2016年02月25日

【プレバト】房総半島菜の花列車、俺も詠んでみた

1-2)記稿.2016/02/25

|踏切でゆれる菜の花乗り遅れ

|ガタンゴトッ‥菜の花消ゆと窓を見る

|ご到着。菜の花見つけ駅は苑

|照れながら菜の花続く駅舎から



1-2)1.稚草

> また、菜の花かよ‥


 三句目は、彼または友達の視線ということでよろしく。
 呆然と詠んでいると、
 電車に乗り疲れて、着いたら駅に菜の花が咲いていた。かわいい。チーンてもんだな。
 ‥四コマのように並べる効果は絶大だ‥

 というか、そもそもにして十七字での無理は大きい。


 待ち合わせの相手次第では、二句目の消ゆの心情もずいぶんと変わってくる。
 呆然と詠んでいても、
 電車の発車から菜の花が流れていく車窓の景色に見える。凄ワザだ!(‥縦書きだと厳しい)


 課題の写真では、女子はケイタイを手にして名ばかりのプラットホームに立っている。


 はじめ踏切かとピンボケまなこで見て思っていたが、よく見たらホームだったよ。
 ‥となるとメールで連絡できる前提だな。何本遅れるかはお互いにすぐに分かる。
 ‥でも田舎だからな、詰まるような踏切のそもそもが無さそうである。それでも踏切だからな。



1-2)2.お手本講座.記稿.2016/02/28

|線路際 菜の花ゆかし○○駅
|線路沿い菜の花ゆかし○○鉄道


 上に挙げた二つは、俳句と言うよりはどちらかというと
 標語もしくはキャンペーンフレーズに近い。

 そして、際と沿いが違うだけで駅か鉄道かの差が伴うだけである。
 「ゆかし」の意味するインパクトはとても強力で、なんにでも当てはまる。

 型として分析すれば、
 {大ざっぱなどこそこ}+{季語を示す単語}+{ゆかし}={ここです的な言い切り固有名詞}
 ‥で、整ってしまうのである。(動詞より形容詞で攻めた方が上達は早いかも知れないな)


> では、俳句として成り立つには何が必要だろうか?


 それは○○の箇所を、誰から見てもその通りとして埋められるかどうかということになる。

 個人の一過性の風景体験とか、視点とか、そんなのは当てはまらないからこそ
 「季節的によく見られる」とした要素が欠かせないのである。


 ‥季節的に誰しもが感じているからこそ、季語として扱えるのだ‥
 ‥季語を通して、誰しもが感じ入る光景を示せばこそ俳句という‥


> 実際、お題のタイトルは房総半島菜の花鉄道であった。


 なぜ房総半島などと冠してあるかというと、房総半島の菜の花鉄道に相当するのが
 小湊(こみなと)鐵道&いすみ鉄道の二つがあるからという話になっている。
 ‥当然、ここだけの駅に咲いているなどと言う事情には無い。

 そのように

 例句の○○の中に、何が入っても無難になってしまうような着眼は、
 俳句の着眼としては相応しくない。

 それは魅力ある町づくりにおいても言えることである。

 でも、地域でまとまっていれば、インパクトも広がるわけだから
 風景としても、鉄道という規模においても‥それはそれだと思う。
 ‥しかし、俳句としては固有名詞を入れづらくなる。そこが今ひとつと言えるのだ。


> あと、固有名詞があっても、横文字で長いのは、ほんと勘弁してもらいたい所である。


 そんな感性があるからだろう。やたらと縮めて読むのが流行ることになる。
 それでも日本語の性質上、よけいに言葉がダブって意味が分からなくなる場合が多い。
 それはそのままに言葉の乱れにしかならず、俳句からすれば、罠としか言いようがない。

 動詞を縮めても意味同じだよねとか、横文字に習って頭文字だけで攻めようぜとか
 ‥そんなのは、日本語から出て行けとしか思えんな。

 和歌に魅力を感じてきたからこそ、日本人は整うことを心に留めるに至ったのであり
 ‥そうでなかったら、流行り廃りに乗るだけの行き当たりばったりの文化になっていたに違いない。

 つまり

 「和歌はどこから来たのか?」
 ‥そこを慮らずに日本人のルーツを語るべからず‥である。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:33 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする
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