2016年04月28日

【四憬句】お題‘奴隷or神’

記稿.2016/04/28

|奴隷と罵られるか‥神と罵られるか‥

|ただ黙々と自浄させるだけの日常の奴隷?それとも神?

|「何が違うというのだ?」‥奴隷も神も奉仕の存在!!!

|奴隷と神の違いとは、偏見と付き合うか‥感謝と向き合うか‥ただそれだけだ




稚草

> 「神と罵られるか‥」‥神扱いなんかされたくないでしょ。うさんくせー。


 でもねぇ‥頑張っても頑張っても、頑張るほどに奴隷な気分ってのは残念なばかりっス。
 そこに芽生えちまうのは至って、ご褒美の差に対する偏見でしかない。

 でもねぇ、ズルいも糞も無く、チャンスを得るかどうかは虎視眈々とした構えがあったからっス。
 所謂、執念の差というか、徹底の差というか、タイミングの理解の差というか‥
 物事をよく観察し、己をよく知ればこそでしょう。

 「大人になったら楽してぇ〜、ちゃう、今楽して〜」

 経済学でもあるよね
 「今すぐもらえる一万円と一年後にもらえる二万円さてどっちを選ぶ?」
 頭のつくりのイカレた組が、後者を選んでいれば、答えは明らか。
 ‥経済学のインチキは、後者を選んでいる層の中身までを紹介しない所にある。

 で、後者を選んだ奴らは本当に頭が良かったのかというと‥

 競争に乗せられやすい連中だったという織り込み済み。
 じゃ、仕方ないですね、格差社会への道も想定内。
 ‥だって、後者を選んだ奴らは揃いも揃ってご褒美目当てなんだもん。チーン。

 (そういうのを日常的に‥人はサルと呼ぶ)


> サルがサルな経済学を打ち立てて、効率の良いものとしてサルになって競争してるだけ


 そんなの餌のある穴ぼこに手を突っ込んで、握りしめたままにキーキー行ってるだけやん。
 それで大変そうにして、助けを求めている。求め合うのが人間らしい行為とか言い出す始末。
 (早い話が、そこが資本主義)
 いやぁ普通に餌を諦めて、手を抜けば好いだろう。
 人間だったら、その後から、道具を使って餌を抜き取れば好いと考える。
 ‥でも、そこにしか餌が無いって思い込んだが最後、きっちり○年後の報酬をよこせとしか頭に無い。
 (権利を握りしめれば、もっと貰えるとかな、独り占めできるとかな)

 本質言えば‥大衆をサルに見立てて、如何にして穴ぼこの餌を握らせるかでもある。(それが権利側)


> じゃ、どうしたら好いかって?


 余計な報酬なんか端から諦めて、感謝してもらえるようにどうにかすりゃ良いでしょ
 それが自然体でルールになる。
 ‥そうじゃ無くしているのが、つまり欲ってこったな。で、偏見まみれになっちまうと。
 ‥そういう自分の一つ一つの理解すらわかってねぇと、そりゃ気分は奴隷だってことになるわな。


|一神教(偏見)のヒエラルキーひっくり返せば多神教(感謝)

posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:43 | Comment(0) | 刮目/2016 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。