2016年04月21日

【二次創作】のんのんびより 22 部活をやろうの巻

↓4)改稿.2016/05/13...20160421...

 ー季節はすっかり秋に変わったー

 そして、凸激と言えば、
 宿題も中1になり、小5授業の問題集をやり込め、勉強の時間に余裕が生じていた。とはいえ‥
 一人で英語の参考書やら問題集と睨めっこしていても、今ひとつ物足りない思いがあった。

 そこで

 英検3級資格を取ることをネタに、
 「部活動をやらないか?」という次第を蛍とれんげに持ちかけたのだった。
 部活動と言っても、学校でしていては下手をするとバスの時間を逃がさないとも限らない。
 そこで、帰宅してからの集合というのが、凸激の提案だった。

 そもそも、それはまた「男が女と何をしてどう遊べるか?」という模索でもあった。

 凸激としては
 やっぱり何らかの目的がないと、男としてはどうにも気乗りがしない所があったからで、
 ‥そこも合わせて考えたのが、めざせ英検3級部だった。


 「それじゃ、神社にジャージ着で集合な」

 「ねぇ、ゆうちゃん?
  英語の勉強をするのに、どうしてわざわざジャージ着なんですか?」

 「部活の気分を出す為にも、まずは軽くランニングするんだよ
  有酸素運動は脳細胞の活性にも良いって言うからな」

 「とっつん、走るってどこを走るのん?」
 「そんなの適当で好いだろう
  本格的に走り込もうって訳でも無いし、行きたくなった方向でさ
  ようは、気分だよ気分!」

 「走るとなると勉強道具とかはどうするんですか?」
 「走る時はべつに要らないだろう
  今日は初日だし、やってみることがまず先なんだからさ」


 蛍にしてもれんげにしても、
 なんだか、とてもアバウトに思えてきたが、それはそれで、
 とりあえず、やってみようというのが先に立っていた。



1-4)1

 ‥ランニングを終えて
 れんげと蛍が、秋の見晴らしの良い地元の景色を見ながら
 その場に、少しへたり気味に休んでいると

 凸激が何やら、音頭を取り始めた。所謂、秋空の下での座談といった風だった。


 「それでは、記念すべき“めざせ英検3級部”の初日として、
  今日は、‘go’と‘come’について考えたいと思います」

 「‥なんでとっつんが先生みたいに仕切るのん?」

 「なんでって、俺が言い出しっぺなんだからさ、方向付けは大事だろう
  別に俺に限らずに
  発言したいならその都度、各自が英語の勉強の中で疑問に思っていることを持って来て
  ここで確認しようってのが、この部活の趣旨ってわけ
  それで、3人で考えて尚納得できないことは、れんげが姉ちゃんにさりげなく聞いてくるんだよ
  それを朝発表すると‥
  そうでもしないと宮内先生は、ただの置物のままなんだからな」

 「好いですね!それ」

 「でもなんなー、それだと毎日英語の勉強しないと続かないん
  覚える以前に、横文字に不慣れなのに、疑問とか言われても疑問だらけなのん」
 「難しく考えるなよ、れんげ
  言葉のネタなんかいくらでもあるんだからさ
  ネタがない時はネタがない、それはそれとして、
  部活という気分を味わいたいのが根っこなんだからさ」

 「そうですね、そうですよ。とりあえずゆうちゃん部長さんでよろしく」


 部長という響きに、凸激はちょっと照れくさく思った。
 そこまで考えてなどいなかったからだ。
 でもまぁ、分校の三人の学級に委員長も無いわけで、直ぐにどうでも良いと思った。
 ‥とはいえ、そういう感じも面白そうかもなとだけ少し思ったのだった。


 「えーその前に
  れんげ、1人称2人称3人称ってわかってるか?」
 「はい、それは知ってるのん
  一人称が自分を指す敬称で
  二人称がとなりの相手を指す敬称で
  三人称が話題の人または何かを指す敬称ですん」

 「じゃ、英語の場合、それが動詞に影響を与えるのはわかってるか?」

 「とっつん‥
  動詞に影響するって、どういう意味なん?」
 「あ、それって、be動詞の‘is’と‘are’の違いだったり
  三人称の時に動詞の変化で‘s’または‘es’が付く‥あれですよね」

 「正解。じゃ、日本語にもそれと同じことが起きているってのはわかってる?」

 「ええ!?、そんなの聞いたことがありません‥けど‥」
 「なんなー、とっつんて、ついこないだ70点だったのに
  いつの間にそんなに先生になってるのん?」

 「そりゃあれだよ、俺が短歌を詠んでる分、日本語との違いに気になった点があったからさ
  ツっこんで考えてたら、気がついちまったのさ」
 「わぁ、ゆうちゃんすごーい」
 「ほたるん‥まだなんにもしゃべってないん、それを言うならそのあとなん」
 「えへ、そうでしたね」

 「日本語の中に動詞に影響を及ぼしているもの‥それは敬語だッ
  尊敬・丁寧・謙譲とあるだろう、
  それはどう考えたって、一人称と二人称の違いに依るところが大きい
  でも、それだけじゃないんだな、よくよく考えていくと
  日本語の場合、全ての言い回しに影響を及ぼしていることにビックリすることになる

  先に簡単に言っとくと、

  自分側の何かを言い回す場合にしか使わない用法と、
  相手側の何かを言い回す場合にしか使わない用法と言う感じで
  その原点にあるのが、敬語だってことで、
  実際として英語の人称のように動詞の発音等に影響しているわけではない


  例えば、このダイソーから出ていたミニ時点シリーズ:慣用句辞典
  まるで日本人が手掛けたとは思えないぐらい、意味はなりすませても
  それぞれの用例が大幅に間違っている!!

  例えば、臭い飯を食う‥(罪を犯して刑務所に入れられる)

  「魔が差したばっかりに、臭い飯を食うようになった。」
  と書いてある。しかし、こんな用例で使う奴はまず居ない
  捕まったからという事象を経て‥悔しそうに‥臭い飯を食うハメになった
  ‥と用いるのが犯罪者の心理だ。そしてそれが日本語でもある

  そもそも

  魔が差したばっかりに‥という反省の意図が先に来るなんて変だろう
  「あの頃は臭い飯を食ってました‥当時はまだ青かったですよ」ってぐらいなもんだ
  反省の気持ちが先にあったら、悪いことなんかしないんだからな

  どう考えたって「魔が差した」の意味を理解していないと思って
  魔が差したの方を確認すると‥

  「真面目な彼が万引きしたなんて、きっと魔が差したのさ。」とある

  一般に、魔が差したかどうかは、自身への自戒を込めて用いる
  第三者に対しての憶測には使わない。使っても、まずは、動機の確認が先になる
  その後で、あれはきっと魔が差したんだろうなという感想で使う

  ‥それにしても、相手に反省の気持ちが見られた場合だけだ
  その人の成りとか生い立ちは関係ない
  それが日本の善悪観でもあり日本語でもある

  字引の意味の「ふと悪い考えを起こす」という意味のままに使うとまるでダメ

  文の意味としては通じなくも無いんだけど、型としては全然ダメ
  なぜなら、反省の意を意図して用いられるのが一般的だからだ

 「あの時は私もあいつも魔が差してたんでしょうね
  それが運の尽きでした(カネ儲けイケイケゴー)
  今では気持ちを入れ替えてなんとかやっていますが、きびしいですよほんとに‥」


  日本語の慣用句には、そんな自他の関わりや行き来を型として想定しているケースが多い
  ‥そこを端折った用例の数々には、ほとほとこの本自体の不気味悪さが伝わってくる

  そこで、この百均慣用句本の勘違いの連続を見ている内に、
  「日本語を話す外国人が格安で編集したのでは?」と思ったところで気がついた

  ‥辞典としては、カネを返して貰いたい所だけど、別の意味で百円分ぐらいの勉強には成った


  たぶん、外人が日本語に置き換える時、
  日本人の日常にある‥その常識ごとに言葉の使い分けが存在する多様さに困惑するんだと思う
  ‥逆から見れば
  外国語にも、表面上の意味とはまた違ったニュアンスが潜んでいると言うことが予想される

  そこで、この三人称の時だけ動詞に変化が起こるのと共通しているのが
  敬語だという点に注目したら面白いことに気がついた

  ‥それが今日のお題の‘go’と‘come’である」



1-4)2

 ‥どっかの講師さながらの凸激の長い前置きが漸く終わり、どうやら本題に入ったようだった。


 「通常、日本の英語教育では、‘Let's go.’から‘go’の習いが始まる
  それはあたかも、日本語の‘行く’を連想させるばかりだ
  その後からその対語として、‘come’を教える。そして、あとは知らん顔だ

  一方で、日本語の場合

  ‘行く’と‘来る’には、尊敬語、丁寧語、謙譲語とに分かれており
  その使い分けに細かいほどうるさい

  だからますます、日本人の頭では‘go’と‘come’もその感覚のままに思い込む


  『ところがどうだろうか?』


  キタ━━━━━━\(゚∀゚)/━━━━━━!!!!!
  なんて具合にも用いられるのが、日本語での‘来る’でもある

  それを日本語で表現するなら‥『春が来た』の‘来る’の使い方と同じだ
  だが、同じように、『山に来た』とか『里に来た』という風には用いても、
  日本語では普通‥『私が来た』という風には表現しない

  それは、敬語で言えば、『私がいらっしゃった』と言う風には用いないのと同じだ
  大概は、一人称を外して、来た、来ました、参ったと用いる

  でも、英語では、敬語のような形態がないことから、
  I go.でも、I come.でもどちらも平然に用いる

  日本語の場合、そのような場合には、一人称を外すから、まるで何が来たのかわからない
  ‥そこで、空気を読めと言わんばかりに前後の確認が求められる次第になって来る」



1-4)3

 ここで一旦説明が終わった。凸激も話し疲れるし、自分の知識の許容もあることだしと
 気分を変えて、この後は気楽にと、クイズ形式にした。


 「では、問題です
  男と女が乳繰り合ってて、なにやら気持ちが昂ぶってきたそれの時に
  日本語では、‘行くー’と使うように表現するそうですが、英語ではなんと言うのでしょうか?」


 ‥なんともまぁ、それは下ネタだった。
 しかしその意味が具体的にわかったのは、たぶん蛍だけだったろう。
 年頃にもなるとエッチな夢も見るし、女子にはアレの日もある‥


 「とっつん、その問題はセクハラなん」
 「なんだよ、れんげ
  スゲーな、意味わかってのかよ
  俺はまだ小学生だから、いまひとつよくわかんないんだけどさ
  何がどう行くの?」
 「もういいから、さっさと答えに行くん」

 「‥ええ、英語では、そこの表現は、お子様にもわかる意味として
  気持ちいいのがやって来ましたということで‘come’が用いられるようでーす」

 「では、第二問。
  どうして日本語ではそのような場合に、‘行くー’が使われるのでしょうか?」
 「はい、部長ん」
 「どうぞ、れんげさん」
 「片方の種が相手の種の所にまで出向くからですん」
 「正解です。
  日本語では、このような場合でも、ご丁寧ながらにも来ると行くがキッチリ表現されるんですね
  それも、自身の気持ちいいより、種様が優先の見方になっていまーす」


 あまりにも坦々と話をすすめていく凸激とれんげのやり取りに、小っ恥ずかしさを堪えきれず
 蛍が年上のお姉さんの立場から、ツッコミをした。


 「ちょっと、ゆうちゃん‥なんでいきなりそんな恥ずかしい話になっちゃうの?」

 「だってしょうがないじゃん、こういうのが一番にわかりやすいし
  真面目な話ばかりだと、外野が飽きちゃうし
  お互いに、どんな感じにツッコみ合うのかなってところが面白いわけだし‥」


 凸激が何を期待していたのかは‥わからなかったが、
 ‥まぁそれほどに下ネタ狙いにおかしく悪のりしようというほどでもなさそうだった。


 「では、第三問。
  ‘go home’はどんな意味?」
 「はい、部長ん」
 「どうぞ、れんげさん」
 「家に帰るですん」
 「おお、すげー、引っかからなかったな」

 「では、第四問。
  ‘come home’はどんな意味?」
 「はいはーい、ゆうちゃんはーい」
 「どうぞ、蛍さん」
 「意味としては、さっきの‘go home’とほぼ一緒です」
 「ピンポーン」

 「ええ?そうなん?
  それじゃ、どうして来ると行くが成立してるのん??」


 ‥確かにそうだ、行くは行くだし、来るは来るだし、帰るは帰るである。
 まだまだ、英語初心者のれんげとしては、不思議が一杯だった。
 それでもまぁ、同じ人間なのだから考えることは一緒だろうと、
 実はしっかりと成績優秀&口達者なれんげにはそう思えた。


 「では、第五問。
  ‘go home’と‘come home’は、どのように違うのでしょうか?」

 「はい、部長ん」
 「どうぞ、れんげさん」
 「意味が一緒であって、‘go’と‘come’の間の違いがはっきりしているのなら
  これはもう、お約束の展開なのーん
  これから行動を始める様子と到着した様子の違いでしかないーんッ」

 「じゃ、れんちゃん
  その中間の場合はどう表現するんですか?」

 「な☆!?‥
  ・・・とっつん、答えはどうなのん?」


 クイズのノリで答えてみたものの、行くと来るの間にはその中間が必ず出てくる。
 さすがにれんげもそこまでは考えていなかった。
 そして、問題を出した方の凸激にしてもさして変わりはなかった。
 ただ‥常日頃から短歌を好み、言葉の言い回しに長じていただけの返事は保っていた。


 「ええ、そんなの俺にもわかんねーよ
  相手に促す時は‘go’で、自分の行動についてはもっぱら‘come’かもな
  やって来た友達に即行で、‘go home’って言えば、帰れになるだろうし
  それならそれで、友達に帰るのかを聞く場合なら、‘come home’で尋ねた方が良さげだろう
  自分が帰宅を連絡するにしてもさ
  帰る気満々なら‘come’かもしれないし、くたくたで帰る元気も嫌々なら‘go’かもな
  ‥その辺、そいつのその時の話し方でも変わって来るんだと思うぞ」

 「う〜ん、奥が深そうですね‥」

 「どうして素直に、帰るって言葉を使わないのん?」
 「それを言うなら、どうして日本語に、尊敬・丁寧・謙譲の使い分けがあるんですか?になるから」
 「な☆、なるほど‥ん
  それで前置きがよけいに長かったわけだったんのんな‥」


 「はい、そんなところで、れんげさんに任務です」
 「(任務‥)はい、なんですか?」
 「このようなケースに於いて、訳せという出題が出た場合‥
  行くとか来るとかで表現すべきか、帰るという表現にしても○が貰えるのかを聞いてきて下さい」
 「はい、了解しましたん」


 部活動を終わりにすると、後はそろって駄菓子屋にでも出向くことになる。
 ‥まぁ普通にそれが流れになった。



1-4)4

 その日の晩、れんげは早速一穂に、‘go’と‘come’の違いについて尋ねた。


 「姉ねえ、英語でさ、‘go’と‘come’の違いってあるんな
  それの訳をするようなややこしい問題の時って、どんな感じに訳せば○もらえるのん?」

 「へぇ、さっそく‥めざせ英検3級部だね
  そうだね、‘go’と‘come’の違いかぁ‥
  そういえば、そういう出題もあるよね

  でも大丈夫だよ、れんちょん
  文科省も学者さんも学校の先生も、所詮はお役人気質だから‥

  goは行く、comeは来るで始めに教えちゃってるし、
  自分たちの教えに間違いを指摘され兼ねないような野暮にも
  訳せなんて問題は出てこないって考えて良いと思うよ

  ‥まぁいいとこ、穴埋め問題だよね
  中には意地悪に、goとcomeの両方が入ってたりする選択肢もあるだろうけどさ

  結局の所、英会話の諸事情は、英語で考えられるようになりましょうってのが筋だから」


 それを聞いて、れんげは思った。

 「‥なぁ☆、まるで腐敗した政治と同じような流れなのん
  ‥自分たちの都合の良いところばかり強調して、都合の悪いところはコソッと避けてるん
  ‥テスト問題にしても、所詮、そういうものだったんな
  ‥それだから世の中の景気もちっともよくならないんにー」



参考.2016/05/17

「行く」
 尊敬語「おいで」
 丁寧語「行きます」
 謙譲語「伺う」


「来る」
 尊敬語「いらっしゃる」
 丁寧語「来ます」
 謙譲語「参る」


 ‥ググってみたら「いらっしゃる」「おいで」「参る」が
 どっちにも使うようになっているのだが、いつからそうなった?
 (俺にしても、敬語なんかほとんど意識しないから、うろ覚えだけどな)

 ‥要は、順位の形さえ合ってれば、とりあえず良いわけだが‥

 それにしても「いらっしゃる」を相手の出発のそれに使うのか?、否、到着だろう。
 それは「参る」もそうだと思うが、
 ‥今から参りますからなんてまどろっこしいだろう。伺いますからの方がすっきりしている。


 その点、「御越し」は、来るに断定されているようだが、
 逆にこちらの方が、相手の出発でも到着でも使ってるように思うのだが‥
 「お越しになるそうですよ」「お越しになりましたよ」

 ‥ええ、そういうことなんで、あとはご自分なりの解釈になると思いまーす。
 (二重敬語には十分注意しましょう)


> せっかくなので‥追加で問題です。


 自社の上役が先方に出掛けたことを使える場合、
 それは尊敬語を使うべきでしょうか?、それとも謙譲語をつかうべきでしょうか?


 答え:丁寧語で攻めてみる。「すでに向かいましたが‥」
 (誰が出向いても同じだけどな)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:01 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。