2016年04月16日

【詩】適当の臨界

記稿.2016/04/16

適当は好い
何が好いかって、お気楽だから好い

でもそれだけだ

適当のままでいると必ずや行き詰まる
なにが流行ろうとも、適当なら、適当に飽きも来る
回りまでそうだと、適当にしか成り行かない尻切れ蜻蛉だ

そんな文化では所詮、先が知れている


だからだろう‥
適当に恋をすれば、適当に縁を切ることにもなる
そもそもが適当だから、そんなもんだ

お気楽な恋なんか、そんなもんだ
一体全体、それはどこの文化だったかね?

適当だから、意見もマナーもバラバラだ
好き勝手し放題‥というより理想なんかない
仮にあったとしても、すこし風に吹かれりゃお終いだ

だって、適当なんだから‥


「どうしてそこまでして、適当が好いのだろうか?」


適当からの脱出の仕方を知らない、ただそれだけ‥
みんなで知らないと、そりゃ適当なままだ

適当でしかないくせに、みんなであれこれ言い出すからまとまらない
それこそ、適当にあるがままをお望みだ


「‥本当は分かっている、礼を尽くすべしとした感覚を」


でも、あまりにも、自分では考え切れない細々としたことが多すぎる
分業化社会になればなるほど、ますます適当に依存することになる
それは高度とは言わない陳腐というのだ

ますます陳腐化せざるを得ないから、日常が適当になる

それは、ある意味で良い塩梅だが、しかしそうでもない
基本が他人任せで、何も身についていない感覚ほど糞な現実も無いからだ

礼を尽くすにしたって、形骸化にも見えてくる‥
格差も積もれば、胡散臭くにしか見えてこない‥
代理で座っているだけの王様と一緒だ


|適当という煮え切らず毎日のなんと窮屈なんとくだらぬ
|ただ休めひたすら休めそれだけでなんとスッキリなんとクッキリ
|倦んだなら自分で動け試みろそれをせずにゆかしなど在らぬ
|突き詰めろトコトン粘れそこにほら、お前の内から明日見る瞳


そこの叶わぬ暮らしなら、狂わない方がある意味で不自然だ
狂うにせよ、なんであれ、先駆けする輩は居て当然なんだからな
でも、狂いたくはないだろうよ、そんなの誰も望んでやしないさ

「ならばどうする?」

‥お前さんの順番が回ってきたというそれだけのことだろうよ
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:43 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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