2016年04月14日

【参考】詠みとポカ

記稿.2016/04/14

 ポカは誰にでもある。
 ハイになればなる程、右も左も同じに見えてしまうことがある。
 ‥トポロジー的錯覚だ。

 冷静になってよくよく考えてみれば分かることでも
 なぜか、分からないという事態に陥っている。
 ‥まるで初心者に成り下がる。

 例えば

 同じことばかり繰り返していても、トリックのように間違える。
 ピアノでも指の運びにそんなミスが発生するという。
 じゃ、毎日の練習なんか程ほどで好いじゃん。気分が乗った時にやるだけで好いじゃん。

 ‥しかしそれはそれで

 自分で自分に、スイッチを自在に入れることができるかどうかという点に注目が集まる。
 スイッチの入れ方を学ばせたいなら、スパルタもありだろう。
 でも、楽しみたいだけなら、気持ちが大切と言いはじめる‥


> モチベーションなりやる気のスイッチは、自分で入れるモノだろうか?
> それともやって来るモノだろうか?


 うーん、まぁ両方必要だろうね。
 でも肝心なところは、ポカやミスの発生時にどう対処するかである。

 ポカは、気がつかないからポカに繋がるのだ。ミスにしても同じである。
 まぁそういう時は、素直にその失敗を受け入れるしかない。


 傲慢にならない為にも、初心に帰る必要がある。
 ‥脳や体の全神経が、そんなことを言わんとしているのかも知れない。
 ‥もっと違う刺激が欲しいから、休みたいから、距離を置くべきだから。


 自らへの労りなり、他への労りを忘れていると‥そういう流れも醸し出されるのだろう。

 お互い様なんだから、そういう場合、どう対処されたかという所に次の注目が行くはずだが、
 ‥でも大抵の大勢は、無駄に期限や本番での完成度を要求してしまう。


> なぜゆえに、そんな勘定にハマるのだろうか?
> それはそんなにも‥絶対に外しては成らないのか?(事と次第に依るだろうけど)


 罵りたいから、嘲りたいから、自分の方が勝っていると思い込みたいから‥
 まぁ確かに、そう考えると、それだけの社会なんだよ‥競争資本なんてさ。

 ‥それをプロとか言われたら、楽しむと汗するのバランスは誰にも見えて来ない。

 人それぞれで、成長の度合いも飽きっぽさも異なっている。
 育ちにも因るだろう。暮らしにも因るだろう。民族にも因るだろう。

 ‥そんなにも異なっていて、人はどうして、やたらと外の文化を取り入れたがるのだろうか?
 ‥どうして外の方が優れているというように思い込むのだろうか?


 本来的なことを言えば、生まれ変わった方が新鮮に呑み込めるだろう。言語のように。
 ‥無理に違いがあるというのに、取り入れる必要など無いと思う。


> そんな気持ちをめぐらせていないと、定型句での詠みはどうしたって読み切れやしまい。


 「削ぐに非ず、まずは用意しないの心得なり。構えないの心得なり
  ポッカリ空けていれば好し、そこに己の気持ちが注がれるだろう
  勿論、ある段階を維持していないと開かない扉もある。その逆も然り

  ‥その為にも、知るという事への好奇心は欠かせまい。その逆も然りなり」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:31 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする
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