記稿.2016/02/27
‥個人主義、能力主義、成果主義
格差は生まれても当然とばかり考えていると、
負けが込んでいる側は、仮に感謝したくても、先立つものが無いか思うにならない事態に陥る。
‥それはもう慢性的にである。ここは奮発するべき所と慮ることを知らずに生きるのだ。
もしくは、あの人は困らないほどに自分より持っているだろうから
ささやかなプレゼントになんか見向きもしないだろう‥という空気で窒息しそうなままだ。
また
お互いに素寒貧なら尚更にあげても仕方がないという範囲でしか示せない。
ちょっとした気遣いとか、気前が良いというだけでは、感謝として伝わるかどうかなど定かにない。
たぶんそれだけでは、感謝を示したくてもこれと言った特別感で伝わることはなかなかに厳しい。
‥そのような場合に無理に頑張っても、相手はありがとうよりも先に切なさがこみ上げてくるものだ。
それはもう深刻なもので
勝ち誇っている側が、余裕をこいて、お決まりセットをあなたの為にと用意するだけでも
‥逆に憾みにしか思えずに、その場から立ち去るしかない程である。
‥そこに起きている気持ちとは、居場所のアンマッチなのだから。
> 一方で、公平に分配していると
お互いそれなりに手にできる範囲は限られているので
ささやかな贈り物であったとしても臆することが減る。同時に
感謝されていると自負するなら、結果的にそれを表現して頂けるという形が得られる。
‥そういう空気が世間に広がることになる。
ところが
お歳暮のような形めいた縛りがそこに蔓延し出すと
感謝の気持ちよりも、見栄や義務に偏りがちになる。
‥公平だからうまく行くというわけでは無いにしろ、うまく行きすぎていればそうなるはずだ。
(戦後昭和の繁栄が良い例だと思う)
> 好かれているのか、そうでないのか‥
> 感謝の気持ちの表しかたをどう示すのか‥
そこを基準にしていいのが自由であるのなら
感謝されるかどうかの声の多い少ないにこそ意識を向ければ良いことになる。
‥人類はそこを愚かにも、労働とか権利とか稼ぎとか
そのままの取り分で表現すればいいなどと思い込んで来てしまったのである。
それもこれも、貴族への憧れとばかりにね。
声でさえどうでも良いというのなら、集団から距離を置いて生きるだろうし
‥感謝の声の少なさに我慢がならないというのなら、ますます闘志を燃やす事に成るだろう。
「どうすれば感謝の気持ちを自分に向けて貰えるのか?」
見せつけては、却って嫌みにしか映らないのは誰しもが思うところであり
だからこそ、感謝の気持ちを気兼ねなく表して頂く為にも、配分の公平は前提大事なことになる。
‥自分なりの感謝を示しにくい空気ほど、人を窒息させてしまう不自由と悔しさもないのだ。
> そこが未だに分からないというのは、人として不十分としか言いようがない。
どんなに誰かがアートだ芸術だと囃していようと
そこに感謝の見え隠れしていない行為や作品は、単に汚臭としか言いようがない。
‥尤も、何に有り難みを感じるのかは人それぞれだし、ケチを付けるのも個性の内である。
少なくとも誤解されていると思うのなら、その原因はあなたの側にある。
‥自己責任と申し上げても宜しい要素があるとするならば、たぶんそれだけだ。
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