニメやマンガの影響とは凄いものである。
 ‥だからといって、鵜呑みでお上主義って訳でも無かったけどな。
 ‥ギャグはギャグ、日常に捌け口を求めた混同というのはなかった。それが昭和だったと思う。

 昭和のアニメは、セルアニメ。集団制作としてもその数は半端ない。
 平成のアニメは、CGアニメ。精鋭チームでの制作とデータの流用によるコスト抑制が可能。
 ‥そういう意味でも、空気感はそれなりに違って来ているのだと思う。


> 近頃のアニメを見ていて気になるのが、歩き方のリズム。


 なんかそのトコトコとしたタイミングが全部同じ。

 手塚治虫曰く、「ブラックジャックはそんな歩き方はしません。」
 締め切りに追われていて、まともな打ち合わせもしていない先から、ダメ押しを刺す。
 アニメの方も時間に追われているのに、平然とそれを言ってのけるという神経。

 ‥それはそれとして

 「ノワール」の頃からそのトコトコとした歩き方のリズムが同じ。
 同じツールを使っているだろう次第が一目瞭然で分かる。
 ‥2倍速で見ているからかも知れないが、それにしては、同じに見える場合が頻繁なのだ。
 ‥原画マンがたまたま同じだったからとしても、それはそれで描き分けができていない問題が生ずる。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:08 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする
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